第12話 約束
「実は我がカルテット商会、エーリカ様のレディニア王国を再興させるための資金援助をさせていただこうと思いまして」
「資金援助、資金援助ですねえ……は?」
「どういうことだ?」
ヴィカトリアの突拍子もない提案にエーリカの叫び声が応接室内に響きわたる中、相も変わらず理解のできなかったレイズが静かに疑問を投げかける。
「キミにも分かりやすく話すと、レディニア王国を再び建国するために必要なお金を、私たちが補助するってことだよ」
「そうなのか。よかったなエーリカ!」
「し、資金援助!?スカンジア大陸一の豪商であるカルテット商会が私のために!?!?!?」
「エーリカ王女、落ち着いてください」
エーリカには落ち着けるはずもなかった。
それもそうだろう。考えもしなかった、それどころか無理だろうとも思っていた相手から資金援助をすると切り出されたのだ。
エーリカはパニックに陥り、どんどんと頭が熱くなってしまう。
混乱状態となった自分を落ち着かせるために、エーリカは一度深呼吸をしてから恐る恐るヴィカトリアに尋ねた。
「えっと……非常にありがたいのですが……なぜ、そんな考えに至ったのかと……」
「我がカルテット商会と貴国はかねてからの交易で非常に親しい関係を築いておりました。特に、私の父と貴方のお父上である国王陛下は友人のようなお付き合いをされていたとお聞きしております。そして私と貴方もです。そんな友人のような貴国との繋がりを途絶えさせてはいけないとの考えを我が商会の幹部一同で意見を一致させまして、これにより提案させていただいた次第でございます」
「は、はひ……お世話になっています!!」
「エーリカ頭空っぽになってねえか?」
今まで一度も味わったこともないヴィカトリアの一面に、エーリカの脳は再び沸騰してしまう。
しかし、そんな自分ではいけない。変わらないと、
そう思ったエーリカは、歯を食いしばり何とか昇天しそうだった自我を保つ。
「あ、ありがとうございます……我が国……は滅びちゃったから私としては凄く喜ばしいご提案で……」
「まあそれは建前なんですけどね」
「へっ?建前?」
エーリカが覚えたてのような謙譲語で話に応じようとした途端、一瞬のうちにヴィカトリアは元の緩やかな顔つきに戻る。
そんなヴィカトリアの表情の落差に、エーリカは訳が分からなくなりついには目が点になってしまった。
レイズに至っては相変わらず上っ面で二人の会話に耳を傾けている。
「いや、すいません。私の商談モードについていけなくなったエーリカ王女を見るのが楽しくってつい笑ってしまい……ふふふっ」
「わ、私をからかってたんですかっ!?」
すると突然、腹を抱えて笑い出したヴィカトリア。
そんなヴィカトリアに、エーリカの顔が羞恥心で徐々に赤くなっていく。
「嘘じゃないんですよ、嘘じゃないんですけど!やはりエーリカ王女とはこうやって殻を割って話した方がよさそうですね」
「私まだ子供だと思われてます……?」
ヴィカトリアにさんざんバカにされてエーリカは口を尖らせるが、同時に安堵の溜息を吐く。
まだ商談というのに慣れていない自分にとって、目の前の相手は友人にも関わらずいかんせんハードルが高すぎるのだ。
今の一件で緊張がほぐれたエーリカは、いつもの友人と会話をするような声音に戻って話を続ける。
「それで本音というのは……?」
「本音というか、資金援助をさせていただくにあたっていくらか条件を付けさせてほしいのです」
「条件……」
ただ友好的という理由だけで資金援助をしてくれるなどこの商会ではありえない。
特に、商会長のヴィカトリアは自他ともに認める野心の塊なのだ。
エーリカもそれを今更思い出し、ヴィカトリアの一番の理解者と豪語していた自分を恥ずかしむ。
「その条件っつーのはなんなんだ?」
「レイズさん!?」
もはや考えにも至らなくなりずっと無心で窓の外の青空を見つめていたレイズがいきなり話に突っ込んだことに、エーリカは驚愕の表情を浮かべた。この少女は実に感情豊かである。
「はい、その条件とは二つありまして」
「それはどういう……」
「一つは名目通りレディニア王国が再興された後、我がカルテット商会を半永久的に、そして第一に優先する貿易相手とすること……」
