15. 走る聖女(2)
エスファ 14歳 過去
「エスファじゃないか、噂の聖女の子って、エスファのことだったのか」
親戚のクロアスだった。事務官や官僚になる者が多いエスファの一族で、珍しく兵士になった男だった。
「ちょっと、あばらをやられちゃってね。鎧の上から斧を叩き込まれてさ、刃は胸に届かなかったけど、衝撃でね。いててえ」
「ちょっとじゃないよ、これ」
クロアスに前に会ったのは、エスファが学院に入る前だったから、2~3年ほど前だろう。親族の中では一回り体が大きなこの男は、小さい頃からエスファを高く抱き上げてくれる優しい兄貴分だった。
エスファは、他の人より少しだけ丁寧に治癒魔法をかけてしまう。何本もの肋骨が折れていて、よく笑って挨拶ができるものだと感心するくらいの重傷だった。
「うわ、すげえな、ホントに治癒魔法だ。俺とおまえの血がつながってるのが信じられんわ!」
クロアスはぐしゃぐしゃっとエスファの頭をなでた。
「おかげで、まだやれるわ。ありがとな」
クロアスは立ち上がり、新しい鎧を身に付けると、飛ぶように戦場に戻っていった。
戦況はなかなか動かず、その後にも2回、クロアスに治癒魔法をかけた。クロアスに限らず、2度3度と陣地に運ばれてきてエスファに治された途端に戦場に戻っていく兵士は何人もいた。
王国のために逃げない、弱音を吐かない兵士ばかりで、国民の愛国心の高さやタフさにはエスファは何度も驚かされた。
「聖女の子が来てくれて、少し、盛り返してきたって、俺の隊の隊長が言ってた。俺、すげえ嬉しかった。俺の一族なんだってみんなに自慢しちゃったよ。本当、ありがとうなあ、俺、今度こそダメかと思ったけど、エスファのおかげでまだ戦える」
満面の笑顔で、クロアスが頭をなでてくれた。4度目の治癒魔法だった。腕が骨でかろうじてぶら下がっているようなひどい重傷だったが、すぐに武器が振り回せるくらいに元に戻すことができた。
「聖女はやめてよー、そんなんじゃないよ」
「いやぁ、聖女聖女、正真正銘、聖女さまだよ」
それが、クロアスとの最後の会話になった。
既に事切れたクロアスに、いくら治癒魔法をかけても意味がなかった。
エスファは治癒魔法の限界を思い知らされた。
ーーーーー
私は、クロアスを4回殺したようなものだ。
生き残るチャンスがあったのに、私が治癒魔法をかけたせいで、3回死にかけて、遂に死んだ。
クロアスだけじゃない。私のせいで何度も死に直面させられて、結局死んだ人が何人もいる。
何が聖女だ、何が治癒師だ
私は悪魔だ、この力は呪いだ
アンラート様、私は知りました。
治癒師は、ネズミを殺すよりも、たちが悪いです。
ーーーーー
その日、突然、陣地から前線に向かって走り出したエスファを誰も止められなかった。
明らかな命令違反だった。エスファは自分の持ち場を放棄したのだ。
年長の治癒師は、エスファが死ぬと思って愕然とした。
あの娘は、まだ自分で自分を治療することがうまくできないのに。
命令違反であることはエスファの頭になかった。
ロヴィーがいつもの時間になっても帰って来なかった。
それが引き金になって、走り出してしまったのだった。
一歩一歩、進む都度に風景が荒れる。
あちこちに矢が刺さり、武器が転がっている。火が上がり、辺りの木々や建物、防御壁の欠片が燃えていた。倒れている兵士が何人もいた。
うめき声が聞こえると、エスファはそれに駆け寄った。
ロヴィーを探したい気持ちで一杯だったが、先に目の前の兵士を助けなければならない。
「ありがとう、聖女さん。また、戦える」
にっと笑う兵士に、クロアスを思い出さずにはいられない。
「ダメ、もう陣地に戻って休んで」
「ありがとな」
兵士はエスファに礼を言うと戦場に向かって歩き出す。
治したら、また、行ってしまう。でも治さなければ死んでしまう。
エスファは何人も何人も癒しては、彼らを止めようとして止められなかった。
「聖女のお嬢さん、ありがてえけど、こんなとこにいちゃダメだ。陣地に帰ってくれ」
逆に、たしなめられ、帰れと諭されることも何度もあった。
エスファもまた、足を止めなかった。
前線へ、前線へと向かっていく。動けなくなっていた兵士がエスファと共に前線へと戻っていく。後ろに下がる兵士が明らかに減っていた。
エスファは気付いた。
陣地に戻されるのは、重傷を負った者たちだけで、軽傷の者は放置されている。
陣地に戻る間に、重傷の者は死にかけ、軽傷の者は重傷になる。
かたっぱしからやるしかない!
