第5話 私には、何もできない
「明日、この町を出ていこうと思います」
突然告げられたエーリカの言葉に、レイズは目を丸くした。
「出て行くって……資金はもう集まったのか?」
「いいえ……ですが、これ以上この町の人を危険に晒したくないんです」
「お前がいると、この町の人が危険に晒されるのか?」
「はい、生き延びた王女を匿っていると知れたら必ず……」
エーリカは一言一句迷うことなくレイズに伝える。
「言ったはずだぞエーリカ。自分のせいにするなって」
レイズの燃えるような紅き瞳が、エーリカの心を委縮させる。
しかし、エーリカもそこで怖気付いたりはしなかった。
彼女の決意は、鋼のように硬かったのだ。
「もし自分に非はないと言い切って国民が弾圧を受けているのを野放しにすれば、それは王族とは言えません。これは私なりの、王族としての責務なんです。私は最後まで、国民を守る王族でありたい」
──たとえ王がいなくなっても、たとえ国が滅びようとも。そこに国民がいるならば王家の一員として、使命を果たせ。
レディニア王国最期の王、エーリカの父が常々エーリカ達に教えていた言葉である。
(お父様はレディニアの情勢を鑑みて、いつかこの国が滅びることを知っていたんだ。だからこそ、私たちにこの言葉を教えていた。いつか自分が死んでも、私たちに託せるように)
そうしてバトンはエーリカに託された。なぜ姉や妹ではないのだろう。なぜ出来損ないの自分なのだろう。
エーリカはレマバーグに亡命してから何度もそう考え続けた。
だが、そんな考えなど浅はかというものだった。
──自分にバトンが渡ってしまったのなら、自分がやるしかない。
それがエーリカの出した答えだった。
「そっか。エーリカの決めたことなら、俺はどこにでもついてくぜ」
「あ、ありがとうございます!」
レイズの温かい返事に、エーリカはぱぁっと翠色の瞳を輝かせた。
「じゃあ、そうと決まれば食べちゃいましょう!いっぱい食べないと力はつきませんよ!」
「おう!」
(これで、いいんだよね……)
食事が終わり一時の自由時間をはさんだ後、明日は早いからと二人は早々に就寝についた。
エーリカはステラが貸してくれたという薄ピンク色のネグリジェを身に着け、天蓋付きの大きなベットに横になる。
そんなエーリカの目線の先には、既にソファの上で鼾を搔いているレイズの姿。
蝋燭が一つだけ灯された、淡い光が漂う部屋の中で、エーリカはベットを占領してしまっている自分を心の中で詫びる。
(私一人ここを使っちゃってなんか悪いな。どうせならレイズさんもここに……いや、それは流石に……)
もともとレイズがソファで寝ているのもエーリカに対する配慮だった。
エーリカが何度もレイズにベットを使っていいと話すも、レイズは「俺は硬い床の上でも寝れるから大丈夫だ!」の一点張り。
(全くもうレイズさんったら……)
微かに微笑みながら、エーリカは心の中で呟いた。
(そういえば、レイズさんはなんで私なんかについてきてくれたんだろう……)
その瞬間、脳裏に蘇ってくるあの日の光景。
燃えゆくレディニア王国を後にする際、レイズがエーリカに発した言葉。
その言葉が、未だにエーリカの脳裏にこびりついていた。
『もしお前の目的を知って、お前を傷つける奴らがいたら、俺がぶん殴ってやるからよ』
(なんで私のために戦ってくれるのだろう……)
何もかも失った自分に、唯一手を差し伸べてくれた人。
(──レイズさん……あなたは一体……)
エーリカは眠り更けるレイズにそう問いかけて、瞳を閉じた。
*
──夢を見た。
それは遠い遠い、幼き日の夢。
愛する人たちと共に、みんなで出かけた花畑。
眼前には、三百六十度満開に咲き誇る紫色の紫苑の花々。
風に揺れる花を見ると、悲しい気持ちは風に乗ってどこかへ飛んで行ってしまう。
「君は花が好きなんだね」
ふと、後ろからすっかりと慣れ親しんだ透き通った声が聞こえる。
純白のワンピースを見事に着飾った栗色の髪の女は、風に飛ばされないよう、麦わら帽子を両手で押さえながら語りかけてくる。
「綺麗でしょ、ここから見る城の景色は。私のお気に入りなんだ」
女は紫苑の花畑の先にある、真っ白な王城を見つめる。
その目はどこか哀しそうだ。
──ねえ、どうしてそんな目をしてるの?