「はぁ……」
「そして二つ目は、レディニア王国が国宝としている魔剣グラニアスを我が商会に譲渡することです」
「グラニアス!?」
魔剣グラニアス。それは三百年前、レディニア王国とアヴァロニカ帝国が他国をも巻き込み勃発させたスカンジア大戦という戦争で、一人の男が使用したとされる長剣。
その男は、当時鉄壁とさえ言われていたアヴァロニカ帝国に勝利したことで、後にレディニアの大英雄と呼ばれることになり、彼が所持していたという魔剣グラニアスは国宝級の宝として王城の宝物庫で大切に保管されていた。
「はい、そのグラニアスです」
「な、なぜそんなものを……?」
「グラニアスを使ったとされる大英雄はレディニア王国はおろか、他国でも超が付くほどの有名人です。それはレディニアの死霊術信仰を批判してる国にとってもです。これほどの英雄が所持したとされる剣をカルテット商会が保有しさえすれば、間違いなく他大陸に進出する重要なカードとなれます」
「そんなすげー剣をエーリカの国は持ってたのか?」
だが、レイズの期待に満ちた表情とは裏腹に、エーリカの顔はやや青白くなっている。
「どうですか?呑んでくださりますか?」
「だ、大丈夫なんですけど……グラニアスは……」
エーリカの僅かに目線を逸らすような仕草に、ヴィカトリアは何かを察っする。
「え?ま、まさか王都から逃げる際にあんな貴重な剣を持ってこなかったんですか!?」
「そういえば持ってなかったな」
「う、嘘ですよね……?」
ヴィカトリアは急に切羽詰まってエーリカに尋ねた。
そのせいでエーリカの顔はどんどん深刻になっていく。
「い、いや、違うんです!」
「では、グラニアスはどこに……?」
「レディニアが滅亡する遥か前に……宝物庫から……盗まれました……」
その瞬間、ヴィカトリアは気の抜けたように天井を見上げ顔を手で覆った。
「なにしてんですか?いや本当になにしてるんですか?」
「それが分からないんですよ!警備の騎士は十分に配備されていたのに、気が付いたら無くなってて……」
「あなたの国の警備体制はどうなってるんですか?」
エーリカにも十分に聞こえるような盛大な溜息をついたヴィカトリアは、気を取り直して話を進める。
「まあいいでしょう。お二人にはその魔剣グラニアスをぜひとも探し出していただきたい」
「は、はい……分かりました」
「必ず見つけてくださいよ。私もできる限り協力はしますので」
「はい……ありがとうございます」
「では」
話が終わり、ヴィカトリアは立ち上がるとエーリカに手を差し出す。
エーリカもそれを見て慌てて立ち上がった。
「今ので信用はガタ落ちしましたが。必ず、レディニア王国を復活させてくださいね」
「は、はい!」
エーリカにとっては本日二度目だが、二人は固い握手を交わした。
「絶対見つけような!その剣!」
「はい……そうですね!」
レイズが笑いながらエーリカを鼓舞する
その微笑ましい光景にヴィカトリアは苦笑しながらソファに掛けられた焦げ茶色のトレンチコートを羽織った。スタジャンの上に。
「話は以上です。私は予定が押してるので次の商談の予定地へと向かいますがお二人は?」
「わ、私たちも準備ができ次第、ハインゲア王国に向かおうと思います!」
「方向一緒じゃないですか。よければ送りましょうか?ハインゲアはすぐ隣ですけど」
「いいのか?「ほんとですか!?」」
「はい、では行きましょうか」
そう言いながらヴィカトリアは、トレンチコートのポケットに手を突っ込みながら応接室を出ていく。
その後をエーリカとレイズも続き、三人はその足で一階に降りて屋敷の玄関に向かった。
屋敷内はすでに先ほどまでの参列客は足を引いており、今は屋敷の使用人がせわしなく働いているのみである。
エーリカはそこで、廊下を疾走する赤髪の女性に気付き声を掛けた。
「あ、あの……!」
「あらエーリカじゃない」
女性は赤髪をエーリカを見るなり一つに纏められた赤髪を激しく揺らしながら振り向いた。侍従長だ。
侍従長は外に出ようとする三人を見るなり何かを察して話しかける。
「そう、今日で出て行っちゃうのね」
「はい、あの……お世話になりました」
エーリカはそんな侍従長に対し深々とお辞儀する。
