3.本命は王女

目が覚めた

お腹すいた


 部屋の洗面所にとびこんで、もろもろの後、顔を洗って髪を整えて、制服を着る時間かどうかを確認して、普段着で夕飯を取っても構わない時間だったので、服を着替える。ていうか、ほぼ下着のまま寝てたので、上にワンピースを着るだけだった。

 バタバタしていると続き部屋の方からノックの音がする。

「起きたー?」

 返事をしないうちにドアを開けられた。いつものことだ。開けた相手も分かってる。

「ただいまー、ヴィセ」

「おかえりー。エスファがいなくて2ヶ月つまんなかったよー」

 隣の続き部屋から出てきたヴィセは話しながら、2ヶ月振りに私をハグして、私の服や髪をちょいちょいっと整えてくれる。王室付き侍女を目指すヴィセは、ちゃくちゃくとその技術を身に付けているらしく、手際良く、私の面倒を見てくれる。

 ヴィセのおかげで、一人じゃ何もできない女になれる自信が付いてきた。いやそれ自信じゃないし。やばい。

「あらあら、日に焼けたねー。顔も髪も同じ色」

「歯だけは白いでしょ!」

 そして、二人でくすくす笑う。


 治癒師という称号に恐れをなして、同級生は私に必要以上に近寄らないし、下心のある者は話しかけてくるけれど、そういう輩はまともに相手にしないので、私には友達は少ない。

 治癒師になる前から、なってからも、気軽に付き合ってくれる友達はヴィセくらいしかいない。

「ごはん、いこ。旅の携行食じゃなくて出来立てを食べられるよ」

 にこにこ顔でヴィセが私の手を引っ張っていく。

 携行食のことだけでなく、むさ苦しい男ばかりの部隊から離れて、ふわふわの女の子と一緒にいられるのも嬉しい。重い鎧と、そのがしゃがしゃうるさい音からも解放されたんだなーと改めて思う。


 食堂は賑やかだった。

 遠征から帰ってきた兵士候補生たちが大喜びで食事をしているからだ。

「お、エスファあ!」「おかえりなさい」「今日のめし、うまいぞ」「ちっせーなあ、ちゃんと食え」

 あちこちから掛かる声には、ハイタッチと笑顔で応える。

 むさ苦しい兵士候補生たちには可愛がられる大きな理由は、みんな1回は、私にけがを治されたことがあるからだ。


「エスファ、こっち」

 ロヴィーの通る声が聴こえる。この声が号令をかけると学院の兵士候補生全員が機械仕掛けのように動き出す。今も食堂にいる兵士候補生たちが一瞬動きを止めてロヴィーの声が指令かどうか確かめていた。

 ロヴィーは中央のテーブルにいる。8人掛けのテーブルなのに、ロヴィーとマリーンしか座ってない。

 うん、お姉ちゃんたちも友達いないね。

 すぐに、ヴィセが二人分の夕食を運んできて、カトラリーもそろえて、きれいに並べてくれた。

「ヴィセ、エスファをそんなに甘やかさなくても構わないよ」

 ロヴィーの発言に、お前が言うかとマリーンと私が顔をしかめる。

「お気遣い、ありがとうございます。ロヴィージェ様。ですが、本日はエスファール様もお疲れだと思いましたので、差し出がましいかと思いましたが、支度をさせていただきました」

 わざと堅苦しい言葉で、ヴィセがしらっとした笑顔で答える。ヴィセは、兵士候補生たちが怯えるロヴィーもマリーンも恐れない。

「久しぶり、ヴィセ」

にやっとマリーンが笑い、ロヴィーはうなずく。

「お帰りなさいませ。お二人とも」

 なお、ロヴィーは本当はロヴィージェ。マリーンはマリーンで、私はエスファール。ヴィセはヴィセーラ。


 ぐあああ

「おいしいいいい!!」

 フォークを握りしめてガッツポーズ。

 厨房に入っているのももちろん学生。将来は王城で食事を作るための修行を重ねている人たち。つまり。学生のうちは、王城レベルのごはんが食べれる!学院サイコー、さらば携行食!

 夢中になって食事を摂っている私を見守る3人の表情なんか見てる暇はない。

「……」

「よく噛んでね」

「ぶふっ、動物がいる動物がいる」


 食事を終らせた私は、ヴィセに遠征のことをあれこれと話していた。ときどきロヴィーが分かりにくそうなところに説明を足してくれる。マリーンはお茶を飲みながら本を読んでいる。マリーンの指が動くと、少し風が起きる。無意識に魔法を使ってるらしい。

 私たち以外にも話をしたり騒いだりしている者は多く、食堂はいつまでも騒々しかった。


「皆さま!」

 ぱんっと女性らしい高い声が響く。

「間もなくアンラート様がお食事に参られます。名誉ある学院生らしい態度をお取りになるように」

 この高い声の持ち主は、フリチェーサ様だ。頭が良くて事務官候補生のトップらしい。将来は官僚になって、王国を仕切るのだろう。せっかく美しい顔立ちなのに、いつも張り詰めたような尖った顔をしている。あんなに制服をきっちりと着て、疲れないんだろうか。デキル女って大変。

