2-2 終わり始める世界

「ここで合ってるよな……」

 青年は以前に医師からもらった地図と目の前の景色を眺めながら呟いた。

 占いをやってくれる。

 そう言われて渡された地図に従い、着いた場所はどこにでもあるような古びた二階建てのアパートだった。

 右を見ても左を見ても家が立ち並んでいる。完全に住宅街。周囲からはうるさいほど蝉の鳴き声が響いていた。

「あっつ……」

 一度車でこのアパートの前まで来たが、駐車スペースが見当たらず青年は近くのコンビニに車を停め徒歩でここまで来ていた。大した距離ではなかったが、上から容赦なく照らしてくる太陽とアスファルトによる下からの反射熱で存分に炙られた青年の額には大粒の汗が浮かんでいる。

「予約の電話したときに駐車場の場所も教えてくれればよかったのにな」

 暑さのせいで青年の口調は少し荒々しくなっている。大きな目のクマが青年の目つきの悪さを助長させ、完全に悪人の顔になっていた。

 あの日医師からもらった紙には住所しか記載されておらず、肝心の店名や電話番号などの情報はなかった。そのため、青年は仕方なくネットで住所検索をかけてそれらしい店を探してみたが、ついぞ見つからない日々が続いた。

 そのまま直接向かう手段も考えたが、予約がないと門前払いをされて二度手間を踏むのは避けたかったので次回の診察日に店名と電話番号をここの存在を教えてくれた張本人である医師に教えてもらうことにした。

 医師に尋ねると、「忘れてました」と、特に悪びれた様子はなくいつもの淡々とした調子で教えてくれた。

 その日はあの時の女性と出会うこともなかったが、病院側にいつ来るのかを尋ねるも憚られたので何も聞かずに病院を後にした。

 家に戻り、教えてくれた番号に電話をかけてみると出てきたのは女性。口調は本当に占い師をやっているのか疑わしくなるほどぶっきらぼうであり、お世辞にも対応が良いとは言えないもの。

 占い師は明らかに面倒くさそうな声で何とか予約を取り付けてくれたが、予約を取り終えた瞬間に電話を切られたので詳しい内容などを聞く暇はなかった。

「本当に大丈夫なんだろうな」

 ぶつぶつと文句を言いながらアパートの階段を青年は登っていく。部屋は二〇一号室。その部屋は二階の一番に奥に合った。所謂角部屋。アパートの周囲を家が取り囲んでいるので、日当たりには期待できなさそうな場所だった。

 扉の前に立ち、備え付けれているインターホンを鳴らす。しばらくするとインターホンから、「……誰」と、電話で聞いたままのぶっきらぼうな声が聞こえてきた。

「今日予約した――」

「アンタか、入りな。鍵なら開いてる」

 インターホンから出る声が青年の言葉を遮り、短くそう伝えるとそれっきり声は聞こえなくなった。

 青年は辟易とした表情で言われたとおりにドアノブに手をかける。本当に鍵は開いており、青年は中へと入っていった。

「お邪魔します」

 中に入ると冷たい風が青年の火照った暑い体を包んだ。たった扉一枚を別け隔てだけで地獄が天国に変わる。玄関まで冷えるほど強く冷房を効かせているとなると電気代が心配になるが、ここは青年の住む場所ではない。素直に涼を受け取ればいい。

「……アンタ、ひどい顔だな」

 玄関で青年が靴を脱いでいると、奥から一人の女性が現れる。まず青年の目に飛び込んできたのは、その強烈な髪の色だった。

 肩までほどある髪は真っ赤に染められており、ところどころに青のメッシュが入っている。顔には大きな黒縁メガネがかけられており、髪と顔の印象が真逆だった。

「……よく言われます」

 あまりのインパクトを放つ髪から何とか視線を引き剥がし、靴を脱いで部屋に上がる。占い師に案内されて進むと、青年は和室に連れてこられた。

「適当に座って。座布団は好きなの使えばいい」

 部屋の隅にはそれぞれ模様の違う座布団が乱雑に積まれている。そこから一番上にある座布団を青年が手に取ると床に敷き、座る。何の手入れもされていないのか敷いたときに座布団から埃が舞い上がり、青年は手で空に舞う埃を払った。