「え?」
──いつもはもっと楽しそうなのに!
思わぬ発言に、女は頬を緩ませる。
「ふふっ、君といる時間が楽しいだけだよ」
──ほんとに!?
「ええ、ほんと」
風が吹いている。それはさながら、時代の移り変わりを告げるように──
「こんな時間が、ずっと続けばいいのに……」
*
「うぅ……」
朝が来た。
カーテンに差し込む陽光が、エーリカを現実の世界に引き戻す。
エーリカはゆったりと体を起こす。あれから、自分は眠ってしまったようだ。
そんなことを考えながら、エーリカは目をこすりつつレイズが眠っていたソファを見る。
しかしそこにレイズの姿はない。代わりに、窓の外を見つめる金髪の少年の姿がひとつ。
「おはようございますレイズさん。早いですね」
「おう起きたかエーリカ」
「窓の外なんか見て、いったい何をされてるんですか?」
「なんか外が騒がしくってよ」
「外?」
寝ぼけ眼のままに、エーリカはレイズに言われるまま外の景色を覗き見る。
眼下に見下ろせる豪華絢爛な庭園には、朝早くから使用人たちがいそいそと仕事に励んでいる。
「わ、私も早く仕事を……そ、そうだ。今日出ていくんでしたよね……」
「それはそうなんだけどよ。あのままじゃ出れなくねえか?」
「あのままって……?」
エーリカが問いかけると、レイズは無言で窓の外を指さす。
イシュタリア家の庭園の外。屋敷の正門付近に、何人かの人影が見える。
いや、何人という表現では物足りない。もはや一つの集団と呼ぶべき数の人々 が、何かが書かれた看板を持ちながら屋敷の前に居座っていた。
(あれは……国民の方々……?)
その看板に書かれた文字を、エーリカが目を細めながら解読する。
(死霊……術師……信仰を……即刻止めろ!?)
ほかにも、エーリカは掲げられている看板を見る。
『イシュタリア家は死霊術信仰を否定せよ』
『アヴァロニカ帝国への服従を』
『事が起こる前にその身で示せ』
「う……うそ……!?」
「おいエーリカ!?」
あまりの衝撃に、エーリカは膝からガクリと崩れ落ちた。
その体はぷるぷると震えている。
「うそ……うそ……」
「エーリカしっかりしろ!」
今までずっと、自分たち王族を信頼してくれていた。
そんな国民が、今まさに自分たちを否定するかのような言葉の羅列が書かれた看板を掲げている。
その事実に、エーリカは心を揺さぶられるほかなかった。
「私がいるから……私がいるから……」
「俺がアイツらに一言入れてくる。だから安心しろエーリカ!」
「ま、待ってください!」
正気に戻ったエーリカの制止も他所に、レイズは部屋を飛び出してしまう。
『もしお前の目的を知って、お前を傷つける奴らがいたら、俺がぶん殴ってやるからよ』
(違うんです、レイズさん……あの人たちは……!)
