29. 決断

 ああ、生きている!


 ロヴィーは、左手に握っていた剣を手放さず、それを支えに左腕と左足に力を入れて、上半身を起こすと、後ろにあった柱に体を預け、はああああっと深く息を吐いた。いや、すぐにぜいぜいとした荒く早い呼吸になった。真っ白になった顔からは脂汗がだらだらと流れている。

 焼き切られたために、傷からそれほど出血はしていないが、肩からは真っ赤に染まった組織と骨が見えている。


 ようやく足が動いた私は、まず、ロヴィーの千切れた腕を広いあげて、腕の時間を止める。切り離された腕が腐らないように、傷口が変に回復してしまわないように。

 それから、ロヴィーに飛び付く。まず、額に手を当てて痛みを和らげる。痛みを完全に消してしまったら、魂が神に召されてしまうから、ある程度の痛みを残すように加減する。

 痛みが引いたのか、ロヴィーの呼吸が少し落ち着いた。


(死ぬかと思った)

 ロヴィーの唇が動く。さすがに声は出ないか。でも、生きてる。これなら大丈夫。

「ロヴィーじゃなきゃ、死んでるよ…こんなの」

 私は悪態をつきながら、ロヴィーの鎧下を引き裂いて上半身をさらす。はは、ロヴィー、もう裸を見られたくないなんて言ってられないよね。まあ、胸よりもぐちゃぐちゃの肩と腰から目が離せないけど。傷口の癒せるところを癒しながら、時間を止めるところは止める。後で時間をかけて腕と肩を繋げないといけない。刃物で斬られたのなら繋げやすいけれど、これだと、肩と腕の傷口を治してからじゃないと。

 でも、絶対、私が治すから…!!

 とりあえず、大雑把な治癒魔法だけにとどめて、右腕をロヴィーの膝の上に置き、それからロヴィーに若草色のマントをかける。

 ロヴィーは私を見て、薄く笑ってから、きっと目を細めて、マリーンを睨み付けた。


 ロヴィーの視線の動きに合わせるように、私もマリーンを見た。

 振り返る一瞬、アンラート様と目が合った。ロヴィーの傷を見たのだろう、ロヴィーよりも真っ白な顔になっていた。


 私が、簡易に治癒魔法をかけている間、アンラート様もマリーンも固唾を飲んでロヴィーを見ていたようだった。

 ロヴィーを殺そうとした、当のマリーンがロヴィーが生きていることに安心したらしく、マリーンは固まっていた顔を、苦笑いの形に作り替えた。

「…すごいな、不死身かよ、ロヴィー」

 死なせたくないなら、殺そうとしないでよ

 私は、そんな言葉を飲み込んだ。


「マリーン、エスファがいなくなったら、ロヴィーが死んでしまうわ」

 アンラート様がマリーンの考えを翻させようとするが、マリーンは動じない。

「大丈夫、エスファがいなくても死にはしないよ。ロヴィーなら」

 マリーンは、ロヴィーからアンラート様に視線を動かした。

「アンラート、どうする?いくらエスファでも、下にいる全員を死なせないようにはできないよ。」


 マリーンが左腕をゆらっと上に挙げた。

 拳を握り、それをぶんっと振り下ろした。


 次の瞬間、マリーンの後ろの火柱は、ぶおんという音を立てながら太くなった。

 轟音と激しい振動が起きて、火柱が中央棟の高い天井に大きな穴を開けた。

 瓦礫が穴から落ちてきて、炎の中に落ちていく。

 穴からは青い空が見えた。

 そして、半分に崩れ落ちた尖塔が見えた。

 マリーンの魔法は、学院のシンボルだった尖塔を半壊させたのだ。

 どれだけの魔力を持ってるんだろう…?

 マリーンなら本当に建物全部を壊せるかもしれない。親友を殺そうとしたように、一切の情けをかけず、大広間に集まっている学生たちを死なせてしまうのかもしれない。

 私は、火柱からの熱い風を感じているのに怖くなって寒気を感じた。

 そのマリーンが私に言う。


「エスファ、アンラートをこの国から遠くに連れていって」




 私は、アンラート様に視線を向けた。

 アンラート様も私を見た。




 深紅の髪、赤褐色の瞳

 白い肌

 ゆっくりとした話し方

 通る声

 上品な仕草

 細長い指

 いたずらな表情

 唇


 私はこの人のことが本当に好きだ。

 アンラート様もじっと私を見ていた。



 ついっと、その口角が上がった。

 王女らしい優雅な、悠然とした微笑みだった。


 アンラート様が何か腹を決めたのが分かった。



「マリーン」

 アンラート様はマリーンの方に向き直った。


「わたくしは、エスファとこの国を出ない」


 アンラート様は私を切った

 胸に激痛が走ったような気がした。


 それを聞いたマリーンから表情が消えた。無表情だけど、激怒したことが伝わってきた。


「アンラート……!!それは」


「わたくしは!!」

 マリーンの言葉をアンラート様は大きな声で遮った。


 そして、毅然として言った。


「わたくしは、マリーン、あなたと一緒なら、この国を出ます。」

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