23. それぞれ

 お前がこの国を守れ


 守れ


 この国を守れ


 この国に害なす者を消せ


 消せ


 害なす者を消せ 




ーーーーー



 エスファが気を失っている頃、

 その声が学院に響いた。 



ーーーーー



兵士候補生訓練所



「!?」


 あの声か、とロヴィーが頭を押さえた。

 今度は、最初の時のように強い声だった。被った兜をがんがん叩かれるように、言葉が頭蓋内にねじ込まれるように。

 ロヴィーは兵士訓練場にいて、精鋭部隊とその他の兵士候補生と、いつも通りの訓練をしていた。声を聞いたのはロヴィーだけでなく、訓練場にいた者全員だった。

 まずい、

 ロヴィーは、あのときヴィセがおかしくなったことを覚えていた。あんなにエスファを大事に思っているあの娘ですら、エスファにナイフを突き立てようとした。

 ここにいる者たち全員が愛国心の塊だ。すぐに声に引き込まれる。既に全員が頭を抱えてうずくまっている。

 

 あのとき、ヴィセはエスファの声と顔ですぐに我に返っていた。

 ヴィセがエスファを思う気持ちほど、私が、こいつらの隊長として認められていれば?

 みんな、私を認めているのだろうか?一緒に戦った仲間たちは。 

 

「全員、聴けえええ!」

 ロヴィーは吠えた。

「貴様らの隊長は誰だ!!?」

 国じゃない、私の名前を思い出せ!

「誰だ!!」

 叫ぶ。そして、自分の持っていた剣を抜き、立てられていた訓練用の鎧を切り捨てる。

 鎧と剣がぶつかり、訓練場全体に鋭い金属音が響き、がしゃがしゃと鎧が崩れ落ちた。

「誰が隊長だ!!」

 繰り返す。

 

「…ろ…ロヴィー……」

 誰かがロヴィーの名を呼んだ。

「そうだ、私だ!私の名前を呼べ!!」


 ロヴィー


 呻き声の中、あちらこちらで、ロヴィーの名を呼ぶ者たちが現れる。

「もっと大きな声を出せ、叫べ!私は誰だ!!!!」  

「「「「ロヴィー」」」」

 次第にロヴィーを呼ぶ声が大きくなる。

「私の名を呼べ!呼べ!!」

 私の名前を呼ぶ声が、呪いの声を頭の中から追い出してくれる。

 精鋭部隊は全員立ち上がり、ロヴィーの前に立っていた。その他の兵士候補生の中でも、ロヴィーや精鋭部隊に憧れていた者は立ち上がることができた。


 …なんとかなった

 

 部隊が声に打ち勝てたことと、つまり、予想以上に隊長として認めてもらっていたことに安堵する。

「思ってたより、自分に自信がなかったし、こいつら信じてなかったんだ、私」

 部隊の中では一番強いとしても、実は一番年下で、女だ。実力さえあれば関係ないと、自分も誰もが語っていたが、自分自身が腹の底からそう思っていたわけではなかったことを初めて自覚した。

  

 ロヴィーの声が届かなかった兵士候補生たちが、ふらふらと立ち上がる。

「くに…まもる…まもる…てき…」

 うつろな目をした顔をあげ、ぶつぶつとつぶやき始めた。


「三列横体で整列!」

 ロヴィーの命令に、ざっと部隊が並んだ。 

 ロヴィーは、精鋭部隊に、数人の小隊で一人の兵士候補生を拘束するように指示を出す。正気を失った者の身体能力は上がる。1対1では対処しきれないと予測しての命令だった。

 正気を失った者たちを多少は負傷させても、エスファがなんとかするだろう


「エスファ?」


 こんなときに限って、エスファが自分の近くにいないことを思い出した。

 教室のある東棟にいる筈だ。

 



 ーーーーー




 東棟 侍女専攻実習室


「あああああああああ」

 あちこちで叫び声がする。


 ヴィセはまだ専攻を変更できておらず、これまでどおり、侍女専攻の先輩ら数名との実習に参加していた。

 侍女候補生たちも、数日前からの声に不安を覚えていたが、遂に、その声に襲われていた。頭の中を書き換えられそうになる。


 エスファ、助けて!!

 ヴィセも声と戦っていた。声に飲み込まれず自分を保たなければならない。

「…わ、私は、エスファのそばにいる…って……決めた……」

 エスファのぱかーっとした笑顔を思い出す。

 いつも私に甘えてくるくせに、私以外の人を想っている。

 エスファのことを考えると、甘さと苦さが混ざって胸が苦しくなる。 

 それでも、そばにいることに決めた。

「私は、エスファと一緒にいる……!」

 自分に言い聞かせる。もう声にとらわれたりしない。


 ヴィセは立ち上がった。

 周りを見渡すと、頭を抱えている者、うつろな目で「くにをまもる」とつぶやいている者たちの中に、二人くらい真っ青な顔でヴィセを見ている者がいた。

 あの先輩たちは、国や王族ではなく、自分の仕える相手を既にはっきりと決めている人たちだった筈。

「…ヴィセ……、怖い声が聞こえたらご主人様を強く想えって、あなたが言ったのは、こういうことだったのね…」

 正気を保った先輩たちの声にヴィセは頷いた。

 

 曖昧なんだ。ヴィセは思った。

 国を愛するということは、誰かを愛するという気持ちに比べて、漠然としているんだ。だから、そこをつけ込まれる。

「逃げましょう!」

 ヴィセは正気の二人の先輩に声を掛ける。声に囚われた者は、エスファを襲った自分のように、正気の残っている自分たちを襲ってくるかもしれない。

「ど、どこへ?」


 どこへ……?