 フリチェーサ様の後ろには、その取り巻きが同じように制服を着て立っている。

 食堂はしんっと静まった。


 私は、フリチェーサ嬢も取り巻きもどうでも良かった。

 彼女たちの後ろからすっすっと深紅の髪の女性が侍女を連れて歩いてくる。その姿から目が離せなくなっていたからだ。


 アンラート様

 

 現女王の御妹であられる。

 王族と同じ時期に学院で学べる機会はそうはない。

 今の学生たちは、…私は、幸運なのだ。


 胸が高鳴る。2ヶ月振りにお目にかかれると思うとドキドキする。


 アンラート様が王族専用の席に向かう。椅子に腰掛け、食堂を見渡す。食堂にいた全員がアンラート様の方を向き、膝を着いた。

 ふわっと優しい笑顔を浮かべ、ゆっくりと食堂にいるみんなに語り掛ける。

「食事の邪魔をしてごめんなさい。どうぞ、わたくしのことは気にしないで」

 みんな、緊張感を解く。食堂に静かにざわめきが戻っていく。

 私はアンラート様が気になって落ち着かない。

「ロヴィージェ、マリーン、エスファール」

 アンラート様が私たちを呼んだ。ドキンと胸が震えたが、すぐに顔をあげ、3人でアンラート様の前に進む。

 テーブルをはさんで、アンラート様の前に並び、膝を着き、こうべを垂れる。

「おかえりなさい。姉を守ってくれてありがとう」

「エスファ」

 アンラート様が少しいたずらな笑顔を浮かべ、上品な仕草で手招きをする。私はテーブルを迂回してアンラート様の横に跪く。すると、アンラート様は、体を乗り出し、私の頬に軽く手を当て、少しだけ撫でられた。


 うっわーーーーーーー


「日に焼けたわね。よく顔を見せて」

 顔をあげると、アンラート様と目が合った。濃い褐色の瞳に吸い込まれる。

「セレーサ、後で日焼けに効く化粧水をエスファにあげてちょうだい」

 セレーサと呼ばれる侍女がうなずいた。

「あ、ああ、ありがとうございましゅ」

 舌噛んだ。


 立ち上がり、ロヴィーたちと一緒にアンラート様の前から下がり、ヴィセの待つテーブルに戻ろうとした。

 アンラート様の近くに控えていたフリチェーサ嬢が、すれ違い様に私たちだけに聴こえる声でつぶやく。

「調子に乗らないことね」

 一瞬、背中が冷える。その声はさっきと違って、めっちゃ低い。

 空に飛ぶくらい舞い上がっていた気持ちが、一気にしぼんで、おかげで落ち着けた。

 アリガトーオチツイタヨー

「どっちが調子に乗ってんだか」

 マリーンがつぶやくと風が吹いて、フリチェーサ様のスカートがふわっとまくれあがる。膝上程度だが、お嬢様の事務官には恥辱的だろう。フリチェーサ様がスカートを押さえて、物凄い顔でマリーンを睨み付けたが、マリーンは知らんぷりだ。

 ロヴィーはいつものように、何も気にしていない顔で私の手を引き、テーブルに座らせてくれた。武器を持たない者は視界にも入らないようだ。

 私も、フリチェーサ様の嫌味なんて気にしない。そんなことより大事なことは一杯ある。


 アンラート様の触れた頬に自分の手を当てた。

 頬が熱い。


 胸も熱い




 その夜、セレーサ様が、化粧水を持って、私の部屋を訪れた。

 そして、大広間の上、尖塔の下のアンラートの部屋まで案内し、私を部屋に残して、自らは下がった。

 

 アンラート様と二人きりだ。さっきから緊張している。

「寝る前に、少しだけ、顔を見たかったの」

 豪奢なベッドに腰かけていたアンラート様の隣に座らされる。

 2ヶ月振りにアンラート様を間近に見て、その匂いをかぐと、ぞくっとして目眩がした。

「旅はつらくなかった?」

「…アンラート様に会えないのがつらかったです」

 小さな声で答える。


 昔から、ときどき、こうしてアンラート様に呼び出される。

 お菓子や服を下げてもらったり、珍しい異国の品物を見せてくれたり。

 どうもアンラート様まで妹扱いしてくださっている。

 とつとつと話相手をしていると、何気なく、アンラート様が、私の手を取ってなでたり、髪や頬に触れたりする。

 私は、一人で顔を赤くして、震えたりドキドキしてたりするのだけど、

 アンラート様は、ふわーっと笑って、私を見ているだけだ。猫かなんかと思われていそうだ。

 だけど、私の方はそうはいかない。

 寝間着の上にガウンをまとっているだけなのに、美しいと思ってしまう。

 唇とか、首筋とか、鎖骨とか、胸の隆起とか、腰とか、とかとかに、目が向きそうになって、目をぎゅっと閉じる。

 私は、年々、日々、自分がやばくなっていくのを自覚している。

 いつか、衝動的にこの人に何かやらかしかねない。

 でも、部屋に呼ばれなくなるのは嫌だ。

 




 ~~~~~~~~~~~~~~


 二人の衛兵が何かに殺され

 その内臓を食われたのは

 その日の夜だった


 学院の背後の深い森は

 いつもと変わらないように見えた

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