4.会議室

さすがに、これは無理だ。


 ほとんど人間の形をなしていない衛兵の死体を見下ろして、私は首を振った。

 そもそも魂が神に召された後では体は治せない。

 私は両手の指を組み合わせて黙礼する。

 そして、布を掛けた。


「…こんな無惨な姿を見ても、あなたはいつもと変わらないのね…」

 真っ青な顔のアンラート様が、私を見ながら、少しゆっくりとした口調でつぶやいた。

 死体安置所の代わりとなっている小さな堂に緊急に設置された、マットレスのないベッドに衛兵たちは横たえられている。その横に、私は立っていた。

 既に戦場を体験していた私は、もっとひどい死体を見ているので、この死体にはそれほど動じない。

 ただ、何もできない悔しさはあるので、制服のスカートを裾をぎゅっと握って、放した。

「無力で、申し訳ございません」

 アンラート様に謝罪し、深く頭を下げる。

 アンラート様は気にするなと言う代わりに首を振った。

 静かな堂にアンラート様の祈りの声が響き始めた。

 私たちも祈る。




 ーーーーー




 学院の会議室には、中心となる教師や生徒が30人ほど集まっていた。

 最年少の参加者はエスファだが、自分は関係ないという顔をして欠伸をかみ殺している。エスファは、自分の出番は会議室ではなく、負傷者のいる戦場だと思っている。それは、ロヴィーやマリーンも同じで、命令されればすぐに戦いに赴くだろう。

 会議室では、命令が下されるのをただ黙って待っているしかない。


 一方では、会議の議長を命じられた訳ではないが、張り切って場を仕切る者もいる。

 フリチェーサだ。

 

 辺境学院には、兵士候補生だけでなく、事務官候補も多く育てられている。王城やその周辺で公務に就く者たちだ。戦争で直接戦うのは兵士たちであっても、戦争中そして戦争後に国民を守るのは事務官だ。事務官が愚かな国は滅ぶ。

 フリチェーサは、優秀な生徒であるし、自分が王国や王国を支える優秀な人材であるとの自覚がある。実際、将来的には、王を直接支える高い地位に就くだろう。

 ただし、その分、兵士候補生を見下しているという傲慢さの自覚はない。

 兵士と事務官のバランスと協力があってこその国力、という概念を頭では理解しているが、心では全く分かっていない。学院内では、自分がアンラートに最も近しい立場にあると受け止め、全学生を管理しているつもりでいる。確かに、フリチェーサは学院や寮の運営に影響力を持っており、信頼している学生たちも多い。逆に、兵士候補生らは、彼女を敬遠しているが、彼女はその存在を目に入れていない。


 会議は進まない。

 フリチェーサが声を張り上げ、意見を募るが、参加者の反応は鈍い。

 この学院の教師たちは老人ばかりだ。戦乱を生き残り、この国を守り、支えてきて、さらに、若者を育てようとしている。何年も何年も。

 しかし、そんな人たちですら、森から来た獣に衛兵が惨殺されたという記憶はない。首をかしげ、唸るばかりだ。

 これまで、森の前の城門を守ってきた衛兵たちは、森からさ迷い出てきた動物を蹴散らし、校内に入れないようにしてくれていた。

 衛兵たちは、海を隔てた北の街に住む元兵士たちが大半で、高齢とはいえ、腕に覚えがあり、多少獰猛な動物でも怯まない。そんな彼らが、こんな死に方をしたことを誰もが受け入れられないでいる。

