第2話 私には資格はない
「うそ、うそ……!!」
うかつだった。エーリカが禁書庫であんなことをやっていたうちに事態がここまで深刻化していたとは思いもしなかった。
エーリカは頭が真っ白になりながら燃え盛る炎で赤く染まった王城内を駆け抜ける。
「あちち、おい、エーリカ待てよー!」
レイズがエーリカの後を追う。しかし、既にレイズの声もエーリカには届かない。
途中、エーリカは飛び散った火の粉で皮膚に火傷を負う。
(痛い!痛い!)
すでに皮膚はところどころ赤く爛れている。しかしエーリカは止まることはできなかった。
ここで止まってしまえば、エーリカは家族の安否も分からないまま、炎の渦の中で息絶えてしまうだろう。
エーリカはそれをわかっていた。だから走り続けた。
(お父様、姉様、イルゼ……!)
王城の階段を下りる。一つ下の階に差しかった時、エーリカは見たくもなかった光景を目の当たりにしてしまった。
階段脇の部屋の前には、いくつもの死体が転がっていた。
死体は焼け焦げていて、すでに誰が誰なのか判別できない。
しかし、死霊術師のエーリカには、それが誰なのか一目でわかってしまった。
エーリカにいつも付き添ってくれた侍女、ヘレナ。
魔術実験を失敗しまくるエーリカにいつも手を焼いていた魔術講師、アスラン。
死霊術師は死体に僅かに残っている残留魂から、その人を判別することができる。
そこにいたのは、エーリカの知っている人ばかりだった。
(あっ、あぁぁぁぁ……)
泣かないようにしていたエーリカにも、これが限界だった。
エーリカの翠色の瞳から涙がボロボロと零れ落ちる。
追いついたレイズも、その光景に絶句せざるを得なかった。
「おい、これって……」
「みんな……私のせいなんです」
「エーリカ……?」
問いかけるレイズに、エーリカは泣きじゃくりながら答える。
「大好きなヘレナおばさんも、アスラン先生も、みんな、私のせいで死んだんです……!!」
「せいって、どういうことだよ」
「ここは、私の部屋の前なんです。私が禁書庫に行くことを知らせなかったから、多分、みんなは出てこない私を呼びに来て……」
そう言うと、エーリカはまるで何かに導かれたように、再び走りだした。
「お、おい、待てよ……!」
レイズも再び後を追いかける。
エーリカの通った廊下には、無残にもいくつもの死体が転がっていた。
王国の騎士たちからエーリカの知る者まで、もはやエーリカは魂を判別することさえ諦めてしまった。
(ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……)
エーリカは嗚咽しながら心の中でそう叫び、王城の謁見室に向かう。
*
レディニア王国は王都全体が一つの巨大な城から成っている。
王城内は居住区、商業区、農業区、娯楽場の四つに区画され、王都に暮らす王国の民はそこでのびのびと暮らしていた。
歴代国王はいずれも善政を敷いており、内乱もほとんどなかったこの国だが、他国との関係は完全に冷え切っていた。
「死霊術信仰」この一点だけで、他国はレディニア王国の人々を邪教徒と見下し、一国を除き交易すら行われなかった。
それでもレディニア王国が三百年間滅ぶことの無かったのは、この国が平和だったからである。
「はぁ……はぁ……」
王城の廊下を抜け、独特の装飾をした金色の扉がある大広間までやってきたエーリカ。
泣きながら走っていたことで涙はとうにかれ、瞼は赤く腫れていた。
エーリカは道中の死体の数々を思い出して吐き気を催し扉の前に座り込む。
いや、吐き気だけではない。この扉の先にあるものの最悪の展開を想像し、扉を開けることを拒んだのだ。
なぜなら、扉の横には──衛兵と思われる者の死体があったから。
「嫌だ……嫌だぁ……」
枯れていたはずの涙が再び流れ始める。
エーリカは自分の乱れた心を落ち着かせるために深呼吸をした。
やがて、精神を落ち着かせて立ち上がると、意を決して扉を開ける。
エーリカの細い腕を懸命に押し付け、扉がゆっくりと開いていく。
扉がすべて開らき、ドゴンと鈍い音がする。
エーリカは感情を今までの押し殺し、中に入っていく。
広い謁見室の中は暗く、エーリカの呼吸音だけが微かに聞こえてくる。
「はぁ……はぁ……」
ふいに何かにぶつかり、エーリカは思わず下を見下ろす。
「ひぃ……!」
そこには、王国の宰相だった者の屍があった。
エーリカは再び吐き気を催し、涙があふれそうになる。
だが、エーリカは涙を堪え先へ進んだ。
行く先々には貴族や大臣だった者の死体が転がっていた。
エーリカはそれを見るたびに、不快感と吐き気を催す。
しかし、ここで止まれるはずがない。
エーリカはゆっくりと進み続けた。
やがて演台の上の玉座が見える。玉座には何者かの人影が見えた気がした。
エーリカは残り少ない体力で演台の上に上がり玉座を見た。
