2.聖女なんかじゃない

 ロヴィーとマリーンが率いる辺境学院の精鋭部隊は2ヶ月の遠征に出ていた。エスファも学院の指示を受けて連れていかれたのだった。


 今のワジェイン王国を統治しているのは女王である。

 王配である夫との間に王子が産まれ、王子もゆっくりなら旅にも耐えられそうだろうということになり、王配の故郷の領地までお披露目に向かうこととなった。王都を抜けるまでの間の護衛に、学院の精鋭である兵士候補生が就くことになり、王都への往復と護衛とその準備とで、約2ヶ月の遠征となったというわけである。

 女王と王子を愛する国民性からすれば、国内でわざわざ学生の護衛が必要となる状況になる可能性は低いが、女王が王位に就いて、まだ数年。いくら女王が国民に愛されていても、国情が安定しているとは言い切れない。ことのほか目立つ辺境学院生の若草色のマントは、国民の目を引き、人気があるというだけでなく、国民に向けて、この国の強さを顕示し、安心感を与えることにもつながると判断されたのだ。

 実際、もしも、女王が襲われたとしても、それを守りきれないほど学院の兵士候補生はやわではない。

  



 ーーーーー




「やっと帰ってきたぁ」

 馬を厩舎に連れていって、ロヴィーの号令で隊列が揃って、解散の号令がかかって、ようやく自分の部屋のある女子寮の前までたどり着いた。

 ガシャガシャと鎧の音をさせて、女子寮の扉を2ヶ月振りにくぐった。

 ロヴィーとマリーン、それから数人の騎士候補生の女子たちが一緒。


 安心と一緒にどっと疲れが押し寄せてくる。今回は戦闘がなかったからマシだけど、旅はそれだけで疲れる。

 がしゃん

 と鎧の音がして、私が自分の足につまずいたのが、みんなにばれた。足がもつれちゃっただけなんです、大したことないですよー、と回りを見渡す。

「もう少しだから、頑張ろうね」

 心配そうな顔をしたロヴィーがかがんで、私の手を取って立ち上がらせると、私の耳に口を寄せ、私にだけ聞こえる声でささやく。

 こそばゆくて顔を歪めたら、ぷっとマリーンが吹き出す。

「もう一度、抱っこしてもらえば?」

 マリーンの挑発が、ちょっと悔しくて、私はロヴィーに手を離してもらって、また歩き出した。ロヴィーが肩をすくめる。


「ほら、部屋まで来たよ。エスファ。」

 自分の部屋が近づくにつれ、足が重くなる私を、ロヴィーもマリーンも、他の女子兵士候補生たちも見守って後を付いてきてくれていた。

 ロヴィーは近所のお屋敷に住んでいた一つ上の幼なじみでもあって、本当の妹のように私の世話を焼きたがる。でも、隊長様をこれ以上私にかまけさせるわけにいけないわけで。

「一人で大丈夫だから」

 言ってみた。

 無理だった。

 自分の部屋の扉まであとちょっとのところで膝を付いた。

 途端に、ロヴィーが、鎧で体重5割り増しの私を軽々お姫様だっこして、部屋に運び込み、ふわっと一切の衝撃なしに私を椅子に腰掛けさせた。

「いーなあ、エスファ。隊長に大事にされて」

 ヒューヒューという口笛と共に、ロヴィーの部下である兵士見習いの女子たちが私をからかう。

 どうやら鬼隊長らしいロヴィーが私にだけは優しいので、ネタ半分、やっかみ半分で、隊員たちは、私とロヴィーが恋人同士だという設定でからかってくる。これも慣れたし、ロヴィーの方は全く気にしていない。 

 次の瞬間、ガシャンガシャンと激しい音がして、女子たちが床にはいつくばって、ぐえええとうめく。

「ロヴィー、この子たちも抱っこしてほしいって」

 マリーンが魔法で彼女たちの鎧を重くしたらしい。あちゃーっと眉をひそめた私を見て、

「圧縮した空気で鎧を押してるだけ。鎧を重くするような魔法なんてないよ」

 と肩をすくめる。

「そのまま、学院回り三周くらい走ってくる?」

 欲しいのは私の抱っこじゃなくて訓練でしょ、っとロヴィーが笑顔で言う。

 女子たちが涙顔になると、次の瞬間、鎧の重さが元に戻り、女子たちがはーっと息を吐き出した。

 鬼隊長はにこにこ笑っているだけで、少しも手を貸そうとはしない。

 女子たちはよろっと立ち上がって、マリーンの肩に軽くパンチを入れる。

「副隊長は、疲れてないようですね。」

 答える代わりににやっと笑ったマリーンと彼女たちはハイタッチをする。

「隊長、副隊長、エスファ、お疲れさま。また、後で」

 と軽く手を振ってそれぞれ自分の部屋に向かっていった。あのお姉さんたちもふざけているけど、とても強い。

 残ったのは、ロヴィーとマリーン。この二人は、学院で誰よりも強い。

 



