6.目覚めた日
「ねえ、マリーン、熱いのと冷たいのと、どっちでいこうか」
「あ、ヴィセ、お茶いれてー」
「もう、何あれ?3年前と違う。大きいし、ふわふわ柔らかいし。うわーーー」
「……ロヴィージェ様、この部屋でお仕事されるのはいかがなものですか?
マリーン様、茶器から準備が必要ですので、しばらくお待ちいただけますか?
エスファ、床に正座して頭冷やして反省なさい」
私の部屋は、さして広くない。4人もいると、狭い。
ロヴィーは、私の勉強机で魔獣討伐のための作戦を考えている。マリーンはその補助らしいが、知らん顔して私のベッドを占領して本を読んでいる。この部屋の持ち主である私は、ベッドのすみっこに腰掛けて、アンラート様に頭を抱かれたときの感触を、何度も何度も思い返して、にやにやしていたが、今は、床に正座させられている。ごめんなさい、アンラート様のお胸に興奮しました。
続き部屋からヴィセが片付けに来て、いつもののことか、というように苦笑いして、4人分のお茶の支度を始めた。
普通、寮は四人部屋だが、ロヴィーもマリーンも、私も、学院内でそれなりの立場にあるので、個室をもらっている。私は、ヴィセと違う部屋が嫌だと駄々をこねて、侍女が控えるための続き部屋がある個室をもらい、ヴィセに入ってもらった。だから、私とヴィセは一緒にいることが多いが、その部屋に、ロヴィーとマリーンも時間があれば来てくれている。
まあ、昔、私が泣いてばっかいたので、この3人が毎日構ってくれていて、今もそれが続いている。
昔ってほど昔じゃない。3~4年前、学院に入学して、少しだけ時間が経った頃。まだ12歳だった
ーーーーー
エスファ 12歳 過去
この国のどの子供も、王国に尽くして生きるように育てられる。
エスファの家は、兵士になる者もいないわけではないが、代々事務官の家系であり、金勘定が得意で、王城では会計関係の仕事に就く者が多い。エスファは、幼馴染みのロヴィーに憧れて、自分も兵士になりたいと思ったことはあるものの、学院で兵士訓練を見た途端に諦めた。いずれは、一族の者のように城下で事務仕事をして、適当に釣り合う殿方と結婚して、子供を産むのだろうと漠然と想像していた。
この国のどこにでもいる女の子だった。
エスファは、学院に入学して、寮の同じ部屋だった同じ新入生のヴィセと仲良くなった。
暇さえあれば、ロヴィーの訓練を見に行って、応援していた。
実は、算学の成績だけは良かった。
学院で、初めて王族を、アンラート姫を近くで見た。
深紅の髪、褐色の瞳。無駄のない優雅な動き。15歳だというには大人びている。
しかし、こぼれるような笑顔や、ゆっくりとした話し方は、15歳よりも幼かった。
何より、エスファにとって、驚くくらいきれいな存在だった。
姫を見かけた日は、何か良いことが起きそうで嬉しかった。
姫が自分に気付くことはないとしても。
ロヴィーとマリーンが衝突したその日まで。
エスファは、どういう経緯で、二人が喧嘩を始めたのかは知らない。
「今思うと、二人とも13か14かそこらのガキで、学院で自分が一番強いのは自分だと思いたかっただけだと思うよ」
とロヴィーが後でエスファに教えてくれた。
その日、ロヴィーとマリーンは、学院の北側、森の前で決闘をすることになった。
それを知ったエスファが北の森の前に駆け付けたとき、二人とも倒れていた。ロヴィーはマリーンの放った炎の魔法を避け切れず、マリーンは炎を放った左腕をロヴィーに槍の柄の部分で激しく打ち付けられたのだ。
ロヴィーの右の頬から首、右腕の上腕が燻っていて、体の右側の服の裂け目からは焼けただれて血にまみれた皮膚が見えていた。きれいだった髪が一部煤けている。外壁にぐったりと体を寄りかからせて、ふしゅーふしゅーと音を立てて呼吸をしていた。
エスファの知る幼馴染みのロヴィーは、きれいな少女でありながら、剣を持った瞬間にとてつもなく格好良くなり、ばったばったと相手を倒し、けがをすることなんてほとんどなかった。こんな姿のロヴィーが信じられなかった。