──玉座には金色の王冠をかぶり、長い無精ひげをたくわえた老齢な男が血を流しながら静かに座っていた。
分かっていた。これだけ人が死んでいるのに一人だけ助かっているはずはないのだと。
だがエーリカは小さな希望に縋りつくしかなかった。
それはこの男が自分にとって、とても大切な人だったからだ。
「お父様……!」
不意にその男との思い出が走馬灯のように蘇ってくる。
幼いころに母を亡くしたエーリカを嘆いた父親は、国王であるにも関わらずエーリカたち三姉妹をとても大切に育てていた。
エーリカは冷たくなった父を抱き、今までで一番の涙を流す。
その声は、静かだった謁見室いっぱいに響かせた。
「エー……リカ……なの……か?」
不意にそんな声が聞こえた。
「お父……様……」
エーリカが父のほうを向くと、微かに瞳を開け、口をパクパクさせていた。
「よか……った、生きていたのだな……」
「お父様こそ……待っていてください、今回復させますから!」
エーリカは急いで玉座に座っている父親に両手かざす。
次の瞬間、両手から紫色の光が放たれた。
「お願い……私の魔力、持って……」
だが──。
「お父様……なぜ止めるのですか……!」
エーリカが嗚咽を漏らしながら質問する。
父はエーリカの両手に自分の手を添えて、術の発動を止めたのだ。
「エーリカ……お前の魔力は僅かだろう……今の私にそれを使えば、お前の命が持たん……」
「何を言っているのですか……早く回復しないとお父様の命が……!」
「いいかエーリカ……私の命はどのみちもう僅かだ。それに、仮に私が術で回復したとして、お前が死んでしまったら私は自分が生き残ったことに後悔するだろう。頼む、私の話を聞いてくれ……お前は私の希望だ……」
「お父様……」
エーリカはやるせない気持ちのまま両手をだらんと下げ、静かに父親に伝える。
「私はずっとずっと……お父様のことが好きでした……これからも、それが覆ることはありません……お父様は永遠に私の憧れです……」
「分かっている。最愛のわが娘よ……」
「よいかエーリカ……お前に国王としての、最期の命を伝える」
父は国王に変わり、最愛の娘に話しかけた。
「おと、国王様……」
「この王国は間もなく滅ぶだろう。しかし、この国の文化、伝統、国民の誇りは絶対に絶やしてはならぬ……エーリカ、お前がいる限り、それは保たれ続けるのだ」
父は最期まで賢王としての責務を果たし、話をつづけた。
「頼むエーリカ。生きなさい。そしていつか、然るべき時が来たら、お前の手でそれを復興させてくれ」
「お父様……」
「それがどれだけ困難な道かはわかっている。お前に無理をさせてしまうこともな。だが、頼む……エーリカ」
「分かりました……必ず、叶えてみせます」
エーリカが泣きながらそう答えると、国王は優しく微笑んだ。
「ありがとう……我が……最愛の娘よ……」
「あぁ……最期に、イザベラとイルゼの顔を見たかったものだ……」
「お、お父様ぁ……」
「レーラよ……今……行くぞ」
そういうと、国王は静かに目を閉じる。
エーリカは国王の亡骸にしばらく寄り添い続けた。
*
国王を看取った後、エーリカは大広間の扉の前に戻った。
扉の前では、レイズが謁見室を静かに覗いている。
「レイズさん……お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
「いや、父親を亡くすのは誰だって辛いことだ。エーリカ、お前、王女様だったんだな」
「……隠していてごめんなさい。改めて、私の本名はエーリカ・ディル・レディニア。この国の第二王女です」
「なぁ、いったいこの国で何が起きてるのか、教えてくれねえか?」
レイズの質問にエーリカは少し考えて、やがて静かに答える。
「分かりました。これは推測に過ぎないのですが、お答えしますね」
「レイズさんは知らないでしょうが、死霊術師は死者蘇生という観点から悪いイメージを持つ人が多いんです。実際、他の国では死霊術師の存在を禁忌とし、禁止しています」
「だからこそ、死霊術信仰をするレディニア王国は永久中立国であるハインゲア以外の国からは蔑まれてきたんです。その中でも、東の帝国アヴァロニカは過去の歴史からレディニアを非常に嫌悪し、何度も攻撃を仕掛けようとしていました」
「そのたびに、死霊術師を恐れていたほかの国がアヴァロニカを止めていたのですが……」
「じゃあ、アヴァロニカっつう国がこれを起こした犯人なのか? 」
「確証はありません。ですが、これだけの人災を起こせるのは強力な軍事力を持つアヴァロニカしかありえないと……思います。ですので……」
「どうした?エーリカ……」
話し終えるとエーリカは下を向いて沈黙する。その後、震える声でレイズに懇願した。
「今ならまだ。城を抜けられると思います。レイズさんはここから逃げてください」
「何言ってるんだよ。エーリカお前……」
