1.辺境学院
エスファ 16歳 現在
「ただいまー!!」
思い切り叫んだ。
広い青空にただいまの声が拡散する。
「っと」
私の声に驚いたのか、乗っていた馬が顔を揺らして、バランスが崩れる。
「エスファ、騒いでると馬から落ちるよ」
「うるさいよ。エスファ」
右の馬からも左の馬からもたしなめられてしまった。
右隣の馬に乗るマリーンがにたにた笑いながら注意してくる。
「さっきから、ふらふらしてる。乗馬下手なんだから、集中してなよ」
「落ちないもん!」
ちょっとむきになって言い返して、唇を尖らせたら
「ふくれっつらも、まあ、かわいいよ」
左隣の馬に乗るロヴィーからくすくす笑われた。ロヴィーは背が高いから、笑い声が上から降ってくる。
右にも左にも敵がいるらしい!なんたることだ!!
「そのうち、落馬するな」
「しないってば!」
マリーンのだめ押しに言い返したものの、本当に乗馬は上手くないので、ちょっと座り直しておこうと思う。走らせなければ大丈夫、と自分と馬に言い聞かせた。
ーーーーー
広い草原を切り裂くように街道が続いている。広い道幅一杯に若草色のマントを着けた騎馬部隊50騎ほどが隊列を組み、一糸乱れずに進んでいる。兵士達の体格は良く、それぞれが得意の武器を持ち、いかにも強者揃いのようだが、みな顔は若く、彼らが青年もしくは少年の部隊であることがうかがえる。
事実、彼らは、まだ学生であり、兵士ではなく、兵士候補生だ。
彼らの目線の先には、隊を率いる3人の女性がいる。当然、彼女たちも学生である。
左端の女性は、ロヴィーことロヴィージェ。かなり背が高く、長い髪をオールバックにして後ろで一つに結んでいる。リラックスしていても姿勢は良く、そして、隙がない。後ろにずらっと並ぶ若者たちは、誰一人、彼女には敵わないことを知っている。
反対の右端の女性は、マリーン。マントの下には鎧ではなく、ローブをまとっている。隊列の中にも10名弱が同じようなローブを着ており、マリーンがローブを着た者たちのリーダーであることが見て取れる。ウェーブのかかった長い髪が馬の動きと一緒に揺れ動いている。後ろの若者たちは、誰もが彼女の魔法を恐れ、怒らせたくないと思っている。
どちらのリーダーも美女なのだが、不埒な思いを抱くには恐れ多かった。
美女の皮を被った鬼には、誰も恋なんてできない。
さて、その二人に挟まれているのが、エスファことエスファールである。
セミロングの髪をポニーテールにして、体に合ってない鎧を着けて、隊列のみんなより一回り小さな馬に乗っている、いや、乗せられている。乗馬になれていないのだろう、右に揺れ、左に揺れ、しかも、きょろきょろあちこちを見て落ち着きがない。体つきも、部隊の誰よりも一回りも二回りも小さくて華奢だ。体格の良い隊の猛者たちから見れば、危なっかしい小さな子供が先頭に立っているようなものである。
特に、隊列の最前列の者たちは、エスファが馬から落ちるのではないかとハラハラしどおしであった。
しかし、それが、かわいいのだから、困ってしまう
と、エスファが動く度に手綱を握る手に力が入る者多数。
エスファが馬から落ちそうになったら、駆けつけて支える準備はできている
当のエスファは、そんな後ろの兵士候補生たちの気持ちには毛ほども気付いていない。
エスファは、学院に帰ってきたうれしさで頭が一杯だったのだ。
エスファの目の前には、2ヶ月振りの風景が広がっている。まだまだしばらくは続いていくだろう街道と草原があるが、ようやく草原と青空の間に学院の尖塔が見え始めた。
エスファは、にこにこ笑顔が止まらなくなっていた。
辺境学院。
この大きな島にはほぼこの学院しかない。ワジェイン王国の国民は信愛の情を込めて、ここを辺境学院と呼ぶ。
王都から、ひたすら街道を北へ向かい、北端の辺境の街の港へ向かう。本土の北端である港から大きな島へ海峡を船で渡る。島の岸から続くやたらに広い平野を進むと、昔、島に住んでいた辺境伯爵が建てた城を改築した辺境学院にたどり着く。馬でも王都から合計2週間はかかる王国の外れに学院はある。
学院の向こうは人間の住まない深い森がうっそうと繁っているだけだ。
ワジェイン王国の王城や王都、周辺の都市で将来働く者、或いは領地を持つ爵位のある家の子供は、みな20歳前後までの6年から10年を辺境学院で学びながら暮らす。12歳から8年間を辺境学院で過ごす者が多い。
