第1章 旅立ちは必然に

第4話 旅立ちは必然に

 レディニア王国の滅亡、その情報は瞬く間に周辺諸国に知れ渡った。

 というのも、この事件の首謀者であるアヴァロニカ帝国は、自らがこれを起こしたことを公言。

 その後、数日のうちにレディニア王国全土を制圧すると宣言し、反レディニア派や反死霊術師派の国からの支持を広めたのだ。

 またその他の国にも、たった一人の騎士で一国を滅ぼすというとんでもない功績を残したことで、自国の軍事力の強大さを示すことになり、国としての領土、地位とともに拡大させたのである。

 しかし、レディニア王国の第二王女が生き延びたことは知るよしもなく……


 レディニア王国滅亡から五日後、王国の国境付近の町、レマバーグ。

 レンガ造りの美しい建造物が並んだこの町は、古くから隣国ハインゲア王国との貿易の要衝として栄えていた。

 昼下がり、人通りが盛んな石畳の大通りをそわそわとバスケットを抱え歩く一人の少女の姿。

 わずかに伺える質素な紺色のスカートに、大きなこげ茶色のローブを羽織っている。

 顔はフードに隠れて見て取れず、その中でうっすらと揺れる長い茶色の髪。

 誰もが見栄えを華やかせて通るこの大通りで、少女一人だけが影を潜めるように歩いていた。


 大通りには焼きたてのパンや野菜を売る露店が立ち並び、所々で鼻腔をくすぐるいい香りが漂う。

 少女はその一つ、色とりどりのフルーツが並べられている露店に足を運び、中で新聞を読み耽っている無精髭を生やした妙齢の店主に話しかける。


「すみません。オレンジを三つくださいな」


 突然聞こえた少女の透き通った声に、店主は思わず読んでいた新聞を閉じ、少女を見つめる。

 しかし、フードに隠れて確認できない少女の顔に店主は嘆息を漏らしつつ、少女が求めていたフルーツを手に取った。


「ほら、三つで三十バールだ」

「ちょ、丁度です」


 少女は時折わなわなと手を震えさせながら、店主に硬貨を渡す。

 少女の正常ではないその行動に店主は顔をしかめ、その後何かを思いついたかのように一言。


「嬢ちゃん、もしや王都からの避難民かい?」

「え?」



「もしそうだったら、この町をすぐに出たほうがいい。アヴァロニカの連中がここに侵攻してくるのも時間の問題だしな」

「ち、忠告感謝します」


 少女はそれだけを言い残すと、手渡されたオレンジをバスケットに入れ足早に去っていった。

 

 * 


  国境の門から続く長い大通りの先には、レマバーグでもひときわ目立つ大きな屋敷が構えている。

 イシュタリア家、古代の武人イシュタルを連想させるかのような名前を持つ、この町の領主が住まう豪邸である。

 少女は二人の衛兵が仁王立ちする屋敷の正門にたどり着くと、若干息が切れながらもおもむろにフードを外す。

 翠色の瞳を輝かせた端正な顔立ちの少女は、首に掛けられていたアミュレットを外し、それを衛兵にかざした。

 シンメトリーな二つの翼と槍が模られたアミュレットを確認すると、衛兵は白銀に光る門扉をゆっくりと開ける。


「どうぞお入りください」


 少女は衛兵に軽い会釈を返すと、そのまま広々とした庭園へと進んだ。 

 庭園には色鮮やかな草花が芽吹き、丁寧に形作られた低木が少女の歩いている道の両側に立ち並んでいる。

 途中、作業をしていた庭師と目が合い、少女は陽気な挨拶を交わした。

 庭園でもひときわ目立つ大きな噴水を通り抜けると、目の前には大きな屋敷の大扉が見えてくる。

 しかし、少女は屋敷の大扉からは入らずにひたすら外周を周り、屋敷の右端に位置する小さな勝手口から中に入る。

 中では、同一の制服をあしらった数人の女性たちが、狭い部屋の中でせわしなく皿洗いや調理などに没頭していた。


 ここは給仕室。屋敷で食事全般の仕事を行う部屋である。

 少女は着ていたローブを入り口付近にあるポールハンガーに掛ける。

 少女の服装は、職務に没頭する女性たちと同じ質素な制服姿だ。

 やがてその中の一人、最も背の高い赤髪の女性が少女を見つけるなり話しかける。


「帰ってきたんだ。頼んでた果物は買えた?」

「はい侍女長様。この中に」


 少女はバスケットを侍女長と呼ばれた女性に渡す。

 侍従長は少女から渡されたバスケットをのぞき込むが……


「あれ、私リンゴも頼んだけど」

「へあぁ~!す、すいません!今すぐ買ってきま……」

「い、いいよ。あまり外へ出歩かない方がいいのよね?他の侍女に任せるから、エーリカ王女……エーリカは脇で休んできなさい」

「はい、出来損ないですいません……」


 エーリカと呼ばれた少女は、項垂れながら給仕室に立てつけられたベンチに腰掛ける。


(みんなテキパキやっててすごいなあ。私なんか……)

