エンシェント・オリジン

ホメオスタシス

序章 終わりとはじまり

第1話 禁書庫にて

 レディニア王国、王城内の一室。


 たくさんの魔術本や歴史本が列をなすように保管されている禁書庫で、一人の少女が何かを行っている。


 茶色の腰まで伸びた長い髪をゆらゆらとなびかせた翠色の瞳の儚げな少女は、一目散に狭い禁書庫内を巡り巡っていた。


「早く……早くしないと……」


 無尽蔵に床に散らばった本の数々、これ見よがしに置かれた魔法具や魔法実験の材料。荒れに荒れまくっている室内を気にも留めず、少女は何かを探していた。


 やがて少女は、禁書庫内の一角で立ち止まった。少女の前の本棚には、古びた本が置かれている。

 おそるおそる取り出し読み始める。本には解読もできないような古代文字が連なっていた。


(見つけた………!)


 三百年前、レディニア王国を滅亡から救ったとされる大英雄の日記帳。


 少女はその本を勢いよく取り出すと、すぐさま禁書庫の大きな扉の前に向かう。


 扉の前につくと、少女は近くに置かれていた大きな魔法陣が書かれた布を広げ、その中心に先ほどの本を置く。


 さらに、床に散乱していた物の中から、これから行わんとする儀式の材料を探し出す。


 イエローウルフのかぎ爪一つ、シルヴァの毒沼からとれる薬草数本、フェニクスの尾骨三本、……etc。最後の材料、ひとめで生産年が分かりそうな、色褪せた年代物

のワインボトルを見つけ出せば準備は万端だ。


(これで、この国を救うことが……!)


 少女はすぐに詠唱の準備に入った。両手で万物の神イルドーザの紋様を形作る。


【へテロ スト マヒト ホモ スト マヒト】


 雑念は許されない、誰かの心配をする暇もない。少女はただひたすらに、長い詠唱文を唱え続ける。


  * 


 刹那──、床に敷かれていた魔法陣が妖艶な紫色の光を放ち始める。


 《詠唱発光》儀式が成功している証だ。


【フラ スーム イル マハト ベイル フニカル イルセメラ】


 だが、少女はこの現象に歓喜することはない。一度でも隙を作ってしまえば儀式は失敗に終わる。


【イルト ヘテロ アル ルーザル ミュート ヘデラ デニン】


 少女には、絶対に失敗してはならない理由があったのだ。


【ヘリロ ラズ フロマート マハト スム ヘテロ ディ スラト フォルイーラ】


 やがて詠唱が終わる。途端、魔法陣から放たれていた紫色の光が、詠唱の終了に呼応するかのように一段と眩しく輝き始め、禁書庫内は眩しい光に包まれた。


 少女が行っていた儀式は《死霊魂召喚》といい、対象が生前に一番愛用していた物を媒介とし、対象を受肉させたうえ現世に召喚するという死霊術の一種だ。


 少女はこの術を使い、かつての大戦でレディニア王国を救ったとされる大英雄を召喚しようとしていた。


 しかし、この術の成功確率は一パーセント未満。たとえ召喚に成功したとて、受肉体がうまく作用しているかはわからない。多くの場合は不成体、所謂ゾンビとしてこの世に顕現してしまう。


 そのため、少女は物心ついた時からこの術を研究し続けた。やがて来るこの日に失敗することのないよう、詠唱から材料、果ては術式に適した環境に至るまで、全て独学で学んだ。


 術は成功した。少女は自分にそう言い留め、立ち込める煙のなか魔法陣の元まで移動する。


 既に少女の体は満身創痍である。だがそんなことも感じられないほど、今の少女は結果に追い込まれていた。


 魔法陣の前までやってきた。少女は煙をかき分け、魔法陣を凝視する。





 ──魔法陣の上には大英雄の日記帳が、ポツンと乗っているだけだった。



 少女には何が起こっているのかがわからなかった。


 途端、今まで感じなかった疲労がどっとやってきて、少女はその場に倒れこんだ。

 少女は何も考えることができなかった。


 ただ、この先の見えない未来に絶望するだけ。


 やっと状況が理解できるようになっても、少女の心は満たされなかった。


(やっぱり私には無理だったんだ。何もない私が、大英雄様の真似事なんて、できないよね)


