17. 炎の柱

 次に呪われた男は、これまでで最もタチが悪かった。

 愛国心は確かに強いが、それ以上に虚栄心が強い男。

 できもしないのにエスファの治癒魔法を開発しようとした男。

 治癒魔法の教育名目でエスファに動物を何匹も見殺しにさせた男。

 エスファは怒りを込めて彼を「くそじじい」と呼ぶ。


 くそじじいはくそじじいだが、若い頃はそれなりに凄腕の魔法兵士だった。

 かなりの魔力を保有し、炎の魔法を得意とした。

 年をとって体力が落ち、戦場では活躍できなくなると、北の辺境の街に異動し、学院の教師になった。

 そして、たくさん魔法兵士を産み出して、国王に感謝されようとした。

 ただ、教えるのが致命的に下手だったので、彼の指導によっては、その企みほどは多くの魔法兵士は生まれていない。


 くそじじいの最大の学院への貢献は、マリーンを北の辺境の街から連れてきたことだ。

 そのマリーンが活躍し、また、後輩の魔法兵士候補生を指導し、学生部隊を指揮するようになると、くそじじいはそれが自分の力だと思うようになった。

 また、治癒師の育成に失敗したことも納得できず、エスファにしてやられたと受け止めていた。

 くそじじいは王国はもっと自分に感謝すべきだと思っていた。


 「声」は、そんなくそじじいの虚栄心に浸透した。

 くそじじいの、魔力が急速に増大した。



 その日、くそじじいに与えられた西棟の教員控え室から炎の柱が立った。

 辺り一帯を真っ赤に染め上げ、そこから西棟校舎が燃え始めた。

 西棟は主に教師たちの待機室になっている。

 半数の教師が、授業再開まで休暇を取らされているのが幸いし、教師たちの犠牲は全く出ていなかったが、教師達が何年も何十年も掛けて作成した教材がほぼ全滅することとなった。「学校」としては大きな痛手である。

 学生たちが消火に向かう。


「水魔法だ!」

 マリーンを中心とした、魔法兵士候補生たちが集まり、火を消そうとする。

 また、ロヴィーたち兵士候補生や建築関係の生徒たちが、延焼を防ぐために西側の棟と本校舎を結ぶ渡り廊下を壊し始めた。


「エスファーーーーーーーーール」

 くそじじいが吠えた。

 燃える西校舎の上にくそじじいは浮かんでいる。

 吠える度に火柱が上がる。

「お前がいると王国が滅ぶ!お前はこの国にいてはならないのだ」

 くそじじいが唾を撒き散らして喚いていた。

「お前らには、聞こえないのか?!この国を守れという声が!!!」

「エスファールはこの国に巣食う蛆虫だという声がぁ!!」

   

 林立する火柱の中で西棟がほとんど燃え落ちた。

 誰もくそじじいに近付けない。


 校舎が燃え落ちると、次は、火の付いた瓦礫が学生たちを襲い始める。

 火柱から火の玉が飛んでくるように見える。


「ぅあっち!」

 焼けた瓦礫やその破片が当たって火傷を負う者が出始めた。


「エスファーーーーるぅ」

 くそじじいの目がぎょろっとエスファに向いた。

 細い火柱が蛇のようにエスファに向けて延びてくる。 

 にょろにょろっと延びてくるので軌道は読みにくいが、エスファの方が動きが早く、ひょいっと避ける。

「『走る聖女』なめんな!」

 ひゅっと息を吸って走り出す。くそじじいの魔法を避けながら、手の中に魔力を集める。

 

「火傷、すぐに直したい人、手を挙げてー」

 火を避けながらエスファが叫ぶと、何人か手が揚がる。エスファは手を挙げた者へ向かい、治癒魔法をかけては走り出す。


「火傷を負った学生の治癒に当たってる私と、ごーごー火を燃やしているあんたと、どっちが国を滅ぼそうとしているのか、そんなことも分かんないくらいバカなの?そんでもってなんで私が悪いっての!?」


 エスファが叫ぶが、くそじじいにその声は届かない。

 くそじじいは魔法で炎を上げ続けている。

 火勢が強すぎて、兵士候補生たちはくそじじいに近づけず、弓矢もくそじじいに届く前に燃え落ちた。

 

 渡り廊下をあらかた壊し終えたロヴィーが大声を上げた。

「鉄の銛、持ってこい!」

 その声に弾かれたように、兵士候補生が走り出し、すぐに銛を10本くらい抱えて戻ってきた。

 普通に投げても、くそじじいまで銛はとどかない。


 が、投げるのはロヴィーだった。

 くそじじいにエスファを罵られて、ロヴィーもけっこう頭に来ている。

「らあああっ」

 声を張り上げながら、ロヴィーが放った銛は、くそじじいの腹に刺さり、そのまま、向こう側に突き抜けた。

「ちっ、強すぎた」

 ロヴィーは次の銛を握る。 

 くそじじいの腹に再び銛が刺さる。

 今度は突き抜けなかった。刺さった瞬間にマリーンが銛を氷付けにしたからだ。炎ですぐに氷は溶けたが、腹に銛は残った。

「ふふ、タイミングばっちり」

 マリーンがにたっと笑うと、ロヴィーもにやっと笑う。

 さらにロヴィーが銛を投げ続け、ぐさぐさとくそじじいの太ももと肩にも銛が刺さった。 


 ずるっと滑るように、くそじじいは空中から落ちた。

 

