幕間1 オスカーという名の男
レディニア王国の王都から東に位置する小村、フローラ。
のどかな田園風景の広がる自然豊かなこの村は、レディニア王国民が避暑地として訪れる観光地としても有名である。
しかし、それはアヴァロニカ帝国の侵攻を受ける前の話だ。
今はその面影すらないほどに荒廃し、人通りも閑散としている。
半壊した住宅群が広がる小道を、一人の男が歩いている。
クリーム色の短い髪を無造作に掻き分けた、年齢にそぐわずやや華奢な体格をした男。
龍の模様が編まれた派手なシャツ一枚と、脛当てと鉄靴を履いた男の姿はとてもじゃないがこの荒廃した村に不釣り合いだ。
男は手を頭の後ろに組み、欠伸を搔きながら村の中心の広場までをゆっくりと歩いていた。
途中、男は一軒の家からやせ細った女と小さな子供が出てくる光景を目撃する。
男は恐らく親子なのだろうと察した。
家は今にでも倒壊しそうであり、二人は瓦礫の山を必死に掻き分けて外に出た後、何かから隠れるようにあたりを見回していた。
男は軽快な口調でその親子に近づき、話しかける。
「よう元気?なにしてんの?」
しかし男を見た途端、親子の顔は深刻な形相になり体をびくびくと震わせた。
母親とみられる女は子供を守るような仕草をしながら男を凝視している。
しかし、男はそのような素振りなど気に留めることもなく話を進める。
「ここ危ないよ?無理に中に入ろうとしたら崩れちゃうでしょ」
「ご、ご心配おかけして申し訳ありません……わ、私たちは直ぐに戻りま……」
女が言葉を言い切ろうとした途端、瓦礫の一つが親子の頭上から落下した。
「わっ!」
「きゃああ!!」
「だから危ないって……」
しかし男が助走をつけて瓦礫に剣を放つと、それが一瞬のうちに粉々になる。
「言ったでしょ」
「あ、ありがとうございます!」
女は男に深くお辞儀する。
その後、早々と退散しようとする親子を男が引き留めた。
「何か理由あったんだろ?俺に話してよ」
男の軽々とした口調にも、親子はひどく怖気づいていた。
「そ、それは……あの……」
「何?俺らに話せない理由でもあんの?」
男はへらへらとした表情をしたまま親子に近づく。
「ち、違うんです!た、ただ家の様子を見に来ただけで……」
「これを取りに来たの……」
女性が汗をかきながら必死に弁解をしようとしたのも束の間、子供は抱きかかえていた本を恐る恐る男に見せつける。
「ん?」
男は、子供がかざした本の表紙をじっくりと見つめる。
「お父さんの……」
「違います!この本は直ぐに焼却しようと思ってて、本当です信じてください!!!」
女性の叫び声とも取れるような必死の声を耳に入れることもなく、男は本の表紙の文字を読んだ。
スカンジア大陸ではレディニア王国、アヴァロニカ王国などの五つの国があり、すべての国がただ一つの言語、スカンジア語を使用する。
それは三百年前、大英雄の存在が大陸中に知られた後に、永久中立を宣言したハインゲア王国が他国に共通の言語を使おうと働きかけを行ったことに始まる。
しかし、男はその本を《解読》することができなかった。
「これ、レディニアの死霊術師が信仰してる宗教の聖典だよね?この村のは全部燃やしたつもりだったんだけどなー」
「で、ですから、私たちを統治なさっている騎士様にお渡ししようかと!」
「へぇ、ならその騎士によろしく言っといてよ」
「は、はい!」
その瞬間、女の顔がパァッと明るくなり、子供を引き連れて足早に去っていった。
「やっぱ、人助けって楽しいわ」
男はそう呟きながら、足を進めた。
*
やがて、男は村の中央の広場にやって来る。
そこには、甲冑を着た複数の騎士の姿が、
男が騎士たちの間を通ると、騎士たちは次々に男へと会釈を行う。
その後、男は広場の中央にある白い
敷地内には、幾人かの騎士の姿と、金色の装飾が施された玉座があった。
男はその玉座へと、盛大な音をたててドスンと構える。
