第2章 大地の巫女

第13話 枷


 ミレニア王歴456年 初春

 草花がようやく芽吹き始めた、気持ちのいい朝。

 ミレニア王国北部の小さな村で、とある少女は暮らしていた。

 父、母、そしてまだ生まれたばかりの弟と摂るいつもの朝食。

 

「お父さんは今日もお仕事?」


 少女は小麦色の丸パンを口に頬張りながら、向かいでパンにバターを塗っている父に話しかける。


「こらっ、食べ物を口に入れながらおしゃべりはだめでしょ!」

「ごめんなさい」


 そんな少女の様子を、隣で弟の口を拭いていた母が注意する。


「いいや、今日は久しぶりの休暇が取れたからね。思う存分、リリアと遊べるよ」

「本当にっ!?」

「ああ、そうだとも」


 父の返答に、リリアと呼ばれた少女は喜びのあまりパンを口にくわえたまま両手を上げた。

 

「こらこら、食べ物が落ちるでしょ!あと尻尾を揺らさないで!」

「ごめんなさい」


 再び母に怒られてしまい、リリアは頭を下げてシュンとしてしまう。


「ははっ、リリアはいつも元気だな!」


 そんなリリアの様子を見ながら父は微笑む。


「そうだ!今日はリリアに見せたい場所があったんだ。朝ごはんを食べたら弟と早速行こう!」

「見せたい場所?」

「ああ、リリアが絶対に喜ぶ場所だよ。さぁ、早くご飯を食べて」

「うん、分かった!」


 そう言うと、リリアは一目散にパンを飲み込み、まだ残っていた豆のスープを飲み始める。


「あなた、本当にいいの?」

「リリアには、伝えておかないといけないからね」


 朝食を終えた後。リリア、そして弟を抱えた父は、その足で近くの山に登った。

 まだ初春だというのに、その山は色とりどりの木々であふれている。

 リリアは山の中のあぜ道を、サクサクと地を踏む音を立てながら歩く。


「お父さん。遅ーい!」

「リリア、そんなに早く歩いて魔獣が出てきても知らないよ」

「大丈夫だもん。魔獣が出てもお父さんがピューと駆けつけて助けてくれるもん!」

「本当に元気だなぁ……」


 リリアの自由奔放さに苦笑しつつも、父は弟を抱きかかえながらゆっくりと上り坂を進んでいく。

 やがて、三人は山の中腹、木漏れ日が差し込む木々の木陰で休憩をとる。


「疲れたー」

「はい、水だよ」

「ありがとう!」


 リリアは倒木の上に座ると、父から竹で出来た水筒を手渡されそれをゴクゴクと飲み始める。


「あぁ、あぁ~」

「キミはこっちだよ」


 続けて、父はミルクの入った哺乳瓶を弟に与えた。


「セルトはまだミルクなのー?リリアはもっと早くに卒業したよ!」

「リリアもこのくらいの時はミルクを飲んでたよ」

「ち、違うもん!」


 父に本当のことを漏らされ、照れ隠しに地面を見つめるリリア。

 すると、そこには見たこともない青白く光ったキノコが生えていた。


「お父さん、これなに?」


 リリアは興味本位でそのキノコを指さしながら父に質問する。


「ん?おぉっ、これは妖精さんだよ」

「ようせい?」

「そう。すぐそこがもうエルフ族の領地だからね。間違えてここに入ってしまった妖精さんが身を守るために擬態してるんだよ」

「お父さんは隠れなくていいの?」

「ははっ僕はいいんだよ」


 父の言葉を聞き、リリアは光るキノコをちょんちょんとつつく。

 そうすると、キノコは光を散らせて瞬く間に消えてしまった。


「わぁ~綺麗!」

「おっと、逃げてしまったようだね。妖精さんは神様の使いだから、大事にしなきゃだめだよ」

「うん!」

「休憩はすんだかい?じゃあ行こうか」

「はぁ~い!」


 そう言ってリリアは地面にバッと着地し、父の後をついて歩き始める。


 しばらく険しい山道を歩き抜け、リリア達は山頂に到着した。

 そこには、見渡す限りの絶景が広がっている。


「わぁ~!」


 リリアはその景色に思わず見惚れてしまう。

 

