第3話 古代魔法の使い手
「やれやれ、これだから私は蠅が苦手なのだ。すばしっこいしすぐ逃げる」
目の前の鎧の男が何を言っているのか、エーリカにはわからなかった。
ただ一つ言えることは、今の状況が最悪だということだけ。
「まあいい、貴様もすぐにそいつの後を追わせてやる」
「ふざけないでください!あなたは誰ですか」
「なぜ蠅ごときに名を明かさねばならぬ?」
この男に自分たちの言葉は通じないと、エーリカは直感で感じた。
「なぜ、私たちを蠅などと呼ぶのですか?」
「死霊術信仰などという馬鹿げた行いをしてきた貴様らを蠅と形容して何が悪い?」
「な、私たちは人間で……!!」
「死者を弄ぶ貴様らに人間の倫理など通用しない!!」
鎧の男が声を荒げて叫ぶ。
間違いない、エーリカのことを人間とも思っていない男の冷徹な思想。
この男はアヴァロニカ帝国の騎士だ。
エーリカはイルゼの亡骸を自分の後ろに寝かせ立ち上がった。
死は覚悟していた。エーリカは鎧の男の方を向く。
「抵抗するか、蠅め」
鎧の男はエーリカに剣先を向ける。
「私たちが何をしたのですか……?あなたたちが私たちを嫌悪している理由は理解できますが、それでも何の罪もない人を巻き込むことはないじゃないですか」
「蠅のくせによく分かっているじゃないか」
「じゃあなぜ……」
兜から男の黒く虚ろな目が見えた。
鎧の男は虎視眈々と話す。
「じゃあ逆に聞くが……」
「貴様は目の前に現れた蠅を害があると知っていて殺さずに放っておくのか?」
「え……?」
そういうと、鎧の男は剣を鞘に納めて話し始める。
その禍々しい黒眼は、明らかにエーリカたちを人として認識していない目だ。
「今までは、蠅ごときに恐怖する愚かな連中に止められていたが、そんなものまやかしだったようだ」
男は燃え盛る王都を蔑むかのように仰ぎ見る。
「見てみろこの惨劇を。死霊術などという邪道に縋っていたばかりに、私になす術もなくやられていく蠅たちの顔は見事に滑稽であった!!」
鎧の男は両手を天空に突き上げ盛大に嘲笑する。
(まさか、この現状は、この人一人によって引き起こされたものだとでもいうの!?)
エーリカは目の前の男に悪寒を覚えた。男はなおも話をつづける。
「命の危険を感じ私に縋る蠅もいた。なんと哀れなことだ!」
酷い、酷すぎる。この男に人の心はないのか。
エーリカは高笑いする鎧の男に嫌悪の表情を向けた。
「なんだ、その目は?」
鎧の男は話し終えると再び鞘から剣を出し、エーリカに向けて構えた。
男はさっきまでの高笑いはなかったかのように、冷たく低い声でエーリカに告げる。
「安心しろ、貴様はゆっくりと地獄のような苦しみのまま、生涯を終わらせてやる」
そういうと、鎧の男の剣が業火の如く燃え始めた。
その炎は皮肉にも、この火災を全てこの男が起こしたという証拠を物語っていた。
鎧の男はその炎をエーリカに向けて放つ。
この時のエーリカには、それを避けることさえままならなかった。
(いや!)
凄まじい勢いの炎がエーリカの周りを包む。
(あぁ、私もう、終わりなのかな……)
その瞬間、エーリカの中で走馬灯が流れた。
幼いころ、父や母、三姉妹と訪れた花畑。
母を亡くし、泣き崩れたエーリカを父が宥める光景……
不覚にも最期に流れたのは、レイズという少年との短い、しかし忘れられない時間だった。
(結局、レイズさんに謝れなかったな……)
──エーリカは静かに瞳を閉じた。
(もうちょっとだけ……生きていたかった……)
「なに……やってんだ、このバカ野郎!!!!!!」
どこからかここにいるはずのない少年の声が聞こえた気がして、閉じていた瞳をゆっくりと開けたエーリカ。
目を開けた先では、金色の髪をなびかせた少年がエーリカに向けて炎を放つ鎧の男を吹っ飛ばした。
(うそ!)