「エーリカ王女、ちょっとこっちへ来てくれる?」

「は、はい!」


 突然呼ばれた自分の名前に、エーリカは多少驚きながらも声の主の元へ向かう。

 給仕室を出ると、そこには豪華な装飾をあしらった小太りの中年女性が立っていた。


「突然呼び止めてすいませんね。侍女の仕事はどう?」

「私にはまだまだです」

「まあ王女様にいきなり家事をやらせろなんて無理な話よね。差し支えなければ、もっと簡単な仕事に変えてあげるけど……」

「いえ、今の私はこれで十分です」

「そう……ああそういえば、呼び止めた話だけど」


 女性は何かを思いついたように話を進める。


「私の知人の街にアヴァロニカ帝国の騎士が侵攻してきたらしくて……此処ももうすぐ危ないわ」

「はい、露店の方からも忠告を受けました」

「まだここへ来てから数日しか経ってないけど、そろそろハインゲアへ向かった方がいいんじゃないかい?」

「分かっています。時が来たら迷惑をかけぬよう、早急に屋敷を出ていきますので」

「時が来たらって、何か思い残りでもあるの?」


 少女は翠色の目をまっすぐと向け淡々と女性に話す。


「ただの我儘なのですが、王女という肩書が取れたのでもう少し庶民の皆様の生活に慣れたいんです」

「ふふっ……庶民の生活を知ることは王族として大事なことよ。かくゆう私もそのために領主を継いだんだからねえ」

「ステラ叔母様は庶民からの信頼が厚いと常々聞いておりました」

「あらそう。まあ何事もほどほどに。ハインゲアに行くことは早期に決断することをおすすめしておくわ」

「分かりました。ステラ叔母様」

「ああ後、明日なんだけどね。あのカルテット商会の会長が商談に来るらしいのよ。あなたと会うかは分からないけれど……一応覚えておいてね」

「え、わ、分かりました」


 ステラと呼ばれた女性はエーリカにそう告げ終わると、手を振りながらゆっくりと去っていった。


「早期に決断、か……」


 エーリカはステラの言葉に少し考えこみ、急いで給仕室へと戻って行った。


 * 


「はぁぁ、疲れました〜」


 時刻は午後6時過ぎ。一仕事を終えたエーリカは、自身が寝食に利用する屋敷の客間に戻ってきた。


「おうおつかれ!エーリカ」


客間の扉を開けると天蓋付きの寝台の上で、金髪の少年がボリボリと野菜のスナックを貪り食いながらエーリカの帰りを出迎える。


「お疲れじゃないですよ。ベットの上でお菓子を食べると食べこぼしが散らばるじゃないですか。しかもそこ、私が寝るところなんですが!?」

「お、わりぃわりぃ」


 少年は寝台を降り、独特な装飾のソファにもたれかかりながら再びスナックを食べ始める。

 豪華絢爛な部屋の装飾になんとも不釣り合いな行動をする少年の姿は、まるで仕事は全て部下にやらせ自分は部屋で惰眠を貪る悪徳領主のようだ。


「全く、レイズさんは執事の仕事はどうだったんですか?」

「そうだなあ、順調と言えば嘘になるな」


「何で嘘つくんですか……どうせまた、他の侍女や執事の皆さんに性懲りもなく戦いを挑んでたんですよね?」

「おぉー!よく分かったじゃねえか」

「おぉーじゃないですよ。本当、旅立ちの資金を集めるために叔母さまに頼み込んで得た仕事なんですから、しっかりやってください」



 エーリカは先程までの自分の失態を完全に棚に上げたのだが、レイズと呼ばれた金髪の少年にそんなこと分かるはずもなかった。


「おう!」

「本当に出来るんですか……」


 エーリカはレイズの快活な返事に首を傾げつつ、締められた赤いカーテンを僅かに開け、外の景色を見る。

 窓の外には、レナバーグの美しい夜景が見えた。

 エーリカはその景色に思わず感慨深いなり言葉を綴る。


「今日、この町の繁華街に行ってきました。住民のみなさんはみな活気にあふれていて……もうすぐアヴァロニカが攻めてくると思うと、申し訳なさがいっぱいです……自分にもっと、何かが出来たかもしれないなと」


エーリカはぐっと拳を握り締める。


「エーリカ、レディニア王国が滅んだのを自分のせいにしちゃダメだ。レディニア王国を再び取り戻すのはお前の役目なんだろ?」


 レイズは深紅に輝く瞳をエーリカに向けながらそう伝えると、ニヒッと微笑む。


「そう、ですよね……」


 エーリカは静かにカーテンを再び閉めると、笑みを浮かべながらレイズに話しかけた。


「私夕食を貰ってきますね」


 * 


 エーリカとレイズが寝泊りに使う客間は、屋敷の二階左側の最奥に位置している。

 そのため、食事を受け取りに給仕室へ行くには二階の長い廊下を抜け、階段を下りて一階へ向かわないといらない。


(多分食事もできているだろうし、急いだほうがいいよね)