「風が気持ちぃ~!」


 どこからか吹いてきた風が、リリアの真っ白な髪を揺らす。


「見惚れるのはまだ早いよ、あれを見てごらん」

「あれ?」


 父が指さす方向を、リリアは目を細めて見つめる。

 視界の先には、赤、青、紫、色々な葉をつけたカラフルな森が広がっていた。


「あれは、エルフの里だよ。そしてその向こう」


 色とりどりの木々が芽吹く森のさらに奥を見つめると、そこにはいくつかの建物が見える。


「あれは、ハインゲア王国。人間たちの村だよ」

「人間!?人間なの!?」


 父の言葉に、リリアはぴょんぴょんと飛び跳ねながらそこを見つめる。


「リリアは人間が好きだね」

「うん!リリア人間大好き!」

「そして後ろには」


 一転、父は今度反対側の光景を指さす。

 そこには、見慣れた白い煉瓦の家の数々が──


「あれが、僕たちが住んでいる獣人族の村だよ」

「本当だ!」

「もう分かったかい?ここはいろんな種族の住処が見渡せる最高の場所なんだ」

「うわぁ~!」


 リリアはマリンブルーの瞳をキラキラと輝かせながらその景色を見つめた。


「いつか、人間たちの村に行ってみたいなー!」

「ふふっリリアにはまだ早いよ」

「なんで?」


 リリアが純粋な瞳を丸くして父に尋ねる。


「人間たちの中には、まだ私たちのことをよく思っていない人もいるんだよ」

「同じ姿なのに?」


 父はキョトンとしているリリアに、更に話を続ける。


「獣のような耳、そして尖った耳。少し自分と特徴が違うだけでも、それが差別に発展する時もあるんだよ」

「へぇ~不思議だねえ!」

「でも大丈夫だよ。お父さんが、そんな差別をいつか無くしてみせる。そうしてリリアが安心して人間と触れ合えるようにするんだ。いつも見ているだけじゃ寂しいだろ?」

「本当に!約束だよ!」

「ああ、約束だ」


 その言葉を聞き、リリアと父はお互いに指切りを交わした。

 その後、リリアはもう一度エルフの里の方角を見つめ、何かを思いついたように瞳を輝かせながら父に語りかける。


「そうだ!お父さんはエルフの里でも偉い人なんだよね?だったら今度リリアも一緒につれてって!!」

「エルフの里にはね。怖ーい巫女様がいるんだよ。リリアには耐えられるかな?」

「ほ、ほんとー?」


 父に揶揄われたことも知らずに、リリアは思わず膝を曲げて身を隠してしまった。

 さわやかに吹く風がリリアと父の髪を揺らす。


「この世界は、人間も獣人もエルフも、みな平等にならなければならない」


 そう呟く父の声も、リリアに届くことはなかった。


  *


 石畳の街道をガタガタと音を立てながら、金色のキャビンを積んだ馬車は進む。

 ゆっくりと移り変わる景色を、レイズはキャビンから顔を出しながら眺めていた。 


「ここがハインゲア王国か!」

「さっきまでレマバーグだったのに、景色が全然違いますね」


 レイズの陰で同じく景色を眺めていたエーリカも、思わず口を漏らした。


「全然って……建物は全く変わらないじゃないですか。川が流れてたり街路樹が植えてあったりするだけで」


 レイズに顔を出されて窮屈そうに手綱を引いていたヴィカトリアが、顔をしかめながらエーリカにそう応えた。


「それはそうですけど……他国に来たのはこれが初めてなので何もかもが目新しく感じちゃいます」

「エーリカ王女、一五歳にして箱入り娘だったんですか……」

「は、ハインゲア王国の使節団の方とは城内で面識があったり……ヴィカトリアさんとは何度もお話ししたじゃないですか!」

「それはレディニア王国側に私たちがやって来たからでは……?」

「うっ……」


 図星を突かれて口ごもってしまったエーリカをよそに、ヴィカトリアは手綱をゆっくりと引っ張って徐々にスピードを落としていく。

 そうして馬車は道路の道端に停止した。


「さて、私が二人を送れるのもここまでです。お疲れさまでした」

「おう、ありがとな!」


 馬車が停止してすぐに、レイズがバッと地面に飛び降りる。


「あの、ここは何という町なんでしょうか?」


 レイズに続き、馬車から飛び降りたエーリカが、御者台に乗るヴィカトリアに尋ねる。


「ダリア・フォールという町です。国境付近とあって、レマバーグと同じように割と栄えてますよ」

「ダリア・フォールですか……美しい名前ですね」


 ハインゲア王国に存在する町は、必ずといって花の名前がついている。

 その理由は、ハインゲア王国建国の際に、初代国王が花好きだったからだと言われているが、所説もある。