「グハァァァァァァ!!!」
鎧の男はそのまま王城の壁に衝突する。ドガンという衝突音が鳴り響く。
その後、金髪の少年はエーリカのほうへ向かい、ニカッと笑いながらそっと手を差し伸べた。
「大丈夫か、エーリカ」
「逃げろって言ったじゃないですか……」
「あ?」
「あなたは、どうして、こんな無茶をするのですか!?」
エーリカは困惑しながらレイズに問いただした。
「理由なんてねえよ」
「じゃあ、何のために私を助けるんですか!?」
「じゃあよ……」
レイズは一度下を向いてから、何食わぬ顔でエーリカを見つめる。
「“友達”を助ける、それじゃダメか?」
「え……?」
レイズはさも当たり前かのようにエーリカにそう答えた。
その時、エーリカの脳裏に浮かんでくる幼い頃の記憶。
ずっと自分を卑下してきたエーリカにとって、初めて自分を賞賛し友達になろうと言ってくれたある少女の姿。
「安心しろエーリカ、俺は絶対、お前の前で死なねえからよ」
ニカッと笑いながら、金髪の少年はエーリカにそう答える
思えばこの少年は、どんな時も笑って、エーリカを勇気づけていた。
曇りがかったエーリカの瞳が、再び翠色に輝く。
今の少年の笑顔ほど、エーリカにとって頼もしいものはなかった。
「っし!行ってくるわ。待ってろよ、すぐ終わらせて……」
「レイズさん!!」
レイズの上から、炎を纏った剣が振り下ろされる。
直後、大きな轟音とともにエーリカが目を開けられないくらいの熱風が吹く。
「愚者め、蠅の味方をするとは。いや、貴様も蠅だったか?」
衝撃により、テラスの瓦礫で辺りに粉塵が舞い散る。
レイズがどうなったのか、エーリカにはわからない。
「レイズ、さん……?」
エーリカは見えもしないレイズにそう話しかける。
「言っただろ……!俺は死なねえって……」
瓦礫の粉塵が晴れ、再び目の前の光景が見える。
レイズが左腕で剣を受け止めたとともに、何故か鎧の男が再び吹き飛ばされた。
「ぐっ、あぁ……!!」
男は地面に手足を地につけ倒れこむ。
「く、なぜだ、私は蠅に向けて確かに剣で攻撃したはず」
「あれは、
一瞬、何が起こったのかわからなかったエーリカだが、すぐに記憶を思い出す。
昔、エーリカは大英雄のことを調べていた際に古代の魔導書で見たことがあった。
魔法とは、体内の魔力を使い、無から有を生み出す奇跡のみわざ。
その魔法は術者によって生み出された時に、魔導書という書物に発動方法などが記載され、後世に伝えられる。
しかし、大英雄が生きていたという三百年前、あまりの強さから国を滅ぼしかねないと考えたある国の王に命じられ、魔導書にも書かれないまま滅びた十二の魔法があったという。
──その名も
目の前の金髪の少年は、その一つを鎧の男に向かって放ったのだ。
しかし、倒れていた鎧の男は再び立ち上がる。レイズは男に向かって話しかける。
「なぁ、お前の名前は何だ?」
「蠅ごときに名を明かすなど……」
「いいから、お前の名前は何だ?」
レイズの燃えるような紅い瞳に、鎧の男は圧倒される。
「私は……アヴァロニカ帝国最上級騎士、ライオネル騎士団所属のディムルット・レギオンだ」
「ほえー、長げー肩書だなー」
「貴様、蠅如きが私を侮辱するなど」
「いや、楽しくなってきちまって」
「なんだと!?」
「エーリカは結局戦ってくれなかったからよお、お前でいいや、俺と戦ってくれよ」
この期に及んであの少年はまだあのことを根に持っているのか。
エーリカは非常事態にも関わらず、思わず微笑んでしまう。
だが、ディムルットから放たれる言葉は冷酷だった。
「戦うだと……?貴様ら蠅はおとなしく私に駆除されておけばよい!」
そう言うと、ディムルットの剣から猛烈な威力の炎が放たれる。
「お?やるなー」
しかし、レイズはその攻撃を華麗に避ける。
レイズは炎の攻撃を避けながらディムルットに近づき、兜に包まれた顔に向かって蹴りを入れる。
「ぐっ……!」
