凋落
コールセンターは沸き立っていた。ひっきりなしに電話がかかり、派遣の子らもあたふたと対応に追われた。とにかく資料請求に持ち込めばいい。SaaSシステムの内容まで聞いてくる、くどい顧客もうるさいくらいにいたが、詳しい資料を送ると言えば大概そこで引き下がり、資料を待つのだった。
正月が来た。今年の家族旅行は沖縄にした。12月30日に出発し、日本列島を
篠塚は機内でビールを飲み、もうご機嫌である。通路を通る人に「は~い」と笑顔で挨拶をする。
「ちよっとあなた。ハワイに行ってるんじゃないのよ!」
「あ、ああ、そうだった。ま、似たような所じゃないか」
なぜか浮かれて、また挨拶をくりかえす。心美は携帯ゲームに夢中だ。三者三様で飛行機は沖縄に到着した。
予約を取っていた宿には、午後3時に到着した。篠塚はすでにグロッキー。ふらふらになりながらチェックインした。
すぐに大浴場に行き、ひとっ風呂浴びると猛烈な眠気が。7時に夕食のところをわがままを言い、5時からにしてもらった。
舟盛りの刺身が運ばれてきた。まずはそれをガツガツと食らう。そして合間にビール。至福の時だ。
鍋も終わると雑炊もたいらげ、腹いっぱいになった篠塚は寝室へ行き、敷いてあった布団にダイブした。そしてそのまま眠りについた。
次の日、起きたのは朝9時。15時間睡眠である。蓄積した疲労が相当溜まっていたようだ。まだ何かふらふらする。しかし疲れはかなり抜けた。
レンタカーを借り、県北の海に行った。久しぶりのドライブだ。楽しいことこの上ない。
海に出た。真っ青なビーチがひろがり、夏だったらすぐにでも泳ぎ出していただろうに。外から入ってくる風は案外冷たい。まあ、沖縄も真冬だ。本州よりほんの少しだけ過ごしやすいに過