「またあなたはそんな軽装で散歩などして……誰かに狙われでもしたらどうするのですか?」
男の元に首にまで届く青髪を綺麗に整えた長身の騎士が近づいてくる。
「別にいいじゃん。そいつに殺されるわけなじゃないんだし」
「そうですが……あまり身勝手な行動をされると困ります」
「はいはい、パイモンはいっつもかたっ苦しいなー」
「あなたが自由奔放すぎるだけですよ。オスカー様」
オスカー様と呼ばれた男は、やや不貞腐れ気味に青髪の騎士、パイモンに尋ねる。
「ていうかさ、ディムルットからの返事きた?」
「いえ、まだ……」
「ったく、ディムルットのやつ。行方不明になってくれたおかげで、進軍始めるの三日も遅れちゃったじゃん」
「結局、罠のようなものは何もありませんでしたが。慎重派の議員連中の言葉も鵜呑みにしてはいけませんね」
「よし決めた、帰ってきたらあいつの悪口言いまくってやろ」
「あなたは子供ですか……」
パイモンはオスカーのことを泥遊びをした後の子供を見るような目で見つめていると、オスカーは何かを思い出したように手を叩いた。
「そうだ!なんか表がちょっと騒がしかったけど、どっかの騎士団帰ってきたの?」
「ええ、先程レマバーグに交渉へ行った騎士が戻ってまいりまして」
「それで?」
「それがですね……ただいまオスカー様の元を訪れるだろうと思うのですが……」
パイモンが言い終える間もなく、ゴツゴツと鎧が接触する音を立てながら数人の騎士達がやって来る。
騎士達はオスカーの元に来るなり一斉に跪く。
そして、真ん中に位置している白髪の生えた一際老齢な騎士がオスカーに話を始めた。
「失礼いたしますオスカー様。ライオネル騎士団傘下、グラスト騎士団団長ヴァン・グラスト下五名、ただいま帰還いたしました」
「挨拶なんていいよ。で、どうだったの?」
「はっ、オスカー様の使命はこちらにおりますルイズ・パッカーにより達成されました」
ヴァンが隣にいる大柄な赤髪の騎士、ルイズの名を呼ぶと、ルイズは一度立ち上がり会釈をした。
しかし、オスカーはルイズの会釈を見ることもなく、後ろで跪いている四人の表情に目を細める。
「それにしては浮かない顔だけど?なんかあった?」
「なぜ、浮かない顔だと……?」
「特にヴァン以外の三人、眼鏡と後ろにいる奴ら、どうしたよ?」
オスカーはヴァンの質問を返すこともなく、三人の騎士を名指しする。
すると、ヴァンの左で跪いていた眼鏡の騎士が一層深く跪き言葉を漏らした。
「申し訳ありません!たまたま居合わせたカルテット商会の会長に目をつけられてしまいました!!!」
眼鏡の騎士に続けて、元の位置に戻ったルイズと後ろの騎士二人が深く跪いた。
「カルテット商会ねぇ……」
「しかも、どこの馬の骨だか知れぬ男とも戦闘になってしまい……」
「ジェフィっ!」
「はっ、すみませんっ!」
眼鏡の騎士、ジェフィが余計な口を漏らしてしまったことをヴァンが小声で糾弾する。
しかし、その声をオスカーが聞き漏らすはずがなかった。
「へぇ、そうなんだ。それで、勝ったの?負けたの?」
オスカーは表情を一切変えずに藍色の目を騎士たちに突き刺したまま話を進める。
その言葉への返事に、一同は数秒間の沈黙を要した。
見兼ねたルイズが着ている鎧をバシンと叩き、盛大に告げる。
「その者の未知なる力で一時は苦戦をしいましたが、我ら誇り高きアヴァロニカの騎士が負けることはございません!次こそは必ず勝利をお約束します!!!」
しかし、ルイズの盛大な宣告も、オスカーの元には届かない。
「そんな言い訳とかいいから、戦ったの誰?」
オスカーが冷徹な眼光のままそう尋ねると、ヴァン以外の騎士四人が恐る恐る手を上げる。
その後のオスカーの表情で、何かを察したジェフィが説得を試みる。
「く、苦戦してしまったのはカルテット商会の会長がその者の側に付いてしまったからで、次戦えばその者一人を殺すのなど容易なはずでございます!」
「そっか!」
「はい!では……」
グサ!!!