息を吸って、吐く。体の中を魔力が流れているのを感じ取り、心の手で掴む。
そして、エスファは走り出す。
怖かったが、怖いなんて言っていられない。一人でも多く治す。
飛んでくる矢を避けることもあった。
兵士候補生に混じっての訓練がこんな形で生きるとは思っていなかった。
ーーーーー
「ロヴィーっ」
やっと見付けた。血まみれの剣を横に置き、血まみれの槍に寄りかかって、座り込んでいた。
私を見付けたロヴィーの目が丸くなる。
「エスファ!!!!」
叫んだロヴィーに抱きつく、同時に、ロヴィーの全身の傷が癒える。
「いった…ぁ」
大ケガはないし、治癒魔法に伴う痛みも大したことはなかったようで、良かった。
「なんで、こんなとこにいるの!?」
「ロヴィーが帰って来ないから!」
ロヴィーは呆れたような顔をして、私の顔をなでた。生きているのを確認するように。
「エスファ!」
マリーンも無事だった。手を伸ばしてマリーンの手に触れると、傷が癒される痛みにマリーンが顔をしかめたが、やはり、大ケガはないようだった。
「治すんだったら、痛みを消してからにしてくれるとありがたいんだけど」
マリーンが苦笑いした。
「ダメ、痛みを消す分の魔力も治癒の方に回したいから」
私は強く言い返した。
この二人さえ、大丈夫なら、もう構わなかった。
辺りを見渡して、怪我人を見付けては治す。敵襲や弓矢は、ロヴィーとマリーンが弾き飛ばしてくれた。
ーーーーー
エスファひとりの動きが原因ではない、が、同じタイミングでワジェイン王国側が敵を押し返し始めた。
当のエスファは、勝手に持ち場を離れ、命知らずな行動を取ったことを、上官からめちゃくちゃ怒られた。
しかし、それ以上に、前線の兵士たちの意欲の高揚に貢献し、相当多くの者に治癒魔法をかけたことも事実であったため、差し引きゼロで、懲罰にはならなかった。
むしろ、その翌々日には、どこまでならエスファを前に出せるかという作戦が立案され、ここまでは前に出て良いというラインが引かれた。ロヴィーとマリーンには、ただエスファを守るだけでなく、その線より前に行かせないという新たな命令が出された。
「無理するな、ちょっとでも負傷したら、陣地に戻ってくるんだぞ」
年長の治癒師に声を掛けられて、エスファは苦笑いしてうなずいた。
そして、エスファは戦場で走り出した。
ーーーーー
「走る聖女」とかいう変なあだ名が付けられて、だいたい1か月後、私は学院にようやく戻された。
もう、私がいなくても、戦争は終わるだろうという目処が立ったからだった。
学院に戻ってくると、戦場に出た私たち全員がアンラート様から勲章をいただいてしまった。
勲章よりも、それを胸に付けてもらったとき、アンラート様が私にとても近づいて、にっこり笑ってくれたことの方がうれしかった。
「…相当、無茶なことをしたと聞かされているわよ。余りわたくしを心配させないで」
戦場に出されたら、また、同じことをしてご心配掛けることになりますよ
と口には出さず、ただ、頭を下げた。
治癒師は呪われている。
それでも、私は、アンラート様の治癒師であることを覚悟した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます