7.目覚めた後
エスファ 12歳 過去
治癒師を教えた先生がいなかったから、とりあえず、魔法学の先生が私に付いた。
くそじじいだった!
今の私なら、くそじじいなど相手にせず、マリーンに頼んで、残り少ない頭髪に火を点けてもらうとか、裸にひんむいて学院中を引きずり回すとか、干物と一緒に干しておくとか、湖に逆さまにして足だけだして沈めるとか、なめくじに全身這わせるとか、○○に○○○突っ込んでやるとか、私よりずっと意地悪な人たちに嫌がらせしてもらって、とにかく陰険な魔法でぶっつぶしてやるであろうが、12歳の私には、そんなことは思い付けなかった。
治癒魔法の発動方法が思い出せない?それなら実践あるのみ!
くそじじいは、小動物を傷つけて私の目の前に置く。
「さぁ治せ。」
できない、分かんない、と泣いても許してくれない。そうこうしているうちに目の前で動物は死んでしまう。
べそべそ泣きながら、小鳥やネズミ、下手をすれば、犬や猫、そんなのの死体を量産させられていた。
大ケガをしたロヴィーがきれいに元通りになったのは嬉しかったけれど、それをやったのが自分だなんて、全く信じられなかったし、どうやったのかも皆目分からなかった。魔法兵士が戦闘魔法を使うみたいに、手をかざして、そこに力を入れても何も起きない。
くそじじいは、毎日毎日動物を傷つけ、私は目の前でそれが死ぬのを見ているだけ。
並んだ動物の死体を見て、自分のせいで死んだのかと思うと、つらかった。
血だって大嫌いだった。女なら血には慣れてるだろうとくそじじいに嫌みを言われるが、当時は、自分の血ですら怖かったのだから。
くそじじいは昔は有名な魔法兵だったらしいけど、魔法を使うのと教えるのは別の話だ。治癒師を指導したという肩書きがほしかっただけの小物だったと、後でマリーンが教えてくれた。
当然、治癒魔法を再度発せられることはなく、先に私が壊れ始めた。
最初は、毎日ヴィセやロヴィーに泣きついて、寮ではヴィセから離れず、教室に行くときは、ロヴィーが抱き抱えて連れていってくれたが、教室に着いても私が駄々をこねてロヴィーから離れなかったので、くそじじいは、戦闘魔法で、火でも水でも風でも起こして、ロヴィーから無理やり私を引き離して追い払うと、それからひたすら動物の死体作りを続けさせた。
そのうち、私は何かを諦めて、泣かなくなって、一人で寮と教室を往復するようになった。
誰とも話をしなくなって、ご飯を食べなくなって、眠れなくなった。
起きてるんだか寝てるんだかはっきりしないから、その頃の記憶はぼんやりしている。
くそじじいが喚いてるなー、うっせーなー、とか思ってたような気がする。
アンラート様が、私の動物の死体づくり、もとい授業を見に来ることになり、くそじじいは相当焦ったに違いないが、状況は全く好転せず、私は、憧れのアンラート様が見ている前で、ネズミが死ぬところを見せることになった。
ざまあみろ!
すっきりした。それがくそじじいとの最後の思い出だ。
治癒魔法が使えたのは、何かの間違いだったんだろうなと思いながら、机の上のネズミの死体をぼんやり見下ろしていた。
「……ファール?」
呼ばれた気がした。聞いたことがあるような、ないような女の子の声だった。
「エスファール?」
指先が頬に触れた。それから頬を掌で包まれた。少し湿っていて暖かかった。頭を上げて、その手の持ち主を見ようとしたけれど、その前に、そのまま頭を抱き抱えられた。
あったかいな
「エスファール、わたくしの声、聞こえる?」
聞こえるよ
答える代わりに、その暖かい胸に頭を預けた。やわらかい
「治癒魔法、使えないの?」
使えないって答えようとしたら、しゃくり上げてしまい、声が出なかった。ぼたぼた涙が落ちた。
ぎゅっと私の頭を抱える腕に力が入った。
「ネズミの傷なんて、治したくないわよね」
ゆっくりと私の頭を解放した、その人は、後ろに立っていた侍女に声をかけた。
「セレーサ、あなた、果物ナイフもってるわよね」
「姫様、いけません」
「いいから、貸して」
「姫様!」
「大丈夫、エスファールが治してくれるわ」
あれ、アンラート様だ
私は、アンラート様が侍女と軽くもめてから、結局、果物ナイフを取り上げたところで、その人がアンラート様であることに気がついた。
アンラート様は、鞘から取り出したナイフを左手に持ち、右手で制服の左袖をまくりあげる。日に当たったことがないだろう白い腕があらわになり、まっしろいなーと思った。
「エスファール、わたくしを見て」
