0 せめてもの和み

 久と零花、二人はバンで峡谷のへりを走っていた。もはや蒸留塔は錆び、重油もこの島国へ入ってこないものだから、ガソリンなどない。この車は車輪のモーター、天板とボンネットを覆う久お手製のソーラーパネル、かまどを改造した微力ながらの固形燃料発電機、資産級に高価なオーパーツとなったリチウムイオンバッテリーで動いている。質量を減らすべくいろいろ削ってしまったものだから、耐衝撃性能は期待できない。ガソリンもなし、電気も自前で調達となった今、自動車など持っている人はほとんどいなくなってしまったので、自動車同士の事故は起きないも同然だから、自損事故が一番の心配事だ。

 いつぞやまで舗装されていた道はもう整備もされておらず、周りの広葉樹がこぞってそこに葉を落としていて、余計に神経質になってしまう。木々の隙間から見える渓流の絶景のため、零花はずっと目を輝かせ窓にへばりついている。

「沢に降りられそうなら行ってみようか」

「えっ?あ、うん」

 心ここにあらず、しかし今日の目的は沢遊びではない。もっと奥地の、山の斜面に並ぶ廃工場群を見に来たのだ。どこまで本当かわからないが、行った者は帰ってこない、撮った写真が全く別の場所を示していた、来た道がわからなくなる、いたるところに人骨が落ちている……。枚挙に暇がない。別の場所を示していようと、少なくともネットに挙げられた写真には、人を失って何十年も経ったような、美しい黒ずみと錆を湛える建物が、仰観で写っていた。

 途中、沢まで歩いて行けるところまで道が下がっているのを見つけたので、ここぞと下りた。

「ひゃー!冷たい!」

 十一月は川の水も痺れるように冷え、しぶきと地形が相まって峡谷の気温は一気に下がる。久は、しんと静まる山々の間をを縫うように進む、この騒々しい奔流と岩のほとりをこの上なく愛していた。

 今、愚かしくも大自然にお邪魔している。川は特に動物が集まりやすく、いたるところに動物のいた痕跡が残っている。シカが跋扈しているらしく、無節操にフンが散らばり、水辺に川を向いた足跡がついている。小さな食肉目の深い足跡もある。土にここまで深い足跡をつける食肉目といったら、あのずんぐりしたタヌキしかいない。

 そんな中、たった一つ、何者にも手をつけられず実をつけ凛と立つ野草があった。実は赤く、そのつき方はトウモロコシを剥いた様子に近い。久は何かで見たことがあった。灼けるように辛く痛い実だったはず。下痢、腹痛、嘔吐で死ぬこともあるとか。シカも食べないわけだ。

「うおりゃっ」

 零花が石を投げたらしかった。石から出たとは思えない、爆竹でも弾けたような音に合わせてその石は四散、いや一〇二四散くらいした。石が当たった岩はその部分が大ならず欠けている。

「うっわ、凄い荒業だな」

「いやむしろ繊細だよ。石の形と回転から相対速度が一番大きくなるところを把握して当てないと割れてくれないの」

「はは、鹿なんか狙えるんじゃないか」

「振りかぶる音でばれちゃうと思うけど」

 抜け目がない。さらにまた強くもなっている。父親譲りの血の気に目をつけたマイが入れ知恵や吸血鬼流近接格闘(またの名をパワーごり押し)の稽古をしているのだ。つい先日も、振った脇差しの先の速度が音速を超えたとかではしゃいでいた。投げた箸は壁に刺さるし、突いた拳は肺を潰す…… 吸血鬼の器用さと瞬間筋力の賜物らしい。

 あくまで瞬間の怪力らしく、腕相撲で互いに少しずつ力を入れていくようにすると久が圧勝する。それでも素の力は似た形質の人間に比べ強く、腕の細さからは想像もつかないくらいのものだった。

「……そろそろ戻ろうか。ほら、動物の邪魔してる」

 長い投石のせいで岩が粉ふき芋のようになっている。川遊びは今や修行であった。零花は名残惜しそうにうなずいた。

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