19. 塞ぐ

 ヴィセのいじめを含めて、学院のあちこちでトラブルが起きていた。

 ことあるごとに呪いだの愛国心だのと誰かが喚き出し、衝突して殴り合いに発展することも少なくなかった。

 くそじじいの後に、狂った者はまだ出ていないにもかかわらず、自分が狂うのではないかと怯えている者がじわじわと増えていた。

 素直な臆病者は学院から逃げ出した。

 素直に怖いと言えない臆病者は他人を疑いながら、学院にしがみついた。

 

 意外なくらい落ち着いているのは、ロヴィーが率いる兵士候補生たちだった。

 王国の兵隊は、それこそ愛国心の固まりの筈である。

 ロヴィーだけは、能力も考え方も型破りで、愛国心のある振りしかしていない。

 一方、彼女の部下たちは、愛国心に勝らずと劣らず、隊長であるロヴィーへの信頼と尊敬を抱いている。

 同じく、マリーンが導く魔法部隊も落ち着いている。

 声が聞こえてきたら、隊長の声を思い出せ。呪いの声よりよっぽど怖い。俺たちは既に隊長に呪われている。部隊の者たちはそんな風に互いに声を掛け合っていた。だから、噂に振り回されないでいる。

 そのため、騒ぎが起きても、兵士候補生たちが駆け付けて、すぐに沈静化させることができていた。


 

  

 ーーーーー




 ドアがノックされた。アンラート様の侍女、セレーサさんのノックだ。

「お待ちください」

 ドアの向こうに返事をして、私は慌てて制服を着る。

 

 尖塔の下にあるアンラート様の部屋にてくてく向かっていく。


「…エスファール様。申し訳ございませんが、お尋ねしてもよろしいですか?」

 セレーサさんと何度も廊下を歩いたけれど、声を掛けられたのは初めてだった。


「私は、呪われませんか……?」

 弱々しい声で私に尋ねる。この人も不安だったんだ。

「分かりません」

 そう答えると、がっかりしたように目を伏せた。

「でも、私が呪われなかったのは、アンラート様を王国よりも敬愛しているからだと思っています。余り大声では言えないんですけど」

 セレーサさんが顔をあげて私を見る。

「セレーサさんは、アンラート様にずっと使えてきたのでしょ?」

「ええ、ご幼少の頃から。…これからも。一生を捧げるつもりでおります」

「お輿入れの後も?」

「左様でございます。私だけが付いていくことを許されました」

 ああ、羨ましいなあ。アンラート様に付いていけるんだ。

 お国の天然記念物である私は王国から出してはもらえない。

「…それなら、大丈夫かもしれませんね。声が聞こえたら、アンラート様のことを強く思ってください」

 セレーサさんと目が合った。この人の笑顔を初めて見た。




 ーーーーーー



 アンラート様の部屋の前に立つ。

 正直、気まずかった。

 前に呼ばれたとき、私、なんかキスされた……ような記憶がある……いや、あれ妄想だろ…だって、現実感がない。 

 ノックして、返事を待ってドアを開けた。


「エスファ!来てくれたのね」

 部屋に入ると、アンラート様はすぐさま立ち上がった。

「…もう、来てくれないかもしれないと思った」

「そんなこと、あるわけないです」

 呼ばれなくても来たいくらいですよ、アンラート様の前ではヘタレる私には言えず。というか、アンラート様、いつもより頬が赤いです。困った。こういう表情は珍しくて、じっくり見ていたいんですが、…恥ずかしくて目が合わせられない。

 アンラート様が私の真っ正面に立った。

 私の目線は下を向いているので、アンラート様の胸と足が見える。胸の谷間が見えますよ。もう少し隠していただきたいような、もっと見たいような。

「エスファ?」

 アンラート様が私の左手を取る

「顔、上げて」

 おずおずと視線を上げていくと、アンラート様の唇が目に入って、無償に恥ずかしくなって、また、うつむいてしまった。

「エスファ…ごめんなさい。やっぱり嫌だったわよね」

 向かい合って立ったまま、両手を握られた。その手が震えている。


「子供の頃から、ずっと誇りあるワジェイン王国の王女たれと言われて育って、それが当たり前で、何とも思ったことなかったのだけれど。エスファと会って…わたくし、変わって…しまって……」