「ロヴィー!!」
エスファが駆け寄ると、ロヴィーは、笑顔みたいに顔を歪めようとしたが、顔の右側が動かなかった。
そんなロヴィーの顔を両手で包もうとして、手が止まった。きっと、触ったら痛い、その痛みを想像するだけで、涙がぼろぼろ出てきた。
わたしのロヴィーに戻って
エスファは強く願った。その後の記憶は曖昧になる。
「があああっ…っあ」
ロヴィーが苦悶の叫び声を上げた。焼けただれた皮膚が元に戻ろうと蠢き出したのだ。焼けた皮膚やその下の筋肉や組織が無理に引っ張られた。ロヴィーは、痛みに気を失いそうになりながらも、すぐに火傷が治されようとしていることを理解した。
「え、えす、ふぁ、何して…る…?」
エスファは答えない。ロヴィーの顔に両手を向けて、顔を凝視し、静止している。その手を中心に、陽炎のようにエスファの周りの空気が揺らいでいる。そんなエスファに目を奪われているうちに、灼けつくような熱や痛みが薄らぎ、体が楽になっていくのを感じていた。
「なん…、それ、治癒魔法?」
よろよろっとマリーンが左腕を押さえながら、エスファとロヴィーに近付いてきた。マリーンの左手首はあり得ない方向に歪んでいた。マリーンは、エスファの顔を覗き混むようにそのそばにしゃがみこみ、エスファを取り囲む、ゆらめきの中に入り込むような形になった。
「…っわ!!いってぇ!!!!」
叫んで、左腕をさすっていた右手に力が入った。砕けて隙間ができていた骨、延びた筋肉が元通りになろうとする。左腕を捻切られるかと思うような痛みだった。だが、ロヴィーと同じく、苦痛が次第に和らぎ、腕や指が震え、震えが止まると、元通りに腕を動かすことができるようになっていた。そのときには、ロヴィーも、いつもどおりに元気になって、焦げ穴のついたぼろぼろの服にとまどっていた。
「なんなんだよ、こいつはっ?」
「何って、私の幼馴染み。妹みたいな子。でも、こんな力は……」
エスファはそのまま、ずるずるっとロヴィーの腕の中に倒れ、意識を失った。
「エスファっ!!」
ロヴィーが慌てる番だった。マリーンと二人で、慌てふためき、気を失ったエスファを医務室に担ぎ込むのが、二人の初めての共同作業であり、二人が親友になるきっかけとなった。
そして、辺境学院は大騒ぎになった。
希少な治癒師が突然誕生したのだから。
アンラートにもそれが伝えられ、アンラートはエスファールという名を知ることとなった。
ーーーーー
エスファ 16歳 現在
「あれ?ヴィセ、火傷したの?」
ヴィセが紅茶をティーカップに注いでいる。正座で反省をしていた私の目の前にヴィセの手があったので、左手の小指から甲にかけて赤く腫れていることに気付いた。
「ああ、今、給湯機の調子が悪いみたいで。さっき、お湯をいただきにいったときにね。大丈夫」
ヴィセが私の顔を見て、にっこり笑う。
「治癒師様に治していただくほどの火傷じゃないわ。痕が残るようなものでもないし」
そう言われると治したくなるよね、言われなくても治すけどね。
正座したまま、ずずっとヴィセに近づき、左手をとってその甲に口づける。
「…エスファ!」
もとどおりに
軽く祈るように。自分の体をめぐる熱を唇からヴィセの左手に流す。あっという間にヴィセの左手の腫れは引いていた。
「ありがと」
仕方ないわね、という顔でヴィセがお礼を言ってくれた。
「エスファぁ、それキスする必要ないよね」
マリーンが呆れたというように指摘する。ロヴィーが肩をすくめる。ヴィセが少しだけ頬を染める。
私は、てへへと笑う。
マリーンのいうとおり、負傷する前の体に戻るよう願いながら体内の魔力を流し込むのにはある程度近づけば良いので、さわる必要はない。こんな風にふざけながらでも発動できるほど、私にとっては治癒魔法は簡単だ。
簡単にしてくれたのはアンラート様だ
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