10. お風呂の時間
アンラート様に報告に行く前に、鎧から制服に着替えようとして寮に戻ってきた私たちの前に立ち塞がったのは、ヴィセだった。
「…くっさ!部屋に入らないでいただけますか!」
ヴィセが怒った!すっごい嫌そうな顔だ!!
「生臭い、糞尿臭い、とにかく臭いです」
頑張って学院を守ってきたばかりの私たちにヴィセがひどいことを言う。
「戦場はもっと臭いよー」
「関係ありません。それに、ここは戦場ではございません!」
マリーンが反論するとヴィセが噛みつく。ヴィセは汚いものが嫌いなのだ。
「…ヴィセが魔物より怖いよう、いだあだだあ」
私の耳を引っ張らないで!!
「今すぐ浴場に行って下さい!着替えは私が後からお持ちいたします」
ヴィセの目が怖い。私は物理的に耳が痛い。学院の鬼隊長である筈のロヴィーもマリーンもたじろいでいる。
「さあ!」
血と動物の臭いが、鎧やその下の服にこびりついている。
そりゃ臭いわけだ。私が臭いのは、二人にくっついていたからだけどね。
特に、ロヴィーは、頭から熊の吐いた血を浴びたので、余計に臭う。
確かに、これでは、アンラート様の前には立てない。
女子寮の共同浴場は広い。魔物との戦闘に参加していた女子の兵士候補生たちは、既に入浴を終えていたらしく、私たち3人しかいないので余計に広く感じる。
ロヴィーの髪を私が洗う。背中の真ん中まであるロヴィーの長い髪を一回洗ってみたかったので、なんかちょっと楽しい。
わしゃわしゃわしゃ
「…もう、いいよ、エスファ」
小さな声でロヴィーが言う。
「いくない。気にしないで任せて」
ロヴィーが膝を抱えて小さくなる。顔は真っ赤だ。
学院一強い隊長さんが、人前で裸になるのが苦手だというのを知る者は少ない。ふだんは人がいない時間を見計らって入浴しているらしく、私は共同浴場でロヴィーを見たことがほとんどない。
「自分でやるから」
無視する
わしゃわしゃわしゃ
隣の洗い場では、マリーンが体を洗い終え、湯船に入ろうとしていた。こちらは恥ずかしがらない。
長い髪がぬれた体にまとわりついている。それをさっとまとめ上げる。
「マリーン、ちょっと待って」
マリーンの腕に引っ掻き傷ができているのが見えたので、その手を持ち、自分の指から魔力を送って傷を消す。
「気付かなかった。こんな傷。ありがと」
私の指をぎゅっと握り返して、にやっと笑うとマリーンは湯船に入った。
そして、その隙に、ロヴィーが脱衣場に逃げてしまった。
「もーーー!恥ずかしがりすぎる!!」
私も、ざぶんと湯船に入り、マリーンの隣に座る。
「エスファは平気だねえ」
「恥ずかしいわけないじゃん。毎日、女子生徒みんなと一緒に入ってるのに」
「…そういう意味じゃなくて。ロヴィーの裸見てどうよ?」
「え、きれい。あ、マリーンもすっごくきれいだよ!」
私の回答に、ずっとマリーンが鼻まで湯船に沈んだ。
実際、きれいなのである。二人とも戦闘訓練で筋肉しまっててスタイルが良い。走り回っているから太ってはいないというだけの私から見れば、二人ともとんでもなくきれいで羨ましい。もっとよく見たいくらいだ。
「…でも、私、きれいじゃないよ」
マリーンがつぶやく。
「謙遜?」
私も湯船に入って手足を伸ばす。マリーンは謙遜じゃないというように首を振ってから湯船から上がり、脱衣場に向かう。
「別に謙遜してるわけじゃないさ。そうそう、ロヴィーは、お風呂が恥ずかしいんじゃなくて、エスファに見られるのが恥ずかしいんだよ」
ん?