「お願いします……もう私の前で、大切な人が死んでいる姿をもう見たくないんです……」
エーリカは嗚咽しながらレイズに懇願し続ける。その弱弱しい声に、レイズでさえも口をつぐんでしまう。
「お願いします……お願いします……」
「お前はどうするんだよ……」
「私はこの国の王女として、国民を守る義務があります。ですので、私は城に残ってまだ生きている国民を探します」
「馬鹿言うな!城にはまだアヴァロニカの奴らがいるかもしれないんだぞ!」
「それで死んだら、私の本望です……」
「何言ってんだ、お前の父ちゃんとの約束はどうなるん……」
「いいから逃げて!!!!!!」
「……っ!!」
エーリカはボロボロの精神の中、生まれて初めて声を荒げてしまった。
しかも、どん底にいる自分に、一時の安らぎをくれた人に……
その後、我に返って両手で口をおさえた。
「はっ、すいません……私はもう行きますね……」
「お、おい……」
エーリカはゆっくりとその場を離れていく。
レイズは何もできずに、その場に立ち尽くした。
*
王城を取り囲むように燃える炎は未だにゴウゴウと音をたてながら激しく燃えている。
エーリカの体力は限界だった。時よりふらつきながらも、エーリカは炎の中を突き進む。
(申し訳ありません、お父様。今の私に、あなたの望みを叶えることはできません……)
エーリカはレイズに言った言葉をひどく悔やんだ。
(私には、もうお父様の望みを叶える資格はない)
それなら、生き残っている国民を助けて、その人に望みを託そう。
そして、自分はこの炎の中で生涯を終えるのだ。
今のエーリカには正常な思考すらままならなかった。
王城の中を抜けると、王都が見渡せるテラスまでたどりついた。
エーリカはテラスから焦土と化した王都の景色を見渡す。
子供のころ、忙しい父親を無理やり連れて、三姉妹とよく訪れていたなじみ深いこのテラス。
テラスから見渡せた美しい王都も、そこで活気にあふれた人々も、すべて、炎の中に消えてしまった。
火災で起こった熱風が、エーリカの茶色い髪を揺らす。
「お姉……さま……?」
不意に後ろから声が聞こえた。
エーリカはとっさに後ろを向く。
そこには、エーリカにとってとてもなじみ深い、オレンジ色の短い髪の小柄な少女が立っていた。
「イ、イルゼ!!」
「お姉さま!」
イルゼというその少女はエーリカの声を聴くや否やエーリカに抱きついた。
「怖かったよぅぅぅ……」
「イルゼ……」
イルゼはエーリカの中に包まれすすり泣く。
まだ十歳のイルゼにとって、これが当然の反応であった。
エーリカもイルゼに釣られて嗚咽する。
「イルゼ……良かった、生きてて……」
テラスから見える、燃え続ける王都をバックに、二人の少女は抱き合って泣き続けた。
やがて、何かを思い出したように、イルゼはエーリカから離れエーリカに伝える。
「お姉さま大変なの!イザベラお姉さまがいないの!」
「イザベラお姉さまが!?」
イザベラはエーリカとイルゼの姉、レデニア王国の第一王女である。
「うん!イルゼね!お姉さまの部屋とお姉さまが行きそうな場所みんな探したの!でもどこにもいなくて……」
「……」
きっと、イザベラお姉さまは炎の中で息絶えたのだろう。
しかし、それをまだ幼いイルゼにそれを伝えるのは酷というものだった。
「あと、いろんなところにみんなが倒れててね……!イルゼ話しかけたけど誰も答えてくれなかったの……」
「……」
悲しすぎる、なぜこんなに幼いイルゼにこのような行いをするのか。
エーリカは優しくイルゼの頭に手を添えた。
「ねえ……お父様はどこ……?」
「……!」
「ねえ、お父様は……」
「……」
沈黙を貫くエーリカに、イルゼは再び泣き始める。
イルゼの瞼は赤く腫れていた。
きっとここへ来る道中にも恐怖心で泣いていたのだろう。
エーリカは包み込むようにして両手でイルゼを抱く。
「大丈夫だよ!お姉ちゃんと一緒に逃げよう」
「お姉さま……!」
やっと見つけた愛する妹に、エーリカは優しく伝える。
その声に心が落ち着いたのか、イルゼは泣きやみエーリカから離れる。
「お姉さま、私ね……」
「え……」
一瞬だった。何が起こったのかわからなかった。
「イルゼ……イルゼ!」
先ほどまで元気だったイルゼが、急にエーリカにもたれかかる。
その腹には何かに貫かれた傷があり、そこから大量の血が流れだした。
「お姉……さま……」
「イルゼ!」
イルゼは冷たくなりながら、瞳を閉じた。
「外にいる蠅は一匹残らず駆除したつもりだったが、まだ生きていたか」
その直後、どこからとなく感情のない低い声が聞こえてくる。
「……!」
エーリカの目の前には、炎を纏った剣を持った、全身鎧姿の男が立っていた。
「やれやれ、これだから私は蠅が苦手なのだ。すばしっこいしすぐ逃げる」
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