 アンラート様が、はーっと息を吐く。 

「…エスファが可愛くて………。わたくし、ずっと妹がほしかったから…。治癒師としても頑張ってもらいたかったし」

 そして目を伏せる。

「でも、ロヴィージェとマリーンと、あとヴィセーラといるときのエスファと、わたくしの前にいるときのエスファって違うの。本当に楽しそうで、きらきらした笑顔で笑ってて……、初めて、王女であることが寂しいと思ったわ」

 いつもと同じ、少しゆっくりで優雅な話し方。

「セレーサにわがまま言って、ときどき、こうして部屋に来てもらっていたのだけど、エスファはいつもわたくしの前では緊張していて、なかなか、無邪気な笑顔を見せてはくれない。それは、わたくしが王女だから、仕方がないことだと思うのだけど……」

 私の手を握る手に力が入る。いや、それは王女だからだけではないんですけど。

「それでも、エスファを何度も呼び出したの。エスファといられることが嬉しくて」

 

「最近……胸がどきどきするときがあって」

 え?私の胸ならいつでもどっきどきですけど。

「知らないわよね、あなた、ときどきとても格好良い顔するのよ。あの、息を吸いこむ時」

 自分と格好良いという言葉がかけ離れていて理解できない。


「治癒魔法を掛けようとする瞬間。すーっと息を吸うのよ、あなた」

「ああ、癖なんです」

「表情とか、その瞬間、急に大人びるのよ。…本当に格好良いと思ってしまったの。…あの衛兵に治癒魔法をかけているとき」

「私は、あんまり見られたくなかったです。私の魔法って、見た目が気持ち悪いから。あのときも吐いてた人がいましたよね」

 治癒魔法を誉められるのは慣れてるけど、格好良いって言われたのは初めてで、それもアンラート様からなので、頭がかーっとなってしまって、変に謙遜してしまう。  

 アンラート様の手に力が入った。いつもより、少し早口かもしれない。

「魔獣討伐も見ていたわ。噂の『走る聖女』って、こういうことだったのか、って。」

 あのときもロヴィーの方が格好良かったと思うのだけど。  


「それから、エスファを見るとどきどきしてしまって………わたくし……この前、初めて、自分が王女であることと、その立場をわきまえて振る舞うということ、忘れたの…」

 

 アンラート様が私の両手を包み込むように握りしめた。

 ようやく、私はアンラート様の顔を見た。ほっとしたようなはにかんだ笑顔が見えた。

「…エスファは、よく、ロヴィージェやマリーンにキスしてるから、わたくし、ちょっと羨ましかっくて。ずっと……したかった」

 思考が戻ってきた。

 アンラート様のおっしゃていることを理解しようとすると、私は、私が思っていた以上に、というか思ってもいなかったほどに、アンラート様に……………いや、そんなバカな

「…唇には、したことありません……」

 いや、今、そんなことを言っている場合じゃないよね私。

「え…、ごめんなさい、わたくし…わたくし、そんなつもりじゃなくて……、いえ、そんなつもりだ…った……」

 アンラート様が眉をひそめて、私の顔から目をちょっと外す。何を言っているのか、この人も分からなくなってないか?


「アンラート様!」

 やけくそで大声を出す。

「は、はい!」

 驚いて返事をしたアンラート様の目をしっかり見る。顔が熱い。

「打ち首、覚悟でお願い申し上げます!!」

 戦場で走り出したときの気持ちに似てる。すーっと息を吸って走り出すように。もう、止まっていられない。走れ、私

「私、アンラート様の唇にキスしたいで」

 

 す


 口を唇で塞がれて、最後まで言わせてもらえなかった……。


 びっくりしたけれど、体の中から興奮が沸き上がってくる。

 アンラート様の唇がようやく離れた。

「…エスファ、わたく」

 今度は、私がその唇を塞ぎ返す。

 


 それから、初めて私からアンラート様を抱き締めて、言葉を塞ぐのではないキスをした

 

 


 ~~~~~~~~~~


 北の辺境の街で

 業火の柱が上がる


 断末魔の叫びが消えていく

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