30. 炎の中で
「わたくし自身を含めて、この国の誰も、エスファも、私の結婚を止めることを思い付きもしなかった」
アンラート様の言葉が私の胸に深く刺さった。
そのとおりだ。
打ち首覚悟なんて言いながら、逃げることなんて最初から頭になかった。
私には、そこまでの覚悟も度胸も力も何もなかった。
「他の生き方を誰もわたくしに提示しなかった」
アンラート様の答が予想外だったのだろう。
マリーンが顔を歪めた。
「…何を……」
「マリーンだけが、王国を優先するのではなく、わたくし自身が幸せになることを考えてくれた」
アンラート様は、マリーンに向かってすっと歩き出した。
炎の柱に近付くことにもなるので、アンラート様の髪が熱風を受けて揺れる。
アンラート様は熱風をすくうように腕を持ち上げ、手のひらを上に向けた。
その瞳はマリーンを見ているのだろう。
私からはもう背中しか見えない。
「…マリーン…」
アンラート様は、マリーンを抱き締めようと両腕を広げた。
アンラート様の髪が炎による熱風で舞い上がった
泣きたいような笑いたいようなマリーンの顔が歪んだ
ーーーーー
戦いのない遠征中、退屈しのぎにずっと考えていた。
精神に干渉する魔法をどう使うのか。
たまたま見付けた古い魔術の本に記録されていた。
昔、遠い国から捕虜として王国に連れてこられた魔法師が、報復のために王を純粋に慕う国民に呪いをかけたという。
純粋であるほど、或いは王に認めてほしい者ほど、盲目的な価値観に染まっている心はその魔法に干渉されやすい。
王を愛する私が王から殺されそうになっている。国を守る私を殺そうとするなんて王は私を愛していない。私は王を殺して国を守るのだ。私の愛する王が王として立つためには私を愛さない王を殺すのだ。
そんな概念を刷り込むことで本来抑えられている筈の力のたがを外し、王を襲わせることも、操ることもできる。
愛国心を逆手に取るってところが気に入った。
誰をどう操るのか考えながら、精神に干渉する魔法を会得しようとした。
人間より先に動物を操ることから始めた。
小動物を殺すところから訓練を始めるという発想が、父親を名乗る男がエスファにしようとしたことと同じだと気付いて、自分で自分が嫌になったが、子供を奪われた母親が最も操りやすいことがすぐに理解できた。
これで父親を名乗る男を殺してやろうと思った。
王都から北の辺境の街に流れてきた爺どもも一緒に。
あいつらは実の父親と一緒に、私を
爺どもの半分は、呪われた母熊に殺された。
残り半分は、王国を呪う魔法の最初の被験者にした。
さすが自称愛国者の爺どもの操りやすいことと言ったら。
そんな爺どもをロヴィーなら簡単に殺してくれるだろうと思ったが、当てが外れた。
せっかく剣を渡してやったのに、ロヴィーは器用に爺を生き残らせた。
それにエスファがいると致命傷がただのかすり傷になる。
それなら、ロヴィーとエスファを操れば?
ダメだ。
二人に魔法を掛けようとしたら、魔法が掛からないどころか、魔法に掛からない方法を見つけてしまう始末だ。
ロヴィーもエスファも私の手に負えない。まったく。
そうこうしているうちにアンラートの輿入れが早まった。どうすればいい?
私はアンラートを救わなくてはいけないのに。
先に、父親を名乗る男を燃やし尽くしてしまおう。
虚栄心の固まった男の操りやすいことと言ったら!
学院の西棟が燃え尽きた。
あれ…?