 ダリア・フォールという名には、花の他にも観光名所として知られる美しい滝があることからその名がつけられているのだ。


「ではエーリカ王女、お気をつけて」


 ヴィカトリアは片手で手綱を握りながらレイズとエーリカに手を振る。


「ヴィカトリアさんもお仕事頑張ってください!」

「レイズ君もしっかりとエーリカ王女支えてあげてね」


「おう!ヴィカトリアも今度俺と戦ってくれよな!」

「た、戦う……?」


「レイズさん!また誰とも構わず決闘なんか挑んで……!」


 レイズの誰にでも止まることのない戦闘狂っぷりにヴィカトリアは目を丸くする。

 それを見たエーリカが慌ててレイズを制止させた。


「だってよお、ヴィカトリア強そうじゃんか」

「ハインゲアには私よりも強い人がいるよ」

「おぉー!どんな奴だ!?」

「例えばねえ、大地の巫女とか?」

「大地の巫女?」


「ヴィカトリアさん。その方は流石にレイズさんも……」


 みかねたエーリカがヴィカトリアの発言に苦言を呈す。

 大地の巫女。それはスカンジア大陸はおろか、この世の全ての大陸の自然を統べると言われる者。

 その身は千年以上も朽ち果てることなく、一部の人々からは不死の存在とまで言われ崇められている。

 レディニアを救った大英雄と同じく、多くの人に名を知られている存在だ。


「誰だか知らねえが戦ってみてえな!」

「ははっ、まあ頑張ってね。じゃあ私はこれで」


 ヴィカトリカは苦笑しながら手綱を引く。

 そうすると馬車は再び動き出し、エーリカとレイズの元を去っていった。


「またなー」

「お元気でー」


 二人はそんなヴィカトリカを姿が見えなくなるまで見送った。


「うしっ!じゃあこれからどうする?」

「そうですね。せっかくなのでダリア・フォールの町を散策してみましょうか」

「じゃあいくか!」


 そう言って、二人は石畳の脇道を歩き出した。

 

 レマバーグへつながる大通りを抜け、朱色の煉瓦で作られた建物が脇を囲む通りにやってきたエーリカとレイズ。

 両脇の建物の間には縄が括り付けられており、そこに洗濯物のような服がぶら下がっている。

 そんな光景を、エーリカはまじまじと見つめていた。


「あれ、落ちないんですかねえ……」

「大丈夫だろ」


 エーリカの疑問も他所にレイズは歩き始めた。


「あちこちからいい匂いがしてきます」

「そうだな」

「あそこに売ってる亀の甲羅みたいなパン、美味しそうですね!」

「食いたいんなら一つ買ってきたらどうだ?」

「メロンパン……ですか……レディニア王国では見たことないですね。そうですねお金もありますし買ってみま……いや、せっかく手に入れたお金、無駄遣いはしちゃダメです!」



 行く先々で、パンや菓子を売る露店が軒を連ねていた。

 店主の陽気な掛け声も喧騒の中に響き渡る。

 そこを通り抜けるたびに、甘い香りが漂い涎が垂れそうになってしまう。


「エーリカ、いつになく楽しそうだな」

「そう見えますか?」


 エーリカの表情は、レマバーグにいた時と比べ柔らかかった。


「この国ではまだ私の顔が知られていないので、なんだか枷が外れたような感じです」

「箱入り娘だからか?っぷぷ」

「そうですけど!ひどいですよ!」


「よかったな、エーリカ」


 レイズは満面の笑みを浮かべるエーリカに言葉を漏らす。

 レマバーグにいた頃のエーリカは、人目を気にするあまり険しい顔つきをしていることが多かった。

 それは、自分が関わってしまうことで人々が危険にさらされてしまうことを避けていたからだ。

 王族としての責務──これを守るために、エーリカは屋敷にいるときでさえも表情を一切崩すことがなかった。

 レイズはエーリカの気持ちを十分に分かっていた。しかしそれでも、レイズはエーリカに辛い思いをさせたくなかったのだ。


「はい……あの……」

「どうした?」

「いや、あの人……」


 エーリカはそう言いながらある一点を指さす。レイズはキョトンとしながらも、エーリカが指さした方向を向いた。


 二人の視線の先には、やせ細った灰色の髪の男が、今にも倒れそうなくらいの足取りでこっちへ向かってくる姿が、


「びしょ、びしょう……」


 男はふらふらと歩きながら、口々に何かをつぶやいているように見える。


「なんか言ってるぞアイツ!?」

「だ、大丈夫ですか!?」


 エーリカは間髪入れずに猛ダッシュし、男へ駆け寄ろうとする。


 しかし足の遅いエーリカがたどり着く前に、男は、その場に倒れた──


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