「ふふっ、エーリカもね。でもいいの?あなたたち、部屋に荷物置きっぱなしじゃない?」
「あっ、そうでした!」
「そうだったな!やばいぞエーリカ!!」
「なんですか、さっき準備をするって言ったのにそのまま出ていこうとしたんですか?」
「エーリカはおっちょこちょいなのよ」
ヴィカトリアが顔をしかめながらエーリカに突っ込むと、侍従長は苦笑しながら話す。
「いいわよ、荷物は他の使用人に頼んで運んでおくから、貴方は貴方のやりたいことに集中しておきなさい」
「あ、ありがとうございます……あの」
「ん?どうしたの?」
侍従長の気づかいに感謝したエーリカは一転、顔を俯きげになりながら侍従長に尋ねた。
「イシュタリア家は、レマバーグはこれからどうなるんですか?」
「当面はステラ様の息子、ネヴァン様が領主の仕事をなさるって言っていたわ。でもアヴァロニカ帝国に占拠されてからは……向こうに実権を握られるかもしれないわね」
「そう……ですか……」
「でも安心してエーリカ。貴方が国を復活させてくれるんでしょ?なら、私たちはそれまで絶対に命を落としたりしないわ」
「え?」
「相手があのアヴァロニカでも、抗ってやるんだから!」
侍従長の的を得たような鼓舞に、エーリカは心のわだかまりが取れたように安堵する。
「絶対死なないでください。約束です」
「ええ約束。ステラ様にも、エーリカにも」
もう二度と、大切な人たちを、だれも死なせないように。
エーリカは心の中で誓いながら、侍従長と指切りを交わした。
「ちょっと俺も世話になった執事のおっちゃんに挨拶してくるわ!」
レイズもエーリカと侍従長のやり取りで何かを感じたかのように、足早にどこかへ向かった。
「あ、あの私さっき予定が押してるって……」
「レイズさん、転ばないように気を付けてくださいね!」
「ふふっ、二人がどんな旅をするのか、今から楽しみだわ」
侍従長の微かな呟きが、屋敷の雑踏に少しずつ消えていく。
旅が始まる。屋敷の玄関から、それを歓迎するかのようなそよ風がエーリカの髪を揺らした。
*
屋敷の前には、既にヴィカトリアの馬車が止まっていた。
その中には、エーリカとレイズの持ち物とは他に、リュックサックにパンパンと詰め込まれた大きめの荷物も見受けられる。
(なんだろう……このリュック……)
気になったエーリカが中を見ると、そこには見たこともない服や食料などが入っていた。
そのままエーリカは、見送りに来てくれた侍従長の元へ駆け寄る。
「あの……私たちの荷物、ちょっと多い気がするんですが……」
「貴方たちが旅をする時に必要なものよ、持って行きなさい」
「いいんですか?」
「だってステラ様の選別だもの。貴方たちが旅に出ると分かってから急いで準備していたそうよ」
「ステラ様……」
エーリカは小さな声で、青空の上にいるステラの名前を呼ぶ。
「あの、本当にありがとうございます」
「ええ、このお礼は何か、もちろん分かっているわよね?」
「はい、もちろん!」
「エーリカ行くぞ!」
「置いていきますよ、エーリカ王女」
馬車の中から、レイズがひょっこりと顔を出す。
御者台に乗っているヴィカトリアからもエーリカを呼ぶ声が聞こえた。
「わ、分かりました!それでは……」
「ええ元気でね、エーリカ」
手を振る侍従長を背に、足早にエーリカは荷馬車に乗った。
「お元気でーーーーー!!!」
エーリカは荷馬車から顔を出して侍従長に大きく手を振る。
「エーリカ王女、そんなに乗り出すと落ちますよ」
「す、すいません!」
「大丈夫だ!俺が支えといてやる!」
「わっ!レイズさんそこ掴まないでください!」
そんな侍従長の姿も、どんどん小さくなっていった。
エーリカは若干涙ぐみながらも、荷馬車の中へ引っ込む。
そこで、何やら考え込んでいるレイズの姿を見た。
「レイズさん、どうしたんですか?」
「いや、お前たちがさっき言ってたグラニアスっつー剣、どっかで聞いたことがある気がすんだよ」
「え、それって……」
エーリカとレイズが乗る馬車は、ガシャガシャ音をたてながらレマバーグの大通りを刻々と過ぎていった。
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