 火の柱は、少しずつ小さくなり、やがて消えた。

 3本の銛が刺さったまま、地面の上で、くそじじいは体をびくびく震わせている。

「えすふぁあああある」

 くそじじいは、掠れ声でエスファを呪う声を上げた。

 マリーンがくそじじいに近づき、赤く焼けた銛を魔法で急激に冷やす。 

 ロヴィーが近づいてきて、銛を全て抜いた。

 くそじじいがかふっと咳をして血を吐く。意識がなくなったようだ。このまま魂が神に召されるだろう。


「エスファ、こいつ死なすな」

 マリーンが言い放つ。

 エスファは忌々しく感じながらも、治癒魔法を腹部だけに施し、元通りに戻してやった。

 いずれ意識が戻ったとき、治癒魔法を掛けなかった肩と太ももの傷は相当に痛むだろうとエスファは思ったが、同時に、痛もうがどうだろうがどうでもいいやとも思った。


 ロヴィーが銛を地面に突き刺しながら、吐くように言った。


「ひとつ、わかった。声の狙いは」

 ロヴィーは視線をエスファに向ける。


「エスファだ」




 ーーーーー





 声は、衛兵のおじいさんたちの後、私たちを狙った。

 私たちの愛国心を利用して暴れさせるか何かしたかったか、

 もしかしたら、ロヴィーかマリーンに私を殺させたかったのかもしれない。


 声にとって、私は邪魔な存在らしい。

 私が?治癒師が?




 くそじじいが縛られて荷馬車に乗せられた。

 とりあえず、くそじじいを学院から離すのだ。

 牢があるのは北の辺境の街だ。牢に入れるには、そこに行くしかない。今は学生寮を襲った衛兵の老兵たちも北の辺境の街の牢に閉じ込められている。


 そこへマリーンが馬を出してきた。

「マリーン?」

 馬上のマリーンを私は見上げた。

「ごめん、エスファ。ちょっと行ってくる」

「なんでマリーンが行くの?」

 馬の顔を私は撫でた。

 この島には学院しかない。どこかに行くとしたら北の辺境の街だ。


「……あれ、父親なんだわ。あのくそじじい」

 マリーンが顎で荷馬車を指し示す。


 ?

 

「ほんと、腹が立つ。こんなのと血がつながっていることが」

  

 いや、全然似てないんだけど。

 口に出せない思いが表情に出たのか、マリーンが笑う。


「魔力はこいつに似たけどね、見た目は母親に似てるんだよ。私。母は売れっ子の美人娼婦だったらしいよ。街に流れ着いたこいつが無理やり母に産ませたのが私」

 

 突然の出生の秘密の暴露に、なにも言えなくて口をパクパクさせた。


「血縁者なんでね、ちょっと手続きして、またすぐ帰ってくる。ロヴィー、この子守ってやってね」




 それから、ロヴィーの目をじっと見て、真面目な顔でその手をぎゅっと握った。


「調子こきすぎて、引き際の分からなくなった馬鹿を止める役目」


 ロヴィーもじっとマリーンの目を見ていた。

 それから、いつものようにマリーンはにたっと笑って、ロヴィーの手を放し、そのままその手でぽんぽんとロヴィーの頬をかるく叩いた。



 出発間際、お互いに手を振る。

 荷馬車とマリーンがだんだん遠くなって見えなくなった。


「ロヴィーは、くそじじいがマリーンのお父さんだって知ってた?」

「うん。マリーンから聞いたことがある」

 ロヴィーが私の肩に腕を回しながら話してくれた。


 北の辺境の街は、この国の北端にあり、そこから北にあるのは海を越えた辺境学院しかない。

 辺境学院で教鞭に立つ者は、純粋に若者を育てようとする者ばかりではなく、名を挙げたい者や国に恩を売りたい者、自分が育てた若者を国の中枢に就けて権力を持とうとする者がいて、そういった野心を抱く者も北の辺境の街に集まってくる。そうした輩は、王都での地位や活躍を鼻にかける者が少なくなく、北の辺境の街を田舎町だと馬鹿にする。

 くそじじいもその一人で、かつて街一番の美人の娼婦を独り占めして孕ませた。それがマリーンだった。マリーンが生まれたばかりの頃は、くそじじいは自分が父親であることを認めようとはしなかったので、マリーンは母親だけで育てられた。

 そうして数年が経過し、幼かったマリーンが魔法を使えることに街の者たちが気付くと、くそじじいは初めてマリーンを見た。娘というより利用できる子供として。

 しばらくして、マリーンは学院に連れてこられ、攻撃魔法のエキスパートとして育てられることになった。


「……マリーン」

 私は空を見上げた。ぽんぽんとロヴィーが私の背中を叩いたのを合図に、二人で女子寮に戻る。

「私、この国で戦わなくても構わないけど、マリーンと一緒の部隊がいい」

 珍しくロヴィーが自分の気持ちを話す。

「…マリーンは私より強い。マリーンがいると負ける気がしない」

 マリーンのこと、そんな風に思ってたんだ。

「マリーンはロヴィーより強いの?」

「戦い方によるけれどね。でも、私とマリーンと、あとエスファがいれば無敵な気がする」

 ロヴィーが笑った。

 いつものぼんやり顔よりもかっこいい笑顔だった。

 

  

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