 案内された和室には豆電球しか点いておらず、カーテンも閉め切られているので部屋は薄暗い。部屋の中央には丸いちゃぶ台があり、幾何学模様のクロスがかけられていた。雰囲気作りの一環なのだろうが、言い方を変えれば陰鬱とも呼べる。

 占い師も専用の座布団の上に座り、ちゃぶ台を挟んで青年と向かい合わせになるような形になった。

「よろしくお願いします」

「いーよ、挨拶は。ちゃっちゃと終わらせたいんだよこっちは」

 青年が一般的なマナーとして頭を下げようとしたのを占い師が手で制止する。あまりにも横柄がすぎる態度に青年が一つ物申そうとしたが、それは叶わなかった。

「はい。この上に手、置いて」

 占い師が背後にある棚から手のひらより一回りほど小さな紙を取り出して机の上に置く。その紙は簡易的だが人の形をしており、平安時代の陰陽師が映画や漫画で使っているような形代を連想させた。

「……なんですか、これ」

「あたしの商売道具。ま、補助的なもんではあるけどね」

 占い師がそれだけ言うと、顎をクイッと動かして早く言うとおりにするよう青年に促す。当の青年は手を動かすことはなく、しばらくまじまじと紙と占い師の顔を交互に見た。

 青年の頭の中に幾つかの疑問が浮かぶ。

 一つがこれから行われることが本当に占いなのか。

 青年自身、占について造詣が深いとは言い難い。知ってるとすれば毎朝の情報番組で放送されているたかだが五分未満の星座占いや、タロット、水晶を用いた代表的な手法だけ。それだの知識しかないが故に、このような人の形をもした紙を使ったやり方がないとも断言はできない。

 しかし、そんな考えを手助けしてしまう事実もある。そして、それは青年のもう一つの疑問でもあった。

 年齢が若すぎる。

 医師はあの時自分の知り合いだと言っていたが、どうすれば青年と同じくらいの年齢の女性と知り合うことができるのだろうか。あの医師はどんな若くても四〇代後半、五〇目前だ。娘かもしれないと青年は一度前向きに考えてはみたが、あまりにも面影がなさすぎた。他人に対して横柄傲慢な部分は似ているが、類は友を呼ぶという言葉もある。

 関係性や手法の不透明。

 部屋の雰囲気が胡散臭さを加速させてしまい、青年が不躾にも猜疑心がぎっしりと詰め込まれた視線を向けてしまうのは仕方のないことでもあった。

「別にいいよ、あたしは。信じられないなら帰ってくれても」

 青年から向けられた視線に気づくも、それでも占い師の態度は変わらないまま。それどころか、横柄さは加速していく。

「どうせアンタは無料でやるしかない客だ。あたしにしてみればそれはボランティア以外の何物でもない。金にならない客な上に、あたしのことを疑うっていうなら帰すってのが自然だろ?」

 占い師の声に悪びれた様子は気持ちいいほどない。彼女の辞書の中にコンプライアンスという言葉はなかった。

「……そうですね、そちらの言う通りですね」

 誰かに対して腹をたてることはあまりない青年だったが、この時ばかりはさすがに我慢がならなかったのか語気には明確な敵意が孕んでいる。疑いの目は確信に変わり、疑念は怒りへと姿を変えた。