私は、父親を名乗る男を殺したかったが、学院を壊したかったわけじゃない。
学院は私の故郷でもあるのに。
精神に干渉する魔法が、自分の精神にも作用することにうっすら気付いた。
思考と判断を奪っている。
私は暴走し始めている。
辺境学院を壊してしまいたい。
私にとって、「家」である、この場所を壊したい。
胸に渦巻くようになった、この衝動はどこから来るのか。
誰かの大切な何かを壊そうとすれば、自分の大切な何かが壊される。
魔術の反作用が起きているのか。
呪いの魔法とはよく言ったものだ。
壊しすぎてしまったら私は自分で自分を止められるだろうか。
誰か、私を止めてくれるだろうか。
北の辺境の街の牢に、父親を名乗る男を嘲笑いに行った。
牢から出たくて、男は私に媚びへつらってきた。
無駄だと分かると怒り始めた。
まずいと思ったのか、再度、媚びようとした。
そしてやっぱり怒り出す。
私が自分の思い通りにならない、という当然のことが分からないらしい。
媚びられても怒られても、どの言葉も私を不快にしかしない。
そして、自分の男に対する感情を知る。
もう私の方が強いのに、私の方が凄い魔法師なのに、もう私は子供ではないのに。
怖い
どうしようもなく、この男が怖いのだ。
それを知ったとき、これまでで最大の爆炎が上がった。
牢のある建物を、街の一角を、爆発炎上させるほどの。
自分の中の恐怖を全て燃やし尽くしてしまいたかった。
父親を殺した償いのためにも、私はなんとしても王女を解放することにした。
おともだちが幸せになってくれれば、何も怖くなくなるのではないかと願った。
アンラートがエスファに惹かれていることには気付いていた。
エスファとどこにでも行けば良い。
逃げる理由は私がつくれば構わない。
自由に
幸せに
そのために、学院にいる者すべての精神に干渉する。
人数が多すぎて一回では済まなかった。
三回魔法を使った。
そのおかげで操りやすい者がいることが分かった。
エスファをとりあえず一度は王女から引き離しておくために、その者たちを操った。
ーーーーーー
「わたくしは、マリーン、あなたと一緒なら、この国を出ます。」
最初に感じたのは歓喜だった
それで自分の求めていたものに気付いて惨めになった
アンラートが一歩、また一歩と近づいてくる
その手を取れば……
それでは、あなたは幸せになれない!!!!
自分が狂い始めていること
計画が破綻していること
全てが一度に理解できて
私を抱き締めようとする王女を見て
その後ろで、王女に見捨てられて泣きそうな顔をしている妹を見て
私は、親友を、見た。
親友は、私を居抜くような眼差しで私を見ていた。
ーーーーー
ロヴィーは残っていた力を振り絞って左腕で剣を投げた
剣はマリーンの胸に深く刺さった
階段のところに隠れていたヴィセが飛び出した
ヴィセはアンラート様に飛び付いてマリーンから引き離した
マリーンは剣が刺さった勢いでふらっと後ろに下がり
炎の柱の中に背中から入った
マリーンの髪が燃え上がる
私は立ち上がって走った
アンラート様とヴィセを追い越し
炎の中のマリーンに手を伸ばした
治癒魔法を放出しながら
炎の中から引っ張り出すために
胸に刺さっている剣を抜くために
炎で私の腕が焼ける
焼けたそばから私の腕は治っていく
痛いと感じる余裕はない
マリーンの手を握るとマリーンの火傷が治っていく
でも
マリーンは私の手を振り払う
胸に刺さった剣に触ることができない
マリーンの魔法の炎が私たち二人を焼き付くそうとして
私の魔法が二人を焼けさせまいとする
(……はなせ…)
マリーンの声が聞こえた気がしてマリーンの顔を見る
炎に照らされて視界は真っ赤だった
火傷ができては消える
火傷ができては消える
火傷ができては消える
刺さっている剣を抜かなくては胸の傷は癒せない
(エスファ)
マリーンの唇が私の名前の形に動く
マリーンの瞳が動いて後ろにいる誰かを見た
最後に私の目を見た
マリーンの魔力が尽きたのか炎の柱が急速に小さくなる
私の魔力も尽きてきて火傷の治りが遅くなってきた
私の魔力が尽きる前に
私は後ろからぐいっと引っ張られてマリーンから引き離された
私を炎の中から引っ張り出したのはアンラート様とヴィセだった
マリーンが立ったまま残り火に包まれた
マリーンのところに戻ろうとする私をアンラート様とヴィセが引き留める
天井から瓦礫がばらばらと落ち始めた
尖塔が崩れ始めたのだ
もうマリーンの顔が見えない
「マリーン」
諦めきれないでいる私を二人がさらに後ろへ引きずっていく
炎の中でマリーンの体が崩れ落ちる影が見えた
ロヴィーとセレーサさんが倒れているところまで下がったところで、マリーンの体が落ちてきた瓦礫で埋まった
さらに大きな音と振動がして瓦礫がいくつか階段を転がっていき、大広間にも落ちていった
階段は瓦礫で塞がれたような形になった
大広間の方からざわめきが聞こえる
みんなの意識が戻ってきたらしい
「マリーン!」
私は叫んだ
「マリーン!マリーン!!!!」
叫ばずにはいられなかった。
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