ーーーーー
「魔物の討伐、ありがとう。今日はゆっくり休むように戦闘に関わった者たちに伝えておいて下さい」
謁見室代わりの会議室に3人は行き、アンラートにあれこれと報告する。
殺されていた子熊と狂って魔物になった母熊。その関係ははっきりしない。
アンラートは、跪いているロヴィー、マリーン、エスファに礼を言って労った。
魔物が学院に現れた原因は依然不明ではあるが、とりあえずの危機は去った。
「それと、わたくしの判断が誤っていたこと謝罪するわ。ロヴィージェの言うとおり、最初から、あなた方の部隊に任せておけば良かった」
アンラートは謝罪して、マリーンの目を見た。
「わたくしが情に流されたために、犠牲者が出たことを忘れません」
マリーンは何も言わず、ただ頭を垂れた。
会議室から出ると、会議室の隣の部屋で今回の事件について情報を処理しているフリチェーサら事務官候補生らがいた。事務官候補生は事務官候補生で、今回の戦闘を記録演習という課題として捉えていた。戦いの経過を記録するというだけでなく、誰がどの配置に付いてどう動いたのか、征伐に必要とした資材、それにかかった金額。記録するものはいくらでもある。それはそれで彼ら事務官候補生の学習になるのだが、事務官候補生からするとからすると、ロヴィーら兵士候補生は武器は振り回せても、書類一つまともに作ることができない筋肉バカであるにもかかわらず、事務官候補生の都合を全く考えず、好き放題やった迷惑な存在でしかない。
フリチェーサとその取り巻きが、3人を睨みつけたが、功労者といえば功労者であり、隣の部屋にアンラートが控えている場所では、何も言えないようだった。それだけに、いつにもまして、その瞳に込められた怒りは大きい。
「ここにも魔物より怖い女がいたよ」
エスファの囁きに、ロヴィーとマリーンがぷっと笑ったので、フリチェーサから一層怖い目で睨み付けられた。
ロヴィーたち兵士候補生を疎ましく思う者は他にもいた。
討伐から除外された老いた衛兵たちである。
女の子が率いる学生部隊風情に自分達が軽んじられたことに憤慨し、戦闘が終わってからも、その怒りが収まらないでいた。
歴戦の英雄だった自分達がいれば、もっとスマートに魔物を退治でき筈だ。姫の御前で魔物を倒し、もう一度、自分達の愛国心を示せる筈だった。あんな女子供に我々の国を思う気持ちは理解できまい。この国を守り支えたのは自分達なのだ。
衛兵の詰め所に、熊に殺されかけ、治癒師に治してもらった一人を除いた5人で集まっていた。彼らは、最初は死んだ6人の仲間を悼んでいた。しかし、誰かが持ち込んだ酒を酌み交わし始めると、次第に、雰囲気は学生たちへの不満へとすり変わった。
酒を呑みながら、ああだこうだと文句を垂れ流していた。
守れ
この国を守れ
声が彼らの頭に溶け込む。
老兵たちの目が虚ろになり始めた。
「…守るぞ」
「この国を守るのは俺たちだ」
「守れ」
老兵たちは武器を持った。剣を持つ者、槍を持つ者。
衛兵の詰め所は敷地の北側にあり、森側の城壁に沿うように建てられている。
寝るにはまだ少し早い。
学生たちは、詰め所と反対の南側の城壁に沿って建てられた学生寮でおのおの過ごしている時間だ。
老兵たちは鎧を付けず、武器だけを握りしめて、詰め所から出ていく。
虚ろな目は何を見ているのか分からない。
口許から涎が流れ落ちた。
ーーーーー
マリーンは自分の部屋に寝に帰ったけど、ロヴィーはまだ残っている。私の勉強机は私が勉強するよりも、ロヴィーが座って何かしらしていることが多い気がする。
武器を持っていないときのロヴィーはぼんやり顔だが、今は、ぼんやりしている訳ではなく、書類を見て、今日の魔物討伐の作戦や兵士の起用について振り返っているらしい。
私は、ベッドの上で建国史の追試の勉強をしていて、ヴィセがハーブ茶をいれてくれている。
…勉強飽きた。
「ロヴィー」
「ん?」
「私に裸見られたくないの?」
ロヴィーはあっと言う間に真っ赤になって、手に持っていた書類がばたばたと床に散らばった。
「エスファ!なんて質問してるの」
書類を集めながらヴィセが私に怒る。私はロヴィーが予想以上に動揺しているのを見て、自分で言っておいて恥ずかしくなった。
「…だって、マリーンが言ってたから」
「お、おやすみ」
ロヴィーは質問に答えないまま、慌てて部屋から出ていってしまった。
「いだだあだだ」
閉められたドアを見ていたら、また、ヴィセに耳を引っ張られた。
「なんで、ヴィセが怒ってるのー?」
「もう、いいから、エスファも寝たら。デリカシーなさすぎ」
「なんでー??」
「な、なんでって、あなた、アンラート様とお風呂入れるの!?」
「え???入れるわけないじゃん!なんで、アンラート様が出てくるの?」
「もー、知らない!バカ」
私がヴィセにぶーたれていたとき、
悲鳴と物が壊れる音が響いた。
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