アンラート様が私の方を見ている。私もアンラート様を見た。距離は3歩くらい。こんなに近くでアンラート様を見たのも、目を合わせたのも初めてだったけど、まだ頭がぼんやりしていて、状況が飲み込めていないかった。
「見て」
右手で逆手に持った果物ナイフの先が、左腕の内側をスーっとなぞった。信じられないものを見ると、スローモーションになる。血が流れ、手首をくるっと辿って、床にぽたぽた落ちていく。
赤かった。
「姫様!!」
アンラート様に駆け寄ろうとする侍女たちを、アンラート様は手だけで制した。
「エスファール、治して下さい」
アンラート様が左腕を私に差し出す。
びりっと電気が走ったみたいに、頭がはっきりした。何とかしないわけにはいかない。
絶対、これは、痛い。痛い。痛いのを止めなきゃ。
私は、思わず手を伸ばし、アンラート様の左手の指に触れた。その小さな衝撃による痛みでアンラート様が顔を歪めた。
痛いのはダメ
「え?」
アンラート様が驚く。
「エスファール!すごい、痛くなくなったわ!!」
魔法が発動して、痛みを麻痺させたのだということが分かったのは、しばらくしてから。そのときは分からなかった。
もとどおりの、白い腕に戻さなきゃ
体が熱くなる。その熱が、アンラート様の左手を握った私の右手の指へと流れていく。無意識に、左手を傷にかざす。左手からも自分の中の熱がアンラート様の傷へと流れていく。
切れた皮下組織がむずむずとくっつき、血が止まる。皮膚もむずむずとくっつき、徐々に傷が小さくなる。
傷が消える。
「…す…ごい。消えたわ」
アンラート様が目を丸くし、後ろに控えていた侍女、セレーサさんが慌てて駆け寄り、アンラート様の腕に残った血を白い布でぬぐいとるが、傷はない。でも、布に付いた血と床に落ちた血が、そこに傷があったことを示していた。
「本当に、治癒師なのね…」
アンラート様が今度は正面から私の頭をぎゅっとかき抱いた
「エスファール、あなたはわたくしの治癒師よ」
私は、アンラート様の治癒師…
おずおずと、アンラート様の腰に手を回した。アンラート様に抱きついたまま、私は大泣きして、それが止まるまで、アンラート様は私を抱いていてくれた。
ーーーーー
そこから、エスファが治癒魔法を習得するのは早かった。
アンラートは、エスファをロヴィーのいる兵士候補生の訓練所に連れて行き、マリーンのいる魔法士候補生の訓練所にも連れていった。訓練で傷ついた兵士候補生の治療を練習させようとしたのだ。
傷を治せば訓練所のみなが喜んでエスファを褒め、うまく治せなかったとしても誰もエスファをののしりはしなかった。小さな女の子が頑張っているという姿は、兵士候補生をなごませるのでもあったので、訓練所ではエスファはとにかく歓迎されたのだ。また、女好きな候補生がエスファにちょっかいを出そうとすると、ロヴィーもしくはマリーンが、その候補生はエスファに治癒魔法をかけてほしがっているのだとあえて解釈し、エスファの練習用にと、彼らを打ちのめしてひどいけがを負わせた。そのため、ロヴィーン、マリーンに続いて、エスファも兵士候補生から恐れられるようになるには時間が掛からなかった。
そんな風にエスファは治癒師になった。
その代わり、どこにでもいる普通の女の子ではなくなった。
エスファは、少しずつ治癒師としての自信を持てるようになり、そんなエスファをアンラートは可愛がった。
この頃から、アンラートはエスファを部屋に呼ぶようになった。
最初は、泣いてばかりいる青白くて痩せた暗い顔の少女が心配だった。治癒師と呼ぶには、あまりに貧相で脆そうな少女だったので、なんとかして励ましてあげたかった。
しかし、治癒魔法が使えるようになると、エスファは花のように笑うようになった。アンラートの思ったとおり、動物ではなく、人間相手の方が治癒魔法を発動しやすいようだった。兵士候補生に囲まれて楽しそうに過ごしている。その隣には、いつもロヴィージェとマリーンがいる。ロヴィージェがエスファを見守り、マリーンがからかっている。
王族である自分は、あのように人前ではエスファに近付けない。
アンラートが、羨ましいという感情と、嫉妬という感情を教えたのは、エスファであったことを、アンラートが気付くのは、もっと後のことである。
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聴こえるか
熊は耳を澄ます
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