ディムルットは両腕で攻撃を受けとめるが、その威力に思わず後退し体勢を崩す。
──レイズはその一瞬を見逃さない。
すぐさまディムルットの懐に回り、下から拳を突き上げる。
衝撃でレイズが立っていたテラスが円状に弾けた。
ディムルットは宙を舞って一回転。
レイズはそのまま凄まじい勢いで跳躍し、宙を舞うディムルットのさらに上空から強烈な拳を喰らわせる。
「お、おのれ……!」
ディムルットはもないままテラスに衝突し、全身を地面に打ち付けた。
テラスはディムルットを中心に、空間が抜けたように大穴が開いた。
「ぐ、ぐはぁ……」
ディムルットは鎧の隙間から血を流す。
「蠅ごときに、私がっ……」
「蠅じゃねえ、俺たちは人間だ」
レイズはディムルットに近づくと、倒れたディムルットを見つめそう話した。
「貴様、私を見下しているのか?」
「そんなんじゃねえよ、まだ戦いは終わってねえだろ?」
そう言うと、レイズは右手を突き上げ再び戦闘態勢に入る。
「我が炎は地獄から生まれし獄炎。蠅なぞに止めることなどできない」
突然そう言いながらよろよろと立ち上がったディムルットは、剣からおぞましいほどの黒炎を放つ。
どす黒く剣に纏わりついた黒炎に、レイズは思わず目を丸くする。
(我が炎に恐怖したか……)
ディムルットは兜の奥でにやりと笑いその炎を放出した。
黒炎は電光石火の如くレイズに襲いかかる。
もはやそれを避ける暇さえない。
──だが、レイズから放たれた言葉は、ディムルットにとって予想外の言葉だった。
「すげえな! そんなこともできるのか!」
「……!?」
レイズは地面に向けて拳で攻撃し、その衝撃波で黒炎を分散させる。
そして、勢いよく跳躍し、ディムルットに近づいた。
「たまには下も見たほうがいいぜ、強え奴は上にも下にもいるからな。下にいるのは、蠅だけじゃないかもしれないぜ?」
「き、貴様あぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
ディムルットは攻撃を放とうとするレイズに再び黒炎を放つ、しかしそれより先にレイズの腕が金色に光を放つ──
「ぐ、ぐあぁぁぁ……!!!!!!」
金色に光る拳はディムルットの鎧を粉々に砕く。
「貴様はいったい……!!」
「俺はレイズだあァァァァァァ!!!!!!」
ズガガガガガガッ!!!
ディムルットはテラスを突き破り、炎の海の中に消えていった。
戦いの一部始終を見ていたエーリカでさえ、目の前で起こった出来事を全くと言っていい程理解できなかった。
それもそうだ、この災害を起こしたはずの大柄の鎧騎士を、一回り小さい金髪の少年が倒したのだ。
その衝撃に、エーリカは未だに唖然としていた。
戦い終えたレイズがエーリカの下へやってくる。
──その表情は暖かく新鮮だった。
「よぉエーリカ、終わったぜ」
「レイズさん、あなたはいったい」
その時だった。先ほどの戦いの影響なのか、エーリカとレイズの足元が崩れテラスが崩壊し始めた。
「お?」
「きゃ、きゃあああああ」
「エーリカ、しっかりつかまってろよ」
「ちょ、レイズさん?」
そう言うと、レイズは左腕でエーリカを、右腕でイルゼの亡骸をひょいと抱え上げた。
「へ?あのー地上までどれくらいあるのかわかってるんですか?」
「おう、行くぞエーリカ」
「待ってください、絶対わかってないですよね!?」
エーリカの説得もむなしく、レイズは余裕そうな表情のままテラスから地上まで飛び降りた。
「ひゃ、ひゃああああああああああああ……!」
レイズは二人を抱えたまま、高速で地上に落下する。
やがて、眼下に王城の街道が見えてきた。
(このままだとぶつかって……!)
エーリカがそう考えるのも束の間、レイズは地面に向けて魔法を放つ。
レイズは地面にふわりと着地した。
後ろでは激しい轟音とともに、崩壊したテラスが落ちてくる。
(これってもしかして、禁書庫で使ってたあの魔法……!?)
