8.魔獣退治(1)
エスファ 16歳 現在
この前、遠征に出ていた学院内の精鋭部隊が集められていた。
衛兵が襲われた後、アンラートの指示で、城壁の外に更に簡易な防壁が建てられた。建築専攻の学生が設計し、兵士候補生たちが組み立てたもので、尖った杭が外を向き、何十にも鎖を巡らせている。寄せ付けないことが目的ではない。魔獣が杭を破ろうとすれば、鎖と他の杭が絡み付き、その動きを鈍らせるのが狙いだ。また、防壁には人間が5人ほど両手を伸ばした幅の切れ目のように壁のない場所がある。そこが、魔獣を引き込み、戦闘に持ち込むスペースになる。
ロヴィーの指示で、その周辺に堀が掘られ、泥水が溜められていた。堀と森の間には、衛兵たちが罠が仕掛けられているが、これは効果がないことは、衛兵たちの前回の失敗で証明されている。
森や動物に詳しい学生が、森の様子を見に行き、ロヴィーとマリーンに報告している。
魔獣の動きを調べ、こちらに引き付けられないかを検討しているのだ。
大盾を構えた重装兵、弓兵、魔法兵士らががしゃがしゃと武具の手入れをしていた。
それぞれに配置や役目は既に指示されている。
エスファは、衛生兵と一緒に水溜まりから少し離れたところに控え、負傷者が出たときの準備をしていた。衛生兵のお手伝いともいう。
「我々は、どこにいればいいのだ?」
老人の大きな声が響いた。魔獣に襲われずに済み、生き残った衛兵たちである。
「城壁の内側のお好きな場所でご覧下さい」
ロヴィーが冷たく答える。
「お嬢さん、隊長だそうだが、我々があの獣を倒して仇を取るのだ。王国への最後のご奉公だ」
ロヴィーは無視して準備を続ける。
「おい、お嬢さん!」
老いた衛兵がロヴィーに手を伸ばした。
「お前ら!この方たちを安全なところに運べ!!」
「「「はっ」」」
ロヴィーの凛とした声が響き、体格の良い重装兵たちが、喚く老人たちを城壁の内側に連行していく。二人で一人の老兵を左右から持ち上げ、老兵たちがいくら暴れても、お構いなしだ。
あんな小娘の命令を聞くのか、我々を誰だと思っている、などの罵声がだんだん遠くなり、校舎の中に押し込められたのか、聞こえなくなった。
「くそじじい」
エスファがつぶやく。
「…すまないね」
エスファが治療した、死にかけた衛兵がこっそりエスファに近づいてきた。彼は普段着のままで、武装しておらず、他の老人たちのような、無理、無駄、無謀なやる気はなさそうだ。
「俺は、お国のためとはいえ、もう戦いはこりごりだよ。だけど、あいつらは、まだ現役の気分なんだ。自分の年も考えないで、もう一旗揚げられると思ってる。俺ぁ北の街の出身だけど、やつらぁ王都から流れてきたから、プライドがたけえんだ」
そんな言い訳をエスファにしても仕方がないのは、本人も分かっているだろう。
「おとなしくしてるから、俺にあのけだものがやられるところを見せてくれ。あの隊長さん、すごいんだろう?ただのお嬢さんが、隊長なんかできるわけないだろうに」
同じ衛兵とは思えないほど、落ち着いて状況を見ている老人に、エスファは好感を持った。
「お体は、もう大丈夫ですか?」
「治癒師さまのおかげだ。命だけでなく、腰痛や五十肩まで治していただいたよ。今度、何か、おいしいものでもお礼させてくれな」
「是非!!」
エスファがぶんぶんと首を縦に振ると、老人が笑った。エスファは初めて老人の笑顔を見て、うれしくなった。
「ところで、治癒師さまは、どうして鎧を着とるのかな?」
エスファは、斥候兵のような要所に金属プレートをあてがった皮を基調とした軽い鎧をまとっている。
「あ、これ?一応着けるように、って言われてるの」
「ああ、治癒師様が怪我をしても困るからなあ」
エスファは、ただにこっと笑った。
生き延びた老兵は、ただエスファに礼を伝えたかったのだろう。彼は校舎に戻り、どこか戦闘が見える場所に去っていった。
北校舎の最上階では、アンラートや事務官候補生が大窓から様子をうかがっていた。
アンラートや事務官候補生たちが、兵士候補生たちの実戦を見るのは初めてである。兵士候補生たちの評判は高いものの、それがどのようなものなのか、実感できる機会だった。
斥候兵が戻ってきた。この斥候兵は囮でもある。うまく魔獣をおびきよせることに成功したようだ。傷はないようで、そのまま弓兵隊に加わる。
ロヴィーが大盾を構えた重装兵を並べる。いくら大きくて力持ちの彼らでも、魔獣が押さえられるのだろうか、とエスファは少し不安になる。
唸り声のあと、響くような獣の叫び声がした。森の木の枝がへし折れる音がだんだん近付いてくる。森の中から姿を現したのは普通の熊の2倍か3倍はありそうな大きな熊だった。牙を向き涎を流している。罠が足に三つ四つぶら下がっているが、動きを妨げる効果は全くないようだ。ずらっと並んだ重装兵を見て、威圧するように後ろ足だけで立ち上がり、吠えた。
そのまま駆け出そうとしたが、泥水の溜まった堀に落ちた。
「凍らせろ!!」
マリーンが魔法兵に命じた。堀の水ごと熊の足がどんどん凍りつく。凍る魔法が使えなくとも、水や風の魔法が使える者が泥水を巻き上げて熊を濡らし、その水も凍らせる。熊の胸から下が凍り付き、下半身はほぼ泥水の堀と一体化した。罠では止まらなかった熊の足が堀の水が凍った氷でようやく止められた。
「囲め!」
ロヴィーの声で重装兵が進み、大盾で氷を纏わせた熊を囲む。堀から上半身を出して、熊は大盾を払おうとするが、凍った体がうまく動かないようだ。
「射て!」
重装兵の上から弓が降り注ぐ。弓にはロープがついており、ロープの先には鎖がついていた。軽装の兵士たちが走り出し、熊に刺さった弓を利用して鎖を巻き付けていく。熊の両腕に何重かに鎖が巻き付いて、ぎしぎしと激しい音を立てる。1本の鎖を3~4人の兵士が必死の形相で引っ張っている。
熊が吠える。
思うように体が動かない苛立ちから、その声は更に凶暴になる。
重装兵の背中を踏み台にして、ロヴィーが宙に舞い、一回転してその勢いで斧を熊の脳天に叩きつける。熊がすんででかわし、斧は熊の耳と顔を削いで、首をかすって肩に刺さる。
血しぶきと叫び声が上がる。
「ちっ」
ロヴィーが舌打ちをする。
激痛で大熊が暴れ始めた。鎖が引っ張られ、鎖を引いていた兵士が何人か引きずられる。
熊が右手を振り回し、大盾を持っていた重装兵が大盾を殴られて尻餅を着いた。
重装兵の体勢が崩れ、その肩の上に乗っていたロヴィーもバランスを崩した。そこへ熊が左手をぶん回す。
ロヴィーは咄嗟に避けようとしたが、鎧の肩に爪が引っ掛かり、鎧の肩部分が吹っ飛んだ。ロヴィーも宙に体が浮いたが、回転して受け身をとりながら転がる。
「体勢戻せ!ひるむな」
ロヴィーが立ち上がりながら叫ぶが、その肩がぶらんと揺れた。脱臼しているようだった。
熊を抑えきれるか?
戦っている者、見ている者、ほぼ全員が不安を抱いた。
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