 そう思ったエーリカは歩調を早める。


「ねえ聞いた?アヴァロニカ帝国の騎士、もうフランソワまで攻めてきたそうよ」


 歩いている途中、ふと聞こえてきた声にエーリカは思わず耳を傾ける。

 声が聞こえてきた部屋は、僅かに扉が開き中の光が漏れていた。


(ここってたしか、屋敷で働いている使用人の休憩所だ)


 エーリカは中にいる人物に気付かれぬよう、音を消しながら会話に耳をそばだてる。


「フランソワって、ここからそう離れてない町よね。てことはもうすぐここに……に、逃げないと……!」

「逃げるなんて無理よ!私たちはただの使用人よ。ステラ様も未だに事態に感づいておられないし、ついにはエーリカ王女まで匿って……」

「……っ!エーリカ王女を匿っているとアヴァロニカ帝国に知れたら、私たちなにをされるか……!?」

「い、嫌だわ!家族もこの町に住んでいるのに。あぁステラ様はなぜ王女なんか匿ったの!?」

「しっ!ステラ様は王族と親密な関係なのよ。静かにしないと聞かれるわよ」


──私だ、私のせいだ。


──私のせいで、国民はこんなにも怯えて


 ふとエーリカの脳裏に、先ほどのレイズの言葉が頭をよぎる。


『エーリカ、レディニア王国が滅んだのを自分のせいにしちゃダメだ。レディニア王国を再び取り戻すのはお前の役目なんだろ?』


(自分のせいにするななんて、無理ですよ……)


 その後、エーリカは何かを決心したかのように足早にその場を去った。


「はいこれ、今日の夕食」


 給仕室にやってきたエーリカは侍従長から2人分の料理が載ったお盆を渡される。 

 今日のメニューは香ばしい香りがする牛頬肉のソテーに、焼きたてで湯気が漂う黒パンだ。


「あの、何度も言ってますが今の私たちはただの使用人なのですから、皆さんと同じ食事で大丈夫ですよ」

「エーリカが良くても私たちの気が済まないよ。王族に生半可な料理なんて出せないってね。申し訳ないけど、諦めて食べてよ」

「いえ、そんな……」

「本当はステラ様と一緒に食事なさってもいいんだけど。ステラ様は使用人と一緒に食事なさるのがお好きな方だから」

「私が一緒にいてしまうと、皆さん気を使ってしまいますので。それに……」

「そこは王族としての立場があるんだね」 

「うっ……」


 エーリカは図星を突かれて言葉を失ってしまう。


「ははっ、エーリカは変なところで王族らしいっていうか。少なくとも、そこがエーリカのいいところだと私は思うけどね」

「いいところなんて……私はいつも失敗だらけで……」

「料理冷めちゃうから早く持っていきなさい」

「そ、そうでした。すみません、ありがとうございます」


 侍女長に肩を押されたエーリカは、お盆を持ってそそくさと給仕室を後にした。


「全く、誰かが止めないとエーリカはすぐ自分を責めちゃうんだから」


 *


 客間に戻ってきたエーリカだが、両手が塞がっていて扉を開けることができず、やむなく中にいるレイズに声をかける。


「すみません。今貰ってきました」

「おう、遅いぞエーリカ」


 中からレイズの陽気な返事が聞こえ、やがて扉がガチャリと開く。

 エーリカは中に入るなり、ガラスのテーブルに料理を並べ始めた。

 最後にナイフ、スプーン、フォークを料理の手前に置いて、エーリカはほっと一息つくとレイズと机を挟んだ長椅子に座る。


「よし食うか」

「そうですね。イルドーザの御加護に感謝を」


 食べる直前、エーリカは両手でイルドーザ二の模様を形作り、自分の胸に当てる。


「なあ、いつも飯食う前にするそれはなんなんだ?」

「レディニア王国の食事をする時の作法ですよ。万物の神イルドーザに大地の恵みを感謝するんです。レイズさんもやってください」

「こ、こうか……?」

「ふふっ、ぎこちないですね。まあいいでしょう」


 二人はそんなたわいのない会話を交わしつつ、牛頬肉のソテーをスプーンで口の中に運ぶ。

 頬肉のとろけるような柔らかさとソースが絶妙に絡み合い、包み込むような美味しさを感じる。


「ここの料理は相変わらずうまいな!」

「煮込み具合が最高です」


 しかしそんな感想とは正反対に、エーリカの顔は沈鬱な表情を浮かべていた。


「どうしたエーリカ、こんなうまいのに浮かない顔して」

「いえ、あの……」

「なんかあるんなら言えよ」

「……っ!あの、レイズさんにお話があります……」

「話?」


 エーリカはゆっくり息を吸い込み、そして淡々とレイズに告げる。


「明日、この町を出ていこうと思います」

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