 冷たく硬い禁書庫の床で、少女は虚ろな目で天井に吊るされたシャンデリアを見ながら仰向けになる。


(もう手も足も動かせないや。私、このまま死ぬのかな……)


 少女はゆっくりと目を閉じる。微かに低い男の声が聞こえた気がするが、今の少女にはそれを確認することさえできなかった。


  *          


「おーい……おーい聞こえるかー」


「おーい、おーーい、おっかしいな、聞こえてねえのか?」


 少女は目が覚める。いったいどれだけ眠っていたのだろう。

 もう今の状況も確かめる気にはなれない。


 僅かに戻ってきた体力で体を起こすと、少女はその場に座り込む。


「お、起きたのか?おーい、おーい!」


 突然、上空から聞こえた誰かの声に、少女は天井を見上げる。


 目を閉じる前に見ていた天井のシャンデリア。その上に人影のようなものが一つ見えた。

 いや、人だ、若い男が石レンガの天井に、大の字にめり込んでいる。


「え?え?」


 少女が考える暇もなく、天井にめり込んでいた男が少女に話しかける。


「お、やっと聞こえたか!なんか気が付いたらこんなんなってて……悪いが助けてくれねえか?」


 ニシシ、と男は笑う。そんな状況でどうして笑っていられるのだろうか。


「えっと、えっと」


 少女は覚醒してきた脳をフル回転させ男を救出する方法を考える。


 だが、少女がいるあたりから天井までは建物約二階分の高さはある。本棚に立てかけてある移動型梯子でも到底届かない。


「えっと、その……大丈夫ですか?」


 絶対に大丈夫ではないのだが、今の少女にはそう話しかけることしかできない。


「ん?あ、大丈夫みてえ」

「え、それってどういう……」


 予想外の中間報告に少女が戸惑った瞬間、男は自由落下を始めた。


「う、うわああああああああ!!!!!」


 シャンデリアを突き破り、男は少女めがけて一直線に落ちていく。少女はそれをよける暇もなく、落ちてきた男と衝突した。


 凄まじい衝撃音とともに砂埃が立ち込める。


「う、うぅ……」

「わりぃわりぃ、大丈夫か?」


 先ほどまで自分が心配していた男にそう言われてしまったのだが、少女は耐えきれない背中の痛みで何も言えず……


「あれ、私ぶつかったのになんで……」


 普通は華奢な少女が男とぶつかれば骨折どころでは済まないはずなのだが、少女は僅かに痛みは感じたものの、本来味わうような苦痛は感じられなかった。


調したんだが、痛かったか?」

(へっ?)


 調整とは何か聞きたいところだが、少女は先に状況の把握に努めた。


「あの、あなたは……?」

「俺の名はレイズだ、よろしくな!」

「えと、私はエーリカといいます」


 レイズと名乗った金髪の若い男にエーリカという少女は返答する。


「レ、レイズさんはなぜ天井なんかにめり込んでいたのですか?」


 もはや自分のした質問が突拍子もないものだともわかっていた。


「んー、それが俺にもわからねえんだ。気が付いたらあーなってて」

「えっ、うそ、まさか……あなたが大英雄様ですか!?」


 エーリカは僅かな希望を持ってレイズに質問する。


「大英雄?いやそんな奴は知らねーぞ」

「ですよね……」


 思えば、大英雄と伝わる者の姿は風格のある大男と伝承には記されていた。

 しかし、目の前のレイズという男はどう見ても二十歳もいってないような少年である。

 ということは、大英雄様の少年時代なのだろうか。


(だけど、今回は、大英雄様が活躍した年のワインまで使ったし、そんなことないはずじゃ……)


 死霊魂召喚には、召喚する対象を特定するための材料のほかに、対象の時代を固定するための材料も必要となる。


 これは、対象が赤子や老人など間違った年齢で召喚されてしまうことを防ぐためである。


 大英雄の生きた時代は三百年前。エーリカはこの日のために、あらかじめ三百年前に作られたというワインを調達しておいたのだ。


「そもそもここまでの記憶がなくてよ、ここがどこかも今まで何をしてたのかもわからねえんだ」


 レイズはにへら顔でそう話し、床の上にドスンと胡坐をかく。


(き、記憶喪失ってこと……?)