「帰ります。これ以上お互いの時間を無駄にしないためにも」

 青年はさっさと立ち上がり和室から出ていく。占い師は何も言わずに、青年の背中を見ているだけだった。

 どうしてこんな場所に来てしまったのだろう。

 玄関で靴を履きながら自分自身に悪態をつく。部屋の中に入るときには気づかなかったが、靴紐が解けていたことが更に青年の苛立ちを大きくさせた。

 小さな舌打ち混じりに靴紐を結び直す青年の頭の中に逡巡する様々な思い。

 元々、占いを青年はそこまで信じていなかった。

 誰にでも当てはまるようなことを言って不安を煽るだけのバーナム効果。青いハンカチを持ったくらいで、シチューを食べるくらいで変わる運などたかが知れている。あんなものを本当に信じているなんて、頭がお花畑と揶揄されても文句は言えない。

 しかし、そう思っていたはずの青年はこうして占いをするという場所にいる矛盾。

 どこか期待していた。

 現実で起きる出来事に関しては――その努力が実るかどうかは別として――自身の努力次第である程度回避、もしくは改善が見込める。しかし、現実に干渉してくる夢にはどうすることもできないのだ。

 それならば占いなどという非現実的な手段にも縋りたくなる。

 だが、それも間違いだったことが今日分かった。占い師が全員彼女のような性格をしているとは断言はしないものの、青年の中での占いに対する評価は地の底にまで失墜した。

「俺が馬鹿だったよ……!」

 自己矛盾に苛まれる前に乱暴に結論づける。靴紐を結び終えると、青年は最後に言葉を残すこともなく玄関の扉を開き外に出ようとした。

 刹那、青年の視界にあるものが映る。

 青年の目に映ったのはアパートの近くを歩く三人組の男性。年齢は青年自身とそう変わらないだろう。その三人組は談笑をしており、青年に気づいている様子はない。徐々にアパートへ近づいていき、前まで来ると流れるようにアパートの階段を昇り始めた。

「…………っ!」

 青年の息が止まる。

 ドアノブを握る手は震え、顔からは血の気が引き、背中には冷や汗が走っていた。

 思考が纏まらない。

 どうすればいい。どうすればいい、どうすればいい。どうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすれば。

「ぉえっ……」

 吐き気が込み上げ青年は思わず空いている手で口元を押さえる。気に食わない人物ではあったが、他人様の家で、それも玄関で嘔吐をしてはいけないと判断できる程度の理性は残っているようだった。

 扉を半開きにし玄関先で固まる青年をに3人組は未だ気づくことはなく、階段を昇りきって占い師の部屋へと近づいてきていた。

 鼓動が早くなり、青年の耳には自身の心臓の音が鳴り響いている。

 終わらない自問自答。

 三人組が近づけば近づくほど、青年の鼓動の音は比例して早くなっていった。

 限界だ。

 吐き気を抑え込むことができず青年が堪らず胃の中をぶちまけようとした時、背後から占い師の声がした。

「……何してんの?」

 その声で青年の意識が現実へと回帰する。勢いよく扉を閉め直すと、青年はその場にずるずるとへたり込むように座った。

 深呼吸を何度か繰り返し体調が元になるまでそのまま動かない。やがて通常通りとまではいかなくても、会話ができる程度には体調が戻り青年は占い師の方へと向き直った。

「ちょっと、立ちくらみで……もう行きますから」

 もちろん青年自身もこんな嘘で誤魔化せるなどとは思っていない。しかし、本当のことを言う必要もない。

 言葉通り今度こそ出ていこうとしたがドアノブを握る手に力が入らなかった。足も鉛を付けられたかのように重くなり動かなくなる。体全体が、外に出ることを拒否しているようだった。

 自分の意思に反して動こうとしない体。

 ドアノブを握りしめたまま動かない青年に痺れを切らした占い師は「どっちだよ」と、苛立ちを隠さない声で言った。

「…………」

 それでも青年は動かない。いや、動けないと言った方が正しい。

 固まること数分。青年はドアノブから手を離し、ゆっくりと占い師の方へ向き直った。

「アンタ、更にひどい顔になってるぞ」

 占い師の言葉通り青年の顔色は蒼白している。大きな目のクマに加えて生気のない顔。虚弱体質の人間だと間違われても文句は言えない。このまま炎天下の外へ出ていっても体調を悪くすることは誰の目にも明らかだった。