 ロヴィーのそばが一番安全!というエスファの声を思い出す。

「兵士訓練場へ!」

 ヴィセたちは部屋から飛び出した。




ーーーーー




アンラートの居室


 中央棟の上階は王族専用である。大きな階段のある縦長の広間を廊下にして、右に謁見部屋を兼ねた会議室などの用途に応じた部屋があり、左側にはアンラートの居室がある。

 廊下の中央には、尖塔につながる螺旋階段がある。

 その下、1階は大広間になっている。


 そのとき、アンラートは自室で専属の侍女であるセレーサと何かを話していた。突然、セレーサが小さな悲鳴をあげて、耳を押さえてしゃがみこむ姿を見て驚き、アンラートは何かが起きたことに気付いた。

 ドアの外にいる近衛兵たちのうめき声も、ほぼ同時に聞こえてきた。 

 

 呪いの声だということに、すぐに思い至り、咄嗟にドアの鍵を閉めた。

 近衛兵たちのわめく声と、暴れる音が聞こえてきた。

 セレーサは震えながらうずくまっている。  

「セレーサ!」

 アンラートはしゃがみこみ、セレーサの肩と背に触れる。

「セレーサ、聞こえますか?わたくしの声が聞こえますか?セレーサ!」

 このまま、セレーサが声に囚われたら、自分が殺されるかもしれないと突然気付き、体がぶるっと震えた。子供の頃からずっと一緒にいたセレーサをこんな風に怖いと感じたのは初めてだった。

 しかし、その恐怖は一瞬で済んだ。

 

「…姫…様……」

「セレーサ!」

「…申し訳ございません。取り乱しました。」

 セレーサは真っ青な顔だったが、ゆっくりと立ち上がった。

「大丈夫でございます。…エスファール様から、私なら大丈夫だとお声を掛けてもらっておりましたから」

 珍しくセレーサの口角が上がった。

 

 セレーサは大きく息を吐いた。そして、少しだけよろめいたが、すぐに、しゅっと背を伸ばし、ドアの鍵を確認した。さらに、動かせる家具をドアの前に並べて簡易なバリケードを作った。

 

「姫様、とりあえずの措置しか、私めにはできません。申し訳ございません。近衛兵が正気を取り戻すまで、今しばらく待つことしか…」

 

 アンラートはバリケードが築かれたドアと反対側の壁にはりつくように立っている。

 セレーサはアンラートに背を見せて立っている。守るように。


 何が起きているのか?


「エスファとロヴィージェがいるわ…」

アンラートは自分で自分を安心させたくて、つぶやいた。




 ーーーーー




 アンラート様はもうすぐ国を出てしまう

 私はこの国に取り残される


 ああ、一緒にいたいなあ……


 頬に痛みと衝撃が走って目が覚めた。

 顎を手でさわろうとしたが、腕が動かない。

 

「…え…?」


 腕だけではなく、体全体が思うように動かない。

 目を開ける。

 首は動くので、辺りを見渡した。

 

「どこ?」


 さほど広くない、壁は丸太が重ねられたもの。校舎にこんな壁の部屋はない。

 ドアが一つ。窓からは緑が見える。天窓もあった。木が見えた。森の中の丸太小屋なのだろうか。家具らしい家具はないが、自分は椅子か何かに座らされている。

 

 背もたれごと、後ろ手に両手が縛られ、足も椅子の足にくくりつけられていて動かない。

 ふーっと息を吐いた。

 呼吸はできる。胸や腹も異常はなさそうだ。ひりひりする頬以外に痛いところはない。

 衣服は制服のままだ。靴もはいたまま。

 

 あれから、どれほどの時間が経っているのか。

 天窓からの光は、昼間であることを示している。

 昼前の講義の真っ最中に襲われたから、まだ、そうは時間は経っていないだろう。


 そして、人の気配を感じた。


 次の瞬間、下顎に激痛が走った。

 顎をさわりたいが、さわることができない。

 ぺっと口から唾を吐く。血は混じっていないから、大したことはないが、

 大したことではないが


「なにも靴はいたまま顔蹴ることはないんじゃないの?」

 私は、その人をきっと睨みつけ、その名を呼んだ。


「フリチェーサ様」

  

  

 

ーーーーー




 


 マリーンが、尖塔を見上げていた。


「………」

 声にならない声が、風と一緒に舞い上がった。



 

 

 

 

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