25. 聖女格闘戦

 フリチェーサは何も言わない。表情もほとんど変わらない。私を蹴る時に、その瞳に憎しみが見えるような気がする。

 そろそろ、ただで蹴飛ばされ続けてるだけではいられない。

 私にだって、マリーン譲りの魔法があるんだよ。

 


 …ろうそく程度だけど。



 手は後ろに回されて手首で縛られているが、おかげで手の平はそれぞれ内側を向き合う形になっている。会わせた手の中の隙間に魔力を溜めて、熱を発生させる。ろうそく程度の火だけれど、このロープを切るくらいのことはできるのではないか。

 ただ、時間が掛かるので、その分の時間は、蹴飛ばされるしかないのがつらい。

 あと、なにげにろうそく程度の火のくせに熱い。たぶん、手首を火傷している。

 自分で自分の傷を治すのが苦手なんだよな。痛みを消すことがうまくできなくて、治す時の痛みに耐えられない。私に治癒魔法をかけられた人たちは、よく耐えられたなあ。


 もう10回以上蹴られて、顔は、そのうち5回くらいだ。

 目や鼻や口の中を蹴られないように避けるが、その分、顎とか耳の上とかに当たってしまう。たぶん、顔には大きなアザができるだろう。


「ちょ、顔を蹴るのはやめてって言ってるでしょ!」

 せっかく不細工ではない顔が、歪んでしまったらどうするんだよ。

 アンラート様が、アンラート様だけだけど、かっこいいって言ってくれた顔だぞ!

 

 顔はやめろと言ったおかげか、今度は腹を蹴られた。

 咄嗟に腹筋を絞めたけど、それでも痛いっていうか、苦しい。

 息が詰まって吐きそうになる。

 ……顔の方がましかも。

 

 手首のロープがようやく緩んできたのを感じた。

 もう少し!小さな火を起こし続ける。


 また、顔を蹴られそうになった、

 そのとき、私は、ようやく手首のロープを引きちぎることに成功し、左腕で蹴りを防いだ。

 しかし、足はまだ縛られたまま、動かせない。右手に火を灯したままロープを握る。手首よりは早くロープが千切れることを期待して。


 フリチェーサが目を大きく開く。

 どうやら驚いたらしい。


 そのすぐ後、にたっと笑った。

 こんな笑顔は初めてで、ちょっとぞっとする。ふだんのフリチェーサは、きつめの整った顔で笑う。汚いものを見下してバカにするような嘲笑うような。

 それとは大きく違う今の笑顔は何といえばいいのだろうか。…でも、見覚えがある気がした。


「そうか、魔法か」


 フリチェーサのその言葉にも驚く。いつもの甲高い声ではないし、言葉遣いも何だか違う。

 ものすごい違和感だった。


 しかし、そんなフリチェーサの顔をいつまでも見ているわけにはいかない。

 上半身が自由になったので、腰をネジって、足を抜こうと試みる。

 固く縛られているので、足は抜けないが、ロープは少しだけ緩む。


 慌てたように、フリチェーサが私の両腕を掴んで、抑え付けようとする。

 

 がつんっといい音がした。

 顎に頭突きを食らわしてやったのだ。その衝撃で、フリチェーサの手が離れる。頭突きって、やった方もやられた方も痛い…。たんこぶできそう。


 その隙にもう1回、体を捻り、片足を抜くことに成功する。

 椅子にくくりつけられているのは、もう片方だけだ。

 自由になった足を軸にして、椅子ごと、フリチェーサに横蹴りをいれてやった! 

 

 「!!」

 小さな悲鳴のような声を挙げて、フリチェーサが横倒しになり、私の足から椅子が抜け落ちた。いや、足が抜けたのか。

 ついでに、倒れているフリチェーサのお尻を思い切り蹴っ飛ばしてから、後ろにとびすさった。

 

 フリチェーサが顔を上げ、きっと私を睨み付けながら、立ち上がった。

 こういう怖い顔は何度も見た。

 

 さあ、フリチェーサ様と殴り合いをするのか。

 そんなことをしなくても逃げ出せるのか?