「――クソッ」

 頭を乱暴に掻き、占い師が元々隠れていない苛立ちを更に顕にする。鋭い目つきで青年を見据えながら「そこにずっと立ってられるのも迷惑だ。もっかい中、入りなよ」と、ぶっきらぼうに言った。

 占い師は青年の言葉を待たずに奥へと消えていく。

「……ありがとうございます」

 青年の声は虚空に消える。

 気に食わない人間であることには間違いないが、ただの気紛れかもしれないその優しさが今の青年には何よりの助けだった。

 靴を脱ぎふらふらと危な気ない足取りで和室へと向かう。

 再び和室の中に入ると、占い師が不遜な態度で変わらず座っていた。

 青年もさっきまで自分が座っていた場所に腰を落ち着ける。虚ろな視線を机の上に向けるとそこには麦茶が注がれたコップが置かれていた。

「飲めばいいよ」

 占い師はそう言いながらカーテンを開け、更に窓を網戸にする。外の光が差し込み部屋の中が一気に明るくなったせいで青年は一瞬目がくらんだが、すぐに光に慣れて視界はもとに戻った。

「頂きます……」

 青年がコップを手に取り、麦茶を飲む。冷え切ってはいないがぬるいという程でもない、丁度いい冷たさは青年の心を落ち着かせる役割を果たした。占い師も青年が麦茶を飲むと同時にタバコを取り出し火を付ける。

「嫌なもんでも見たか?」

 占い師の問いかけに青年は小さく頷く。「だろうな」と、占い師はやや嘲笑混じりに言った。

「別に無理して言わなくていいよ。あたしも興味ないし」

 それは占い師の本心ではあったが、却ってその言葉は青年にとっての優しさに変わる。青年は何も言わずに頭を下げた。

 しばらくの沈黙が続く。聞こえてくるのは網戸から入ってくる蝉の鳴き声と時折アパートの前を通り過ぎていく車の音だけ。

 青年は麦茶を飲み干して空になったコップを呆然と眺めていた。コップには周囲の景色が乱反射して映り、その中には青年自身の姿も含まれている。

 程なくして占い師もタバコを吸い終わる。灰皿に乱暴に吸い殻を押し付け火を消すと2本目を取り出した。

「いつまでそうしてんの?」

 占い師の声で青年がハッと我に返る。出された麦茶は飲み終わり、言葉を発するわけでもなくただ茫然自失としている。ここはあくまで占いを行う店であり、体調が優れない人間を休ませておく場所ではない。

 一度は客ではないと宣言して帰ろうとした青年をこれ以上この場にいさせる理由は占い師にはなかった。

「…………」

 青年は何も答えない。答えられない。答えたくない。

 青年の願いとしてはもうしばらくこのまま休ませてもらいたい。しかし、正常な思考ができる程度には回復している。ならば理由を説明するしかないが、それは青年にとって掘り返したくない記憶を自らの手で掘り起こすことに繋がる。

 結果、黙る。

 目に見えて狼狽する青年を見て、占い師は煙を吐き出しながら大きなため息をついた。

「……占い、やっていけば?」

 占い師の言葉に青年は目を丸くさせる。

「どうせ外に出たくないんだろ? なら、ここで今日来た本来の目的はたしていけばいんじゃない? あたしも客じゃない奴をずっといさせておくほど暇じゃないし」

「いや……でも……」

 もうしばらく外に出なくてもいいというのであれば、青年にとっては願ってもないこと。しかし、あれだけ啖呵を切った手前、はいそうですかと二つ返事を返すのも二の足を踏むものがあった。