 ーーーーー




 ロヴィーの一族は、勇猛果敢な騎士や兵士を何人も輩出した王国でも有名な武家である。一族の誰もが、尋常ではない筋力と戦闘センスの持ち主であるが、ロヴィーはその血筋をさらに凝縮した存在と言われている。強さとしなやかさを備えた筋肉は、怪力を発揮する一方で、どんな武器でも器用に軽々と使いこなす。性格は穏やかで無口であり、ふだんは清楚な(エスファとマリーンはぼんやりしてると思っている)笑顔を浮かべていることが多いが、武器を構えた途端に目の色が変わり、相手を容赦なく打ちのめす。辺境学院に入学して間もなく、その才能を遺憾なく発揮し、1対1での戦闘練習の相手がいなくなるまで半年もかからなかった。この数年は、戦闘だけでなく、指揮者として戦術や戦闘指揮を主に学んでいる。


 ロヴィーの横に並ぶのが、マリーンである。とんでもない魔力の持ち主で、呼吸をするように魔法を使うことができる。

 魔法といっても、万能に何でもできる訳ではない。童話のように、おんぼろの服をきらびやかなドレスに変えたり、野菜を馬車に、動物を人間に変えたりはできない。戦闘に特化した魔法であり、主に空気に干渉する。空気を移動させたり、温度を上げたり下げたりすることで、暴風を巻き起こし、炎や氷を発生させるのである。そこまでには至らずとも、兵士を補助することができるように、魔力を持って産まれた者は、学院で魔法兵士として鍛えられることになる。魔法を武器のように扱えるほどの魔力を持つ者はそうは多くなく、魔法兵士は兵士候補生の中でも生え抜きといえる。

 辺境学院と海を隔てた北の街で生まれたマリーンは、その魔力を学院の魔法教師に見いだされ、幼いうちから特待生として学院で育てられた。教員や年上の学生に囲まれたが、さほど甘やかされもしなかったためか、マリーンは大人びている。ぶっきらぼうな物言いをすることが多いが、エスファをからかうのが好きで、エスファの前ではにやにやしていることが多い。


 そして、エスファは、治癒師である。

 

 治癒師と呼ばれる力を持つ者は希少だ。学院どころか、エスファを含めても王国には10人も治癒師はいない。治癒魔法は体細胞に干渉する魔法の一種であり、骨でも皮膚でも筋肉でも、短時間で元通りにすることができる。

 ワジェイン王国が戦争でしぶとく戦い続けられるのは、この国にだけ存在する治癒師の活躍による。

 戦争中は治癒師が兵士を癒し続けるので、兵士たちは敵を恐れず、ワジェイン王国は後に引かずに戦うことができる。

 ただ、治癒力は遺伝ではなく、ある日、突然、誰かにその力は現れる。その理由や原理は今のところ分かっていない。エスファにその力が現れたのも、突然のことだった。

 治癒師の能力とその希少性から、神聖視されること多く、エスファも「聖女」扱いされることが少なくない。しかし、信仰心が強いわけでもないエスファにとって、「聖女」呼ばわりは、こそばゆいだけだ。




 ーーーーー




 結局、ロヴィーが私の鎧や装備を外してくれて、マリーンがそれを魔法でまとめてくれた。

「エスファは鎧なんて着なくていいのに」

 マリーンがマントを魔法でたたみながら言う。

「何かあったら困るから付けてろって命令なんだもん」

 私は、軽くなった体をびよーんと伸ばす。どっかの骨がぺきぺきって鳴る。

 あれこれと世話を焼いてくれるロヴィーとマリーンは、私の姉みたいな存在だ。


 ロヴィーとマリーンは同じ年で私より一つ上の17最。今でこそ、肩を並べているけれど、なんか昔はライバルだった。

 友情を得るのと引き換えに、ロヴィー顔の右側から右肩と右腕にひどい火傷をおって、マリーンは左肘の間接が外れて手首の骨が砕けたのは、私もよく知っている。

 4年前、まだ私は学院に入りたての12歳で、たまたま二人のけんかに居合わせて、二人のひどい負傷を目の当たりにして、なんとかしなきゃと祈るような気持ちで二人に駆け寄り、その体に触れた途端、私は治癒魔法の力に目覚めた。

 つまり、最初に治したのは、ロヴィーの火傷とマリーンの負傷だったわけだ。


 マリーンが整えたベッドに、ロヴィーが私を持ち上げて横たえる。

 私の頭をロヴィーがなでる。

「おやすみ」

 今度は、ちゃんと二人の頬に口づける。

 二人が静かに部屋を出ていき、私はすぐに眠りに落ちた。

 大半の学生たちは、まだ校舎にいる時間で、寮には人の気配がなく静かだったので、ぐっすりとよく眠れた。


 私は、エスファール。

 辺境学院のみんなはエスファと呼ぶ。

 今の学院ではただ一人の治癒師。

 聖女の子とか、走る聖女とか呼ばれることがある。


 でも、聖女なんかじゃないよ!






 こんな力は、呪いだ







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 衛兵が魔獣に気づいたときは遅かった。

 牙が鎧ごと腹に食い込み、鎧と内臓を一緒に引っ張り出す。

 衛兵の槍がごろんと転がる。

 内臓の塊と血がその上にばらまかれる。

 もう一人の衛兵は勇気をもって槍を魔獣に突き立てる。

 槍は魔獣の固い表皮にかすかな傷を付けただけ。

 魔獣の涎は赤く染まり、地面にぼたぼたっと水溜まりをつくる。




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