「……魔法…っていうのは……」


 また、フリチェーサがにたっと笑った。

 この笑顔は、睨んだ顔よりも、得体が知れなくて、ちょっと怖い。


「こうだろう!!?」

 その左手が私の方に伸び、その手のひらを中心に炎が現れ、さらに、その炎が私に向かって飛んできた。

 間一髪避ける。制服のスカートが少し焦げた。


「魔法、使えるんだ…?」

 私は心底驚いた。フリチェーサは、学院の筆頭の事務官候補生だ。戦闘はほとんど学んでいない筈だ。そもそも魔法で戦えるほどの魔力を持つ者は少ない。魔力があれば問答無用で魔法師専攻となり、事務官候補生にはなっていない。

 魔力を隠し持っていた?


 そんなことを考えている暇もなく、足が氷り付けられそうになっていた。飛び跳ねて避ける。

 ついでに、椅子を拾い上げて投げ付けた。


 ぼっ 


 という音がして、空中で椅子が燃え尽きて落ちて砕けた。

 燃えている椅子の破片が一つ二つ、私に向かってくる。

 それも何とか避けて、火傷を負わずに済んだ。

 なんだよ、戦闘に慣れてるじゃん!


 やばいなあ、と感じる一方で

 ロヴィーが言っていた魔法師対応策を思い出す。 

「魔法師は手をこちらにかざして、炎やら水やらをぶつけてくることが多い。だから、その腕を攻撃すれば魔法師の攻撃は止まる。」

 ロヴィーは、マリーンと初めて決闘したとき、マリーンの左腕を攻撃しようとして相打ちになり、ロヴィーは右腕や右肩に大火傷を負って、マリーンは左腕を負傷したと話していた。

 

「どうした?治癒師様?」

 フリチェーサがにたにたと笑いながら近付いてくる。

 左腕が上がり、左の手のひらを上に向ける。

 その手から、氷と炎が絡み合うように発生し、水蒸気が起きる。


 !!!!!!


 その魔法、炎と氷が混じり合いながら上昇する魔法。

 私は、その魔法を何度か見たことがある。

 その魔法を使う人は、よく、にたっと笑っていた。ああ、考えてみれば、あの笑顔を私は見慣れていた。


 叫ぶ


「マリーン!!??」


 フリチェーサが一瞬怯んだ。

 その隙を逃さず、フリチェーサに飛び付き、その左腕を後ろに捻り上げて魔法を防ぎ、背中側に回った。フリチェーサの背中に乗るように、右手で彼女の左腕を背中側に捻り上げ、残った左腕で首を締め上げた。さらに、膝の裏を蹴って膝を着かせ、その背中に体重をかける。

 ロヴィー仕込みの閉め技だ。腕力の強い男には通用しないが、フリチェーサなら何とかなりそうだ。

 左腕の関節の痛みと、呼吸のできない苦しさで、フリチェーサがうめく。


「あんた、誰?フリチェーサなの?マリーンなの?」

 私は彼女を問い詰める。


 しかし、彼女は答えない。

 

 ごきっという音がして、フリチェーサの左肩が抜けた感触がした。

 しかし、左手を緩めたら魔法で殺される

「あんた、誰?」

 私はもう1度尋ねる。


 答える代わりに、フリチェーサの自由な右手から炎が私の顔に向かって飛んできた。

 フリチェーサの左腕をつかんだまま、体を反らせて避ける。

 その分、フリチェーサの首がさらにしまった。

 

 げぶ


 っと音がして、フリチェーサが口から泡を吹く。


 やば、殺した??

 慌てて、右手を話すと、フリチェーサがそのままごんっと音を立てて頭から倒れた。


 白目を向いて、泡吹いて、鼻血も垂れて。

「ひどい顔」

 思わず、口にしていた。

 呼吸はできている。死んではいない。

 とりあえず、体を横にして気道を確保。吐かないでね。


 そのまま、フリチェーサから離れて、ドアをそろそろと開けた。

 ドアの向こうの部屋には誰もいない。

 またドアがあり、そこは外につながっているようだった。

 

 私はドアから外に飛び出した。


 

 「学院は…」


 そこは、学院の北側にある森の中の古い小屋のようだった。

 木々の上を見渡すと、わずかに、学院の白い尖塔が見えた。

 学院の方向が分かった途端、私は走り始めた。


 きっと学院で、何かが起きている!

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