「アンタが帰るってんなら止めない。そっちの方があたしにとっては好都合だし。でも、まだここに残るつもりなら客としての務めは果たしてもらう」

 そう力強く言い放ち、吸い殻を灰皿に押し付ける。

 占い師から突きつけられた二択。

 選択肢は一つしかないようなものだった。

「じゃあ――お願い、できますか?」

 すごすごと申し訳無さそうに言う青年に、「元々予約は受けてるんだ。断る理由もないよ」と、最初と変わらない態度で答えた。

「ざっくりでいい。占ってほしいこと教えて」

 言いながら占い師は窓とカーテンを閉める。再び、部屋の中は薄暗くなり陰鬱な雰囲気が戻った。

 占い師の切り替えの早さに驚きつつも青年は質問に答える。

「……最近、よく夢を見るんです。詳しい内容は覚えていないんですけど毎回誰かを探さしてて。でも見つけることはできなくてその度に目を覚ましてます」

「その気持ち悪いくらい大きなクマの原因がそれか」

 占い師の不躾な物言いに青年は少しでもいい人かもしれないと思ったことを後悔する。しかし、占ってもらうと決めた以上は荒波を立てては仕方がない。そう割り切って青年は話を続けた。

「仰るとおりで――とにかく、この夢を見る原因……まではいかなくても、意味くらいは教えてもらえると助かります」

「なるほどね……つまりは夢占いか。やったことは少ないけど、まあなんとかなるだろ」

 そう言って占い師は棚から小さな紙を二枚取り出す。。それは、あの人の形をした例の形代だった。一枚は青年の方へ、もう一枚を占い師自身の方へ置くと、占い師は手を形代の上にかざす。

「アンタも同じようにして。あ、どっちの手でもいいから」

 占い師の指示通りに青年も形代の上へ手をかざす。青年はこれからなにが起こるのか全く見当もつかなかったが、占いを始めると言った途端に雰囲気が変わった占い師を前にしてはただ言われるとおりにする以外なかった。

「目を閉じてアンタが見てるって言う夢のことだけを考えて。口にも出さなくていいし、鮮明に思い出さなくてもいい。とにかく、イメージをしてよ」

 青年は目を閉じ、自分を苦しめている夢のことを必死に思い出す。

 起きる度に内容は忘れてしまっているが、完全に全てを忘れているわけではない。残っている夢の記憶の残滓。それらを掻き集め、可能な限り夢の内容を構築していく。

 覚えているのは、誰かの声。白い空間。

 その中で声の主を探しているが見つけることができない。

 思い出せるのはこれだけ。他にも思い出せることはないか青年は片っ端から記憶の引き出しを開けていくが、無情にも見つからない。

 成り行きとはいえ、こうして占いをしてもらっているのだ。成功の確率は少しでも上げたい。

 奥へ。奥へ、奥へ、奥へ。

 記憶の海をどれだけ潜っても暗さは増すばかり。ついぞ、これ以外の記憶は思い出すことはなかった。

「……うん。もう目を開けていいよ」

 占い師の言葉に誘われ、青年は目を開ける。一分にも満たない短い時間。もう終わってしまったのか、と青年は信じられずに占い師へと視線を向けたが、青年の目に映ったのは額から滝のように汗を流す占い師の顔だった。

 暑さで汗が出たわけではない。これだけ冷房が効いている空間だ。暑さを感じるほうが難しい。にも関わらず、占い師はこうして大量の汗をかいている。

 この短い時間の間で彼女になにが起きたのか。

 相反する事実ばかりが存在し混乱する青年をよそに、占い師は「しんっっど……」と、呟きながらタバコに火を付けた。

 吸いながらカーテンと窓を開ける。外に向かって大量の煙を吐き出しながら「いや〜……マジでしんどかった」と、占い師は疲れた様子でしみじみと言った。誰に向けた言葉でもない。ただの感想。その姿は、夢を見た後の青年と酷似している。