エーリカも急いでネグリジェからここへ来た時に着用していたワンピースとローブに着替え、レイズの後を追い部屋を飛び出した。
庭園を全速力で駆け抜け、屋敷の正門にやってきたレイズの前には、住民たちの集団が大声で何かを叫んでいる姿が──
「「「「「「「イシュタリア家は今すぐ死霊術信仰を止めろ!!!!!」」」」」」」
そう叫ぶ言葉に、レイズの心はじわじわと怒りがこみあげてくる。
エーリカを悲しませた。エーリカを苦しませた。
エーリカの優しい心を──壊そうとした。
レイズの脳内には、王城で亡骸の数々を見て泣き叫ぶ、ひとりの少女の姿が、
もう、あの少女の泣き顔を見たくない。
それだけの一心で、レイズはその集団を止めようと拳を握った。
しかしレイズが動くよりも先に、集団の一人がレイズの方へ向かってくる。
顎鬚を拵えた黒髪の中年男は、手にしていた三又の鍬を持ったままレイズに近寄り、大声で言葉を散らす。
「お前は屋敷の者か?だったら今すぐ領主を呼べ!」
男は持っていた鍬をレイズに向けて構える。よく見ると他の住民も何かしらの武器を所持しているのが見える。
辺りを見回すと門を護衛していた衛兵含め、使用人は誰もいない。
恐らく使用人たちに危害が加わらないように、ステラがあらかじめ使用人たちに言伝していたのだろう。
「何固まってんだ!?早くしろ!さもないとこれで……」
「そうやってお前らは、エーリカを苦しめるのか……」
「っ!?」
その瞬間、レイズの周りの空気が音をたてて荒れ狂う。
男はそれに驚き、一歩後退した。
が、レイズの瞳がさらに紅く燃え上がり、男はそれに怖気ずく。
「てめえらが、エーリカを……!!!」
次の瞬間、男に向けてレイズの強烈な拳がーー
「ひ、ひぃ!?」
「レイズさんやめてください!!!」
後方からレイズを呼ぶ声が聞こえ、咄嗟に攻撃を止めたレイズ。
そうして後ろを振り向くと、はあはあと息を荒げながら立っているエーリカの姿。
「エーリカ……!」
「お願いします……レイズさん……その方々を傷つけるのは、やめてください……」
エーリカの言葉を聞き、レイズは拳を降ろす。
「っ!?」
再び前を振り向くと、さっきまでの威勢はどこへ行ったかのように、すすり泣く男の姿があった。
「怖いよぅ、お母さん……」
「大丈夫だよ……大丈夫だよ……もしアヴァロニカの騎士が来ても、あなたは私が守るからね」
「万物の神よ……どうか私たちに救いを……」
男だけではない。住民たちの集団の中にも、泣いている子供、そしてその子供を宥めながらも、涙を流してしまう女性。必死にロザリオに祈りを捧げる老婆の姿。
「あの方々は恐れているんです。アヴァロニカ帝国の侵攻を」
「っ!!」
「だからこそ、この町が死霊術信仰を否定しているとアヴァロニカに知らせれば、被害を最小限に抑えられ自分たちの家族を守れる……そう考えたのではないのでしょうか」
先ほどまで住民たちに向けられていたレイズの怒りが、今度はアヴァロニカ帝国の騎士へと変わる。
(なんで、こんなにも国民が苦しまなきゃいけないんだろう。なんで私は、こんなにも非力なんだろう……)
エーリカは、自分が今なにもできないというやるせなさを、改めて感じるのであった。
「私たちは家族を守りたいだけなんだ、だからどうか領主を呼んで欲しい……頼む」
男は泣きながら頭を下げて、レイズに懇願した。
「俺は……」
(せめて、この方だけでも……!)