「ここにいたら危ないから……急いで城の外に出るぞ!」
レイズはそのまま石レンガの街道を高速で駆け抜ける。
目指すは壁の奥に見える小高い丘だ。
エーリカはレイズに抱えられたまま、燃え続ける住居の数々を見て感傷に浸った。
(私が育ったこの王国とも、今日でお別れなんだ……)
石レンガの街道を抜け、王国の城門にやってきたときにはすでに王城は崩壊し、焼け野原と化した王都は火災による煙で見えなくなっていた。
*
王国が一望できる小高い丘にやってきたレイズとエーリカ。
辺り一面は王都の焼け野原とは違って草原が広がっている。
エーリカは丘の頂上にイルゼの亡骸を埋葬した。
イルゼの顔は、心なしか穏やかで笑っているように見える。
エーリカはイルゼの墓の前で、目を瞑り祈祷をささげた。
「イルゼ……天へ昇ったあなたに、万物の神の祝福があらんことを……」
その祈る姿は、少女とは思えないくらい大人びていた。
祈祷が終わり、立ち上がったエーリカは燃えゆく王都を見つめる。
そうしてエーリカの横に立ったレイズに話しかけた。
「私は幼いころから、死霊術は道半ばで散っていった人たちにもう一度生きるチャンスを与え、安らかな気持ちで万物の神の下に送ってあげるという術だと信じてきました。しかしディムルット様の話を聞いて……私はこれから死霊術師として生きていいのでしょうか」
エーリカの翠色に澄んだ瞳が潤う。
迷っていたのだ。自分が死霊術師を続けていいのかを、
今回のように大切な人を失ってしまうんじゃないかと──
レイズは口を開く。
その言葉は、エーリカにとって予想外で、優しい言葉だった。
「それは、俺が決めることじゃねえ。お前が決めることだ」
「え?」
「周りがどう言おうとそいつの勝手だが、お前はそれを“希望”だって信じてきたんだろ? ならこれからも信じ続ければいいんじゃねえの?」
「ですが、今も死霊術師に対する風当たりは決して弱くはないんです。なのに私が死霊術師を続けたら、私についてきてくれる人まで巻き込んでしまいますし……」
「なら、死霊術師もそうじゃないやつもみんな仲良く暮らせる国を作ればいいじゃねえか。父ちゃんと約束したんだろ?」
「っ!?」
「安心しろ、もしお前の目的を知って、お前を傷つける奴らがいたら、俺がぶん殴ってやるからよ」
「レイズさん……!」
レイズがニコリとほほ笑む。その笑顔に何度救われたかわからない。
エーリカは涙ぐみながら、レイズに釣られて微笑んだ。
「やっと笑ったな」
「ふへ……?」
「だって、お前王都にいるときからずっと泣いてたじゃねえか」
「な、あれでも泣くのを我慢してたんですよ!」
「ふ……お前、本気で言ってんのか……ぷぷぷ」
「あ、酷い!レイズさん笑いましたね!」
「わりぃわりぃ」
エーリカの表情は、王都での出来事がなかったかのように、明るく冴えわたっていた。
「で、これからどうするんだ?」
「国を作るというのはありえないくらいの最終目標なので、まずはお金を稼がないといけませんね」
「なっ!?まだ国作らねえのか!?」
「当たり前ですよ!何言ってるんですか!」
「じゃあどうするんだよ!」
「そうですね、まずはハインゲア王国に行ってみましょうか?」
「ハインゲアって、お前が言ってた永久きゅうじつ国のことか?」
「永久中立国です……大丈夫なんですかその国?」
「ハインゲア王国なら、私たちは多少なりとも住みやすいだろうし、行ってみる価値はあるかと」
「ほえー、じゃあ早速行くか!」
「まぁ、ここからハインゲアまでは馬車で1日以上はかかりますけどね。しかもこの惨劇で馬車動いてないでしょうし」
「よし!じゃあ歩いて行くか」
「え!?あのレイズさん今私の言葉を聞いてなかったんですか?それとも脳筋なんですか?」
「お前今何つった」
「でもまあ……それしか方法はありませんね。そうだ!まずはハインゲアで生活するためのお金を集めましょうか。丁度国境の町に知り合いがいますので。さぁ!早速行きましょう!」
「おい待っ、まだ話は終わってないぞ……俺と戦えええ!!」
この日、一つの時代が終わりを迎えた。
三百年にわたって栄えたレディニア王国の滅亡。
しかし皮肉にもそれは、新たな物語の始まりを告げる鐘でもあったのだ。
「始まる……」
──誰も知らない深き森の中で、一人の妖艶な女が静かに微笑んだ。
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