5.治癒魔法

 学校というところは容赦がないと思う。

 王国の命令で2ヶ月も授業を受けられなかったのに、補講と追試を与えていただけるなんて、ありがたすぎて涙と冷や汗が出る。その指示が書かれている私宛の学院からのお手紙をきれいに折り畳む。

「じゃ、また遠征のお話を伺わせて下さいね。エスファ様」

「はい、ごきげんよう」

 手紙を読んでいた私に、一人勝手に話し掛けていた男子生徒に、一応にっこり笑って挨拶を返した。

 午前中の建国史の授業の休み時間がもうすぐ終わるので、次の王国地理の授業の教室に移動しなければならない。地理も補講と追試が待っているような気がする、気が遠くなりそうだ。

 学院では、午前中は座学、午後はそれぞれの専門分野を学ぶ。

「あれ誰、エスファ?」

 ヴィセに声を掛けられる。

「なんとか領のなんとか爵の次男だか三男だかのなんとかかんとか様。そんなことより補講と追試代わりに受けて!ヴィセ、お願い」

「相変わらず殿方に興味がないのね、エスファ」

「ヴィセの方が好きだもん」

 何を言ってるんだか、と言いながらヴィセは教室移動を急がせてくる。私は立ち上がり、ヴィセの腕に自分の腕を絡めて歩き出す。

 [私]じゃなくて、王国の天然記念物である治癒師のエスファール様とお近付きになりたい人なんてどうでもいい。諸々ひっくるめて[私]のことが嫌いなフリチェーサ様の方が遥かに好感が持てる。

「まぁ、エスファは治癒師さまだし、かわいいから虫もよってくるか。でも、本当は、ただの甘えん坊のおバカさんなのにね。建国史なんてエスファの大好きなアンラート様のご先祖様のお名前をしっかり覚えるだけよ」

「おバカ言うなぁ!」

 ヴィセと二人で、きゃっきゃと笑いながら廊下を歩いていく。

 

 笑っていれば、こないだの会議も、食い殺された衛兵さんのことも、助けられなかった自分もとりあえず考えないで済む


 …筈だったのに。


「エスファール様!!エスファール様はいらっしゃいますか?!」

 アンラート様の伝令係が私を呼んでいた。次の授業は受けられそうにない。補講と追試が増えるだろうなと思いながら、ヴィセの腕に絡めていた、自分の腕をそっと離した。




 ーーーーー




 10人の衛兵が門を守っていた。

 最も若い衛兵で50代。最も高齢なのは、会議でアンラートに直接願い出た古兵は衛兵隊長で、70歳をとうに越えていた。体力は落ち、技の切れもないが、気合いだけは若いときと変わらない。近頃の兵士候補生は、女の子に隊長をやらせるほどに鈍っていると聞き、情けない話だと常々思っていた。自分達がまだ現役であるところを見せつけてやろうと思っていた。

 

 目の前の森はいつもと変わらない。永遠に続いているように見える深い森である。

 人間を食い殺すけだものが出たとは信じられなかった。数日、罠を張って門を守り、けだものが現れなければ、森の中に入ろうと考え、その準備も始めていた。

 

 その日、そのとき。

 5人ずつに別れて休憩をとることになっていたので、先に休みにはいった5人を見送った隊長は門の前に残っていた。


 鳥や虫の声が消え、その気配が消えた。森がしんっと静まりかえった。

 

 唸り声が聞こえ、殺気を感じた。

 槍を握りしめ、周りを見る。他の4人もそれぞれ武器を構えている。誰も怯えていない。罠は何ヵ所も何ヵ所も設置した。縄と網も準備できている。

 

 鉄製の罠が足に食い込み、魔獣の動きが止まる

 という目測は誤っていた。魔獣は、罠を足にくっつけたまま突っ込んできた。

 

 魔獣は、大きな雌熊だった。

 

 一人は、胸に体当たりされて、肋骨が砕け散った。

 二人は、爪で首が肩ごと飛ばされた。

 隊長は、瞬間、動くことができなかったが、すぐに槍を向けて突っ込んでいった。

 熊が左腕を振り、槍と一緒に両腕が弾き跳んだ。返す右腕が隊長の体を腹をうち、上半身がはじけた。


 残った一人は戦わず、逃げた。

 背中から腰を爪でえぐられながらも、大門を閉じた。


 熊は門の中までは追ってこなかった。




 ーーーーー




 すーっと息を吸って、ふーっと口から吐く。

 自分の体の中を流れる熱を捕まえる。


 かろうじて意識はある。早くしないと魂が神様に連れていかれてしまう。

 猛烈な痛みと恐怖で思うように呼吸ができないようだ。

 うつぶせの背中には爪で切り裂かれた4本の深い傷。血にまみれ、骨も見える。


 まずは、頭に手をあて、痛くないよーっと脳に話し掛ける。

 ほら、痛くない。まずは、魔法で脳を騙す、というか痛みを感じないようにする。

 息も絶え絶えだった衛兵さんの呼吸が少しずつ安らいでくるのが分かる。

「眠らないでね」

 私のお願いに、衛兵がかすかにうなずいてくれた。

 眠ってしまうと、魂が神に引かれてしまうから。

 