「私、ステラ様に話をつけられないか駆け寄って……」
「あなたは……エーリカ王女!?」
「え!?」
男は鍬を衝動的に地面に落とし、頭を抱えて座り込んだ。
その目はすでに虚ろで、男の奥底から絶望感がひしひしと湧いてくる。
「な、なぜ死んだはずの王女がここに!?まさか、領主が匿っていた!?お、終わった……このことが知られれば私たちもただじゃ……」
「そ、そんなはずじゃ……!!」
「きゃあああああああ!!!」
「「「っ!!」」」
その時、けたたましい程の悲鳴が聞こえ、レイズ、エーリカ、そして男は声が聞こえた方へと振り向いた。
その方向は、屋敷の正面の大通りからだった。見ると白金の鎧を着た五人の騎士達がこちらに向かって歩いてくる姿が見える。
「な!?」
騎士たちの目の前には小さな子供とその母親らしき姿も窺える。
小さな子供は、騎士たちを通せんぼしているかのように両手を広げ道を塞いでいた。
「や、やめて……!」
「母ちゃんはボクが守……」
瞬間の出来事だった。小さい子供を騎士の一人が蹴り飛ばしたのだ。
その後、母親らしき女性がその騎士たちに命乞いをしているのが見える。
「お願いします!どうかあの子だけは、あの子だけは許して……」
「このガキは俺たちの道を塞いだ。相応の罰は受けてもらわねえとなあ?そしてもちろん、お前もだ」
瞬間、騎士の一人が女性の頬を殴る。その手には籠手が装着されており、女性は血を流して気絶してしまった。
「ったく、これだから人間の皮を被った悪魔どもは!」
騎士たちは盛大にゲラゲラと笑いあう。
それを見た人たちは一気に絶望的な表情を浮かべ、互いにパニックに陥る。
「嘘だろおい……」
「あれはまさか……」
「か、神よ……」
「あれはアヴァロニカの騎士、もうこんなところに!?」
エーリカの脳裏には、レディニアを焼き尽くした鎧騎士の姿が思い起こされる。
(は、早くしないとレマバーグが……!でも、今私が何かしようものなら私を匿っていたことがばれて……何も、できないの……?)
「私のせいで、なんの罪のない……国民が……」
「……っ!?」
「殺されて……」
「ちっ!」
騎士たちの所業に痺れを切らしたレイズが、自らの拳を強く握り負傷した親子の方へ向かう。
「待ってくださいレイズさん!どこへ向かおうとしてるんですか!?」
「どこって……やつらを倒しに行くんだよ!」
「今、レイズさんがあの騎士たちを攻撃してしまうと、アヴァロニカの騎士がレマバーグを攻撃する口実を作ってしまいます!お願いします止めてください!」
「でも誰かを傷つけられてたまるか!」
「私だって何とかしたいですよ!でも、今のままじゃ……何もかもが裏目に出てしまう……」
「くっ……!」
レイズは悔し紛れに拳を下す。
何もできない。俺たちには何もできないのか……
またエーリカを助けた時のように、あの騎士たちに拳を振るえたら。
しかし、思っていることはエーリカも同じだ。
この国の第二王女であったにも関わらず、誰一人として国民を助けることしかできない。見ていることしかできない。
レマバーグに住む多くの人々を助けるには、何もせず、ただ少数の人が痛めつけられているこの惨状も傍観しているしかない。
エーリカのやるせなさも、レイズは心に感じたのだ。
「騎士様!」
「あっ?何の用だ?」
屋敷の前で居座っていた一人の男が、騎士たちの元へ向かう。
「わ、私たちは死霊術師信仰反対派です!あの残虐な行いは決して許されると思っていません!で、ですからどうか私たちの家族だけは……」
「知らねーよ」
「ぐっ……!!」
男の命乞いに応えていた赤髪の騎士が、男の顔を平手で薙ぎ払う。
「よく聞け悪魔ども!俺たちはアヴァロニカ帝国ライオネル騎士団傘下グラスト騎士団!本軍がここへ攻め込む前に俺たちが領主と話をつけにきた。殺されたくなければ、せいぜい丁重に俺たちをもてなせ!!」
赤髪の騎士が冷徹な眼光のまま言い放つ。その声は、レマバーグ全土にまで響くほどだった。
(私には、何もできない……)
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