 《死霊魂召喚》では対象が稀に記憶を失った状態で召喚されることもあると、昔文献で見たことがある。これも失敗例の一つだ。


(もしかしたら、材料を間違えたか、術の発動の際に何らかの事態が起こって、誤った人物を記憶を失ったまま召喚してしまったんじゃ……!)


 思い当たる仮説を考えたのち、エーリカは強い罪悪感と悲愴感にのまれる。


(どっちにしろ、私は失敗したってことだよね……)

「どうした?何かあったか」


 俯いたエーリカに、レイズは目を丸くして話しかける。


「いえ、何でも、ないです。あの、唐突で申し訳ないのですが、ここはなので逃げ……」

「なあ、エーリカは死霊術師なのか?」

「……!!!」


 初めて名前で呼ばれたと考えたのも束の間、エーリカは早々に自分の正体を見破られたことに驚きと焦りを生ずる。


 死霊術師。ネクロマンサーとも呼ばれるその職業は、その名の通り霊を媒介にして死者を蘇らせるという黒魔術の一種、《死霊術》を使う者たちのことである。


 死霊術師はその残忍な行いから忌み嫌われており、魔術師を有する多くの国では禁忌の術とされ術師は迫害対象になっている。


 ただ一国、エーリカたちがいるレディニア王国を除いて……


「なんで死霊術師だと……」

「うーん、なんとなく雰囲気がそうだったからよ」

(雰囲気?)


 エーリカは自分たちが嫌われていることをわかっていた。だから死霊術師とばれないよう、レディニア王国にいる時も死霊術師特有の黒を基調とした恰好をしなかった。今ですら、フリルのついたワンピースにローブを羽織っている自分の姿は、とてもじゃないが死霊術師には見えないとエーリカも自認していた。


 しかし正体を見破られた今、レイズから罵詈雑言を言われるのではないかと恐れ、思わず口ごもってしまう。


 だが、目の前の少年から放たれた言葉は、またもやエーリカにとって予想外の言葉だった。


「すげーな!お前死霊術師なのか!」

「ふぇ?」


 レイズの発言に、思わず腹の中から出したことのない声が出る。


「あのぅ、私のこと、怖いとか思わないんですか?」

「怖い?お前のことがか?」

「だって私、死霊術師ですよ」


「死霊術師って怖いのか?」


「へ?」


 驚いた、生まれてこのかたエーリカはレディニア王国民以外で死霊術師を恐れない人を見たことがなかった。


(も、もしかしてレディニア王国の人なのかな……?)

「え、えっとレイズさんはレディニア王国の……」


「なあ!俺と戦おうぜ!」

「なんて?」

「いーだろ!俺、死霊術師と戦ったことねぇんだよ。さぁ、やろうぜ‼」

「え、えぇ……!!」


 まさかの決闘を挑まれ困惑するエーリカ。次から次へと突拍子もない言動をするレイズに、エーリカは今の状況すらも忘れてしまう。


「あの、したい気持ちも山々なのですが、私は死霊術師としてはまだまだなので……」

「なんだよー、つまんねーの」

「えっ」

(レイズさん、いったい何歳なんだろう……)


 レイズはまるでおもちゃを買ってくれなかった時の子供のように不貞腐れてしまった。


「とりあえず外に出ようぜ、この部屋薄暗くて苦手だ」


と言うとレイズは立ち上がり、正面の扉まで歩き始める。


(まずい!今外に出てしまうとレイズさんが……)


「む?この扉予想以上に重いな」


 レイズは大きな扉を両手で勢いよく押し始める。すると、扉がギシギシと音をたてながら徐々に開き始めた。


「ちょ、ちょっと待ってください!今外に出ると危険……」

「ふっ!!!!!」


 エーリカの必死の忠告もむなしく、レイズは大きなかけ声とともに扉を開けてしまう。


「はぁ……やっと開いた。さぁ、エーリカ外に出よう……ぜ……?」


 ──扉が開いた先には、凄まじい程の火の海が広がっていた。


「どうなってんだ、なぁエーリカ……」

「嘘……」


 エーリカはレイズの質問も聞けないほど、血相を変えて禁書庫の外へ飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る