14. 走る聖女(1)

エスファ 14歳 過去




 エスファが治癒能力を発現させてから1年以上が過ぎた。

 エスファは体力作り名目で兵士候補生と一緒に訓練を受けていた。

 学院の兵士候補生がたちが負傷すればエスファの出番があるが、そんなに始終けが人が出るわけでもなく、エスファは暇を持て余すことが多い。武器を持たせるには筋力が足りなすぎるものの、エスファは足が速く、柔軟性も高いことから、跳んだり跳ねたり走ったりといった訓練に加わるようになった。いざというとき、逃げ足が早いに越したことはないというのがその理由だ。

 

 ちょうど、その頃、隣国からワジェイン王国は攻め込まれ、押し返すことがなかなかできず、半年近く戦いが膠着している時期だった

 じわじわと戦力が削られ、一般兵士はもちろん、貴重な治癒師も二人失った。

 治癒師が足りないと王軍は考え、エスファの戦場への導入が決まった。

 国で最も若い治癒師であり、まだ15歳にもならないエスファを戦場に出すことに反対する意見もあったが、エスファの魔力や治癒能力が相当高いことが既に判明していたこと、エスファを温存しておけないほど戦況が悪くなり始めていたことから、エスファの出陣は避けられない状況だった。

 

 謁見室として使用されている会議室に呼び出されたエスファは、アンラートから直々にその命令を受けた。

 最初は比較的攻勢に出ている地域で訓練を兼ねて出陣することになった。


 「エスファール…断ることはできません」

 アンラートは跪くエスファに苦渋の決断を告げた。

 ついこの間まで、ネズミを死なせて泣いていたエスファを戦場に出さなければならない、14歳で死んでしまうかもしれない、そんな命令を下す役目を果たさなければならないことが、アンラートにはつらかった。

 エスファの顔色も悪く、その手は震えていた。

 

 



ーーーーー





 怖い


 怖い


 怖い


 怖い


 だけど、私は、アンラート様の治癒師だから、アンラート様から賜る言葉に従うんだ。

 顔を挙げ、アンラート様の褐色の瞳を見た。

 すぅっと息を吸って吐く。


「しかと、お受けいたします。」

 

 頑張るから。私を待っていて下さい。帰ってきたら褒めて下さい。


 アンラート様にこの言葉は聞こえないだろうけれど。




ーーーーー


 


 エスファにとって心強かったのは、ロヴィーとマリーンを含めた10人ほどの兵士候補生の出陣も決められたことだった。学生であっても能力の高いものは、すぐに実戦に投入される。ロヴィーとマリーンも国境付近の小さな小競り合いには既に駆り出されており、小さい戦場を体験していた。そして、今回は、エスファを守るこという指令を二人は受けていた。


 最初の戦場は、エスファが思っていたより怖くはなかった。

 衛生兵たちに囲まれるように、前線から離れた陣地に待機し、ときどき運ばれてくる負傷兵の治癒をするのがエスファの初出陣だった。

 学院では見たこともないような重症の兵が運ばれてくることもあり、その悲惨な傷跡に最初は腰が引けたが、自分の魔法で、ある程度は元通りに治せるという実感が得られると、傷口を見ることも怖くはなくなってきた。

 辛かったのは、危篤状態に陥った兵士を救えなかったときで、身体は生きていても、魂が神に召されていると、治癒魔法が全く通じないということをエスファは知った。重態だった兵士が死んでしまうのは、もちろんエスファの責任ではなく、誰もエスファを責めはしない。ただ、すくってもすくっても指の隙間から砂がこぼれ落ちるような感覚が耐えがたかった。



 次の戦場では負傷者が増えた。

 余計なことを考えている暇はなく、治癒魔法をかけ続けた。

 そこは、前線の音が最初の戦場よりも近く、その音が怖かった。

 火魔法の爆発音が特に苦手だった。轟音がすると心臓が飛び上がった。


 女の子の治癒師がいると兵士たちに知られ始めたのは、この戦場だった。負傷者は、最初にエスファを見ると、大概は「なんでこんなところに女の子がいるんだ」という顔をする。中にはエスファを怒鳴りつける者までいた。しかし、その治癒能力を目の当たりにすると、エスファを見る目は感謝と尊敬に変わる。


 「聖女の子がいる」

 そんな噂が兵士たちの間に立ち始めた。


 そして、次の戦場は、もう前線のすぐ近くだった。

 ここが、最大の戦場であるとエスファには知らされなかった。敵軍と押したり引いたりを長々と繰り返している場所で、どちらも決め手がなく、引くに引けず、また、攻めきることもできない状況だった。

 負傷者の多さは、その前にいた戦場とは比べ物にならず、次から次へと負傷者が運ばれてきていた。エスファは音が怖いだのと弱音を吐いている余裕もなく、魔力が尽きるまで治癒魔法をかけ続けるようになった。

 

 エスファはここで初めて自分以外の治癒師と出会った。

 彼は優しい顔立ちの中年男性だった。しかし、恐ろしく疲れきった顔をしており、エスファが応援に来たことを喜びながらも、こんなところに来させられた少女を憐れみもしていた。彼は、少しでもエスファが生き残れるように、陣地の後ろに下がらせようとし、また、効率の良い治癒魔法の使い方や魔力の抑え方を教えてくれた。

 一方、この戦場では、ロヴィーとマリーンが自分のそばから離れることが増えていた。エスファは、彼女たちが前線へと駆り出されていることが怖かったが、出掛けていっても、しばらくするとエスファのそばに帰ってきて、「治して」と打ち身や切り傷を見せてくれる度に安心した。


 その繰り返しが数日続いた。


「エスファじゃないか、噂の聖女の子って、エスファのことだったのか」

 聞いたことのある声がした。

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