「あの……」

 訳がわからないまま放置されている青年は占い師に声をかけるが、手を突き出され無言で青年の訴えは制止されてしまった。

 黙って汗を拭いながらタバコを吸い続ける占い師。やがて吸い終わると、改めて青年の方へ向き直った。

「アンタさ、周りから面倒くさいって言われたりしない?」

「は?」

 脈絡がない占い師の質問に困惑する。質問の意図が分からず思わず露骨に嫌な声が出てしまった。

「ま、いいけど――とりあえず、アンタの見てる夢についてだけど大体分かったよ」

「……嘘でしょ」

 あの短い時間でなにが分かったというのか。占いをしてもらったという実感すらない青年には占い師の言葉を信じ切ることは容易ではなかった。

「信じないならそれでいいよ、これで占いは終わり。さっさと帰った帰った」

 手をしっしと払い占い師は蔑んだ目で青年を見る。

 その態度に青年は思う部分がない訳ではなかったが結果を聞くことのほうが大事だと判断し、反論したい気持ちを押し殺す。

「いえ、すいません。どんなことが分かったんですか?」

「最初からそうやって素直になっとけばいいんだよ――結論としては、アンタの夢であって、アンタの夢じゃないってこと」

「…………」

「意味が分からないって顔だな。でも、これは事実だよ」

 占い師の言う通り青年の頭の中には幾つもの疑問符で埋め尽くされている。一昔前のパソコンだったら処理落ちでフリーズしていることだろう。

「どうしてそんなことが――」

 言えるんですか。

 そう言葉を青年は続けようとしたが、それは占い師の言葉に遮られた。

「アンタの夢を覗かせてもらった」

 その言葉に青年は固まる。

「信じる信じないはアンタの自由だけどさ、あたしはアンタの夢を自分の目で見た上でこうして話してるんだ」

 にわかには信じがたい。

 それが青年の率直な感想。

 しかし、こうして汗を流す占い師の姿や、嘘をついている人間の目をしていないことが青年が完全に疑念を抱くのを阻害していた。

「もうちょっと詳しく話してください」

 疑うのは全てを聞いてからでもいい。そう青年は判断し、頭を支配する疑問符を殺しきって、クリーンな脳内に切り替えを図る。

「詳しくって言われてもなあ……」

 青年の言葉に占い師が珍しく戸惑った様子を見せる。顎に手を当ててしばらく考える素振りを占い師はしたが、出てきた言葉はあまりにも無情なものだった。

「うん。無理だわ」

「はぁ?」

 怒りを隠せない――隠さない――声が青年の口から飛び出る。僅かでもあった信じてみようという気持ちを持った自分が馬鹿だった。青年は自分に対して呆れを、占い師に対しては怒りを持った。

「だってよ、完全に信じてないだろ? あたしのこと」

「そりゃそうですよ」

 青年はもはや自分の中にある疑心を隠そうともしない。それは占い師も上等であり、さして機嫌を悪くすることではなかった。

「そんな奴になに言っても無駄だろ? どうせ信じないんだし」

 あっけらかんと占い師は話す。そこに曖昧なことを言ってしまったという罪悪感は皆無であり、自分は間違ってないという傲慢さだけがあった。

 その一言が引き金となり、青年の怒りは有頂天に達する。机を大きく両手で叩き立ち上がると荒々しい足取りで和室から出ていった。

 廊下を歩き玄関で靴を履く。ドアノブに手をかけようとしたその時、青年の背後から占い師の声が届く。

「最後に一つだけアドバイスしておくよ」

 青年は振り返らない。会話を交わす気にもならなかった。

「もしも楽になりたいんだったら、殺すしかない」

「……誰をですか」

 仕方なく青年が口を開くが、返ってきた言葉はやはり青年の神経を逆撫でするようなものだった。

「そんなんアンタが一番分かってるだろ?」

 これ以上話すことはない。

 青年は扉を開けると、さっきの動揺が嘘のように普通に歩き出して行った。怒りと呆れに感情を支配されて周りのことは気にならない。ある種の怪我の功名と呼べた。

「……もう時間はないよ」

 青年が出ていき、部屋に一人になった占い師の言葉は行き場をなくし、宙に消える。

 仮に青年の耳に入っていたところでその言葉の真意は伝わらない。

 悲しい表情を浮かべながら、占い師は再び和室へと姿を消した。

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