 森の動物に詳しい学生が呼び出され、フリチェーサの質問に答えていた。

「噛み痕を見るに、熊が最も近いだよ。なんでも食べるっちゃ、食べるだが、この季節、あえて人間を押そうほど飢えちゃいねえ」

「危険な動物がこの森にいるという可能性はございますか?」

 フリチェーサが問いただすように、厳しい口調でその学生に質問をしても、望む答を返すことができない。

「ねえ、とは言えねえだ。」

 マリーンがふーっと息を吐いて代わりに答えた。

「可能性は低い。遠征に行く前、兵士候補生が森で猛獣狩りの訓練をして、危険な動物を駆除した。それから2か月しか経ってない」

「では、なんだと?」

 フリチェーサの問いに、誰も答えない。

「分かるかよ」

 マリーンがかすかな声を吐き出す。


 ロヴィーが手を挙げる。

「兵士候補生部隊が森を捜索してもよろしいですか?」

 エスファも顔を上げる。自分も付いていくという顔をした。

 フリチェーサは、いかがかというように決定権を持つアンラートを振り返った。

 アンラートが答えようとしたとき、会議室の扉が開いた。

 入ってきたのは、衛兵の中で最も年老いたリーダーだった。

「我々にとって、森から門を守るのが、最後の王からの命令だ」

 アンラートに近寄り、跪く。

「姫、我々に戦友のかたきを取らせてくだされ」

 いかにもこの王国の兵士らしい気迫のこもった声だった。


「アンラート様、我々に行かせて下さい。」

 ロヴィーが食い下がる。

「お嬢さん、我々に任せなさい。子供たちにけがをさせたくない」

 老兵の言葉にロヴィーが珍しく眉をひそめた。学院に入学して以来の女の子扱いを受けたことに腹が立った。

「控えなさい」

 まるで自分が王族であるかのように、フリチェーサが追い討ちをかけるようにロヴィーに命令する。

「お決めになるのは、アンラート様ですわ」

 

 会議は終了した。

 結局、ロヴィーたち兵士候補生部隊の出番はなくなった。エスファも門の守りに加わろうとしたが、衛兵のリーダーに止められた。

「治癒師様の手を煩わせるわけにはいきません」

 

 会議室から出ようとしたアンラートに聞こえるようにマリーンが大きな声を出す。

「優しすぎますよ。老人の死に際の願望を叶えるより、人数かけて一気につぶす方が現実的だ」

 みな固まる。

 明らかな王族への反抗ともいえる発言だ。

「マリーン!」

 ロヴィーがマリーンの腕をつかみ、エスファもマリーンの握った拳の上に手を乗せた。

「不届きな!!」

 フリチェーサが大きな声を上げる。しかし、アンラートはフリチェーサをいさめるように手を彼女の前に出して止めた。そして、何も言わずに会議室から出ていった。一瞬、うつむいたが、すっと前を向いて。




 ーーーーー




 収まらないフリチェーサ様は、私たち3人を憎たらしい汚物とでもいうような、きっつい目で睨み付けている。

 いやー、戦場の敵兵よりずっと怖い。

 しかし、いかにフリチェーサ様であっても、アンラート様に止められた以上、何もできない。

 「ロヴィー、マリーン、帰ろう」

 私が立ち上がると、二人もそれに従うように立ち上がり、歩き出す。

 

 会議室に残される形になったフリチェーサ様は、会議室を出ようとした私を追ってきて、追い抜き様に言う。

「あんたは獣狩りに行けばいいのに」

 きゃーこわい。食い殺されろってこと??


「私、フリチェーサ様に何かしたかなー?」

 ロヴィーに尋ねてみた。

「何もしてないよ。嫌われているだけ」

「嫌われてるのは私にだって分かりますー。でも、なぜ?治癒師だから??バカだから?」

「それもある」

 いや、バカは否定してほしかったよ。

「他には何があるって?」

 ロヴィーが私の頭をなでる。

「かわいいから」

「いや、そういうんじゃなくて」

「ホントだよ。私だけじゃない。アンラート様もエスファをかわいがってる」

 ぼっと私の顔が赤くなったのが分かる。

「エスファはアンラート様のお気に入りだから、それが許せないんだよ」

 お気に入りも大変なんだよ、みんな。

思うだけで、とても口には出せない。

「私も許せないんだけどね」

 ん?

「でも、エスファは、あの女のこと、嫌いじゃないだろ?」

 マリーンが私の肩を抱きながら尋ねる。

「フリチェーサ様のこと?」

 私はマリーンを見上げる。

「そりゃ好きではないけど。私の方には嫌う理由はないよね」

 にやっと笑って返す。ロヴィーが悪趣味だねえとため息をつきながら、私の肩に掛けられたマリーンの腕を払い落とした。

 

 



 ~~~~~~~~~~~~~~


 声が聴こえて

 魔獣はぶるるっと大きな体を震わせた

 もう一度

 命令が頭に飛び込む

 命令が血に溶けて体を流れる

 もう一度

 魔獣は立ち上がる。

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