──刹那の出来事だった。オスカーから放たれた長剣が、ルイズの心臓を《鎧》もろとも貫いた。
「あ……が……」
オスカーが剣を引き抜くと、ルイズは、ガシャンと音を立てて倒れる。
「なに……を……」
突然の出来事に、ジェフィは驚く暇も与えられずに口をだらんと開ける。
ヴァンは険しい表情のまま、地面を凝視していた。
「さて次」
オスカーはそのまま後方にいる二人の騎士へ向けて剣をかざす。
「やめてください!か、必ず約束いたしますので……」
二人の騎士が必死の形相になりオスカーを説得するが、それを言い切れることもなく──
オスカーが投擲した二本の剣が、騎士を装着した兜ごと貫通した。
「よっし!ダブルで命中!」
「ひっ、ひぃ!?」
次は自分の番だ。
骸と化したほかの騎士たちに弔いを向けることもできずに、ジェフィはそう悟ることしかできなかった。
その後、絶望的な表情でヴァンを見つめるが、ヴァンは下を向いたまま動じない。
「さて次だけど」
オスカーは玉座を降り、ジェフィの下へ向かう。
そして涙を流しながら驚愕の表情を向けるジェフィの頭部に剣を突き立てた。
「わ、私は……!」
「お前はダメだ」
「へ?」
ジェフィは思ってもないことを言われ目を丸くしていると、オスカーはいきなりジェフィの頭をなでる。
「だってお前がいなくなるとヴァンの騎士団なくなっちゃうじゃん。これを機に強くなってさ、ヴァン支えてやんなよ?」
「は、はい……」
一体、何が起こっているのかわからない。
ルイズ達、あの金髪の男と戦った騎士はみんな殺されてしまったのに、自分だけが残されたのだ。
そんな状況に、ジェフィは混乱状態になって声を荒げながらオスカーを問いただした。
「なぜ……殺したのですか」
「ジェフィ!」
ジェフィの身分をわきまえない行動に、隣にいたヴァンが喝を入れる。
しかし、そんなこともお構いなしにジェフィが再びオスカーを問いただした。
「なぜ殺したのですか!?」
「
玉座に戻る最中だったオスカーが、足を止め振り返りざまに応える。
「へっ……?」
「これが、
その答えに、ジェフィは一瞬で血の気が引く。
「あっ、あぁぁ……」
ジェフィは、眼前の男の奥にある、強大すぎる何かを感じ取り口をパクパクとさせることしかできなかった。
「話はこれで終わりです。残った者たちは退散を」
オスカーの脇で目の前に起きた出来事に一切応じることなく静かに佇んでいたパイモンが、事の終わりを察したかのように目の前の騎士二人に告げる。
それを聞いて、ジェフィはガクガクと震えながら立ち上がる。
「オスカー様、一つだけ気になることが……」
ヴァンとジェフィは入って来た時より一層重い足取りで立ち去る。
だがその直後、ヴァンの足がピタリと止まりオスカーに話しかけた。
「うん。何?」
「確証はありませんが、レディニア王国の第二王女が生き延びたかもしれません」
「へぇ、そうなんだ」
「話はそれだけです。以上」
ヴァンは、よろよろになりながら歩くジェフィを支えながら去っていった。
「オスカー様に逆らってはならない。分かったな?」
ジェフィを支えながら、ヴァンはそう耳打ちした。
二人がいなくなったのを見計らい、パイモンは呑気に玉座で胡坐をかくオスカーに話しかける。
「第二王女ですか。どうしますか?オスカー様」
「どうしますかっていわれても。でもまあ、その情報は俺を歓喜させたよ」
「恐らく、我らが進軍を遅らせている間にレマバーグに亡命したのでしょう。グラスト騎士団を襲った者とも関係があるのかもしれません。そして、ディムルット様の消息とも」
「じゃあ次はハインゲアに逃げるつもりなのかな!」
「そうですね。確か、ハインゲアには亜人狩りに潜入中のアヴァロニカ騎士の一団があります」
「じゃあそいつらに連絡しといてよ。もうちょっと確かめる必要があるからね。ちょーっと逃げ延びちゃった子鼠もよろしくって」
「はっ、仰せのままに」
パイモンが会釈を行い外へ出ようとするのも束の間、鎧に所々血がこびりついたひとりの騎士がやってくる。
「オスカー様!」
「どうした?」
騎士の呼びかけにはオスカーではなくパイモンが応えた。
「先程、死霊術師の書を持ち歩いていた女を殺害したのですが、その者がオスカー様の名を口にしまして」
「ぷっ、俺がちょっと助けてやったからだわそれ!」
「なぜ、そのようなことを……」
「だってどうせ殺されんのに、変な気分のままだったらいたたまれないでしょ?」
「
パイモンは最後にそうため息を吐き、騎士と共に去っていく。
誰もいなくなり一人になった敷地内で、オスカーは静かにこう呟いた。
「王女も可哀そうに……俺たちからは、逃げることなんで出来ないのにな」
その禍々しく輝く藍色の瞳は、オスカーという男そのものを映しだしていた。
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