エスファはもうすぐ16歳になる。入学して4年目だ。ロヴィーとマリーンはひとつ上で17歳だ。後ろの部隊は18歳から20歳、学院の中でも武芸に秀でた兵士候補生たちで、学生と言えど正規部隊にひけを取らない学院の精鋭部隊である。
辺境学院では、王国と王族を敬いつつ、それらを支えるための能力や技術を伸ばし、また、辺境学院で共に過ごしたという連帯感を糧にして、卒業後は、一生をワジェイン王国に尽くす。
ワジェイン王国は大国ではないが、大国には簡単には負けない、したたかでしぶとい国だ。
その力は、ここ辺境学院で培われているといっても過言ではない。
ーーーーー
…早く会いたいなあ
早く帰りたくて、馬を走らせたくなった
ら、バランスが崩れた。
あ、落ちる。
地面に落ちるのを覚悟した次の瞬間、強い風が吹いて私の体をふわっと浮かす。
そして左腕がぐいっと引っ張られ、右腰が持ち上げられて、気が付いたらロヴィーに横抱きにされて、ロヴィーの馬に乗せられていた。お見事!と後ろから声がした。
「あ、ありがと。ロヴィー」
私がお礼を言うと、ロヴィーがにっこり笑って、私が座りやすいように腰の位置を調整する。
「どういたしまして。でも、お礼はマリーンにも言ってね。風が持ち上げてくれなければ、私でも持ち上がらなかったよ」
右隣の馬に乗るマリーンを見た。
「…想定の範囲内。そのうち落ちると思ってた」
つんとすました顔で私に目もくれない、と思ったらチラリと横目で見て、にやっと唇の片側だけをゆがめて笑う。
いつもどおり、私をばかにしたようなにたにた顔だけど、マリーンも何だかんだで私には優しい。
「このまま、私の馬で行こう」
「はーい」
ロヴィーの腰に手を回そうとして、やめて、首に回す。
なに?と言いたげに、頭を下げたロヴィーの頬に軽く口づける
ありがとうの代わり。
うおおお
後ろの隊列から、よく分からん低音のどよめきがした。
「エスファ、私にも後でキスしてねー」
「マリーンは意地悪だから、ぃや」
とあかんべーする。
マリーンがふんっと鼻を鳴らすと、ぶわんと私の顔にだけ風が当たる。魔法の無駄遣いやめろて。
くしゅっ、ぐしゅっっ
舞い上がった私の髪で、ロヴィーがくしゃみした。
「エスファもマリーンも、おとなしく帰ろう」
くしゃみで耳と鼻の頭を赤くしたロヴィーの声に、私とマリーンははーいと返事をした。ん?耳まで赤い?
「エスファー、馬は大丈夫だからな、そのまま隊長の馬に乗って行っていいよー」
後ろから声がした。私の乗っていた馬は、列の先頭の者が手綱を引いてくれていた。背の低い私が乗れるのは、あの小さな大人しい馬だけなので、逃げられたら困ってしまうところだったので安心した。
彼に手を振ってお礼を伝えると、なぜか部隊のみんながにっこりして、彼だけでなく何人かが手を振り返してくれた。
馬から落ちるつもりはなかったんだけど、まあ、みんなからなごんでもらえたのなら結果オーライ。
私は、馬に乗るのが下手なだけでなく、戦闘らしい戦闘もできない。ただ、走り回って逃げ回るのは得意だ。
それなのに、ずっと彼ら兵士候補生たちと行動を共にしている。
私の居場所はそこだと、兵士候補生たちの訓練所に連れていかれてから、ずっと。
みんなも、明らかに場違いな私を妹分として可愛がってくれている。
まあ、脳筋系な方々ばかりだけどね。
そう言う私も、そんなにお勉強はできない。
ーーーーー
気が付くと、学院の門である城門が見えていた。
城には、教室や訓練場など学問に必要な部屋や場所を建て増し、約2000人の学生と教員らが暮らす寮がある。
また、最も高い尖塔の下は、王族が学院に在籍しているときは、王族が使用する区域となる。
「ただいま」
もう一度つぶやくような声で、エスファは学院に挨拶し、尖塔を見上げた。
青空に白銀の槍が突き刺さるように見えた。
~~~~~~~~~~~~
魔獣が牙をむいた。
涎が地面にぼとぼとっと落ちた。
魔獣の目に、城壁が映った。
ざくっざくっと、森の下草を音立てて踏む。
涎が足跡をたどるように落ちる。
森と校舎を隔てる城壁の門の前には二人の衛兵がいる。
魔獣は風下にいて、臭いも足音もまだ衛兵に届いていない。
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