 私の力、いわゆる治癒魔法は体細胞に干渉して活性化させる。

 要は、「元に戻れ」と祈る。ただ祈るのだ。


 ぶるぶると肉が震えながら膨れ上がり

 血管や神経がずるずるっと延び

 生々しい色の皮膚がじわじわっと広がり

 うん、相変わらず、私の魔法って見た目が悪い。


 ここまでのひどい負傷を治すのは、前の戦争以来。

 同じ部屋にいた誰かがえずき、吐いた音と臭いがする。

 煩わしい。わざわざ見に来なければいいのに。


 私のこめかみに汗が一筋流れたところで、傷は大分小さくなり、衛兵さんの呼吸が落ち着いてくれて、その命がとりあえず救われたであろうことが分かった。


「もう、よろしいわ。エスファ」

 アンラート様の声が聴こえた。その声が震えている。顔は真っ青だった。

 アンラート様の前で、瀕死の状態の人を治癒したのは初めてだったことを思い出した。恥ずかしいところを見られたような気がして、なんだか嫌だった。

 ここは、医務室。血だまりのベッドを、アンラート様や先生たち、生き残った衛兵さんたちが囲んでいる。

「彼に何か衣装を」

 衛兵さんの鎧や服までは修復できないので、彼はあちこち穴の空いた血まみれの服を着ている状態だ。

 衛兵さんが体を起こしたところで、学生用の若草色のマントを肩から掛けられる。私は一歩下がった。

 お仕事終わり、だな。


 衛兵さんがふーっと息をつき、体のあちこちを触って、負傷の状態を確かめている。

「…他の兵たちは?」

「4人が亡くなりました」

 衛兵さんの問いに対して、アンラート様は静かに伝えると、衛兵さんは目を閉じた。


「ヤツぁ、何者かに操られていると思います」

 生き残った衛兵さんは、ぽつりといった。

「ヤツぁ足を止めたとき、耳を動かして、何かを聴いているようだった」

「狂った獣と、それを操る何者かがいると?」

 アンラート様が問うと衛兵さんは首を振った。

「そのような気がするんです。証拠はないんだけんど。」


「…俺だけなのか…」

 生き残ったというのに、衛兵さんは肩を落としていた。

「…治癒師さま。ありがとうございました」

 忘れていたことを思い出したかのように、生き残った衛兵さんは私に頭を下げた。

 衛兵さんの目に、生き残ったことへの罪悪感が見えた。

 

 私は私の仕事をしただけで、お礼を言われるようなことはしていない。

 結局、4人は死んでしまい、救えたのは一人だった。

 誰も救えないよりは良いとか、よく言われる。

 けど、後味の悪さを消せる言葉なんてないことを私はもう学んでいる。



 突然、ふわっと良い匂いがして、驚いた。

 スカートの裾をつかんだまま、立ち尽くしていた私の頭をアンラート様が抱えていた。


 わわあああああああああおおおお


 頭の左側がアンラート様の柔らかな胸に触れている。

 頭の右側でアンラート様の両手が組まれている。

 目の前にアンラート様の肘の内側がある。


 混乱と混乱と混乱。それから、懐かしい温かさと匂い。

 そういえば、3年前にも、こうして頭を抱えられたんだった。

 あれがなかったら、私は今こうして治癒師をしていない。


「あ、ごめんなさい。わたくしったら人前で」

 アンラート様が私から手を離してしまった。あ、ちょっと残念。いや、かなり残念です。

「エスファ、人伝には聴いてはいたけれど、あなたの治癒魔法はとても凄いわ」

 両方の頬に手が当てられる。アンラート様の褐色の瞳に、いつも以上に間抜けで真っ赤な顔をした自分が映っている。

「3年前と全然違う。さすが、聖女さまと呼ばれるだけのことはあるわ」

 いや、顔、近くないですか?

「あ、あああ、ありがとございましゅ」

 舌噛んだ

「あああ、アンラート様のおかげでございましゅ」

 必死で、言葉をつないで、もう一回舌を噛んだ。

「そんなことなくてよ。あなたの力だわ」

 そんな笑顔で誉めないでください!!




 ~~~~~~~~~~~~~~



 雌熊は探していた

 早く早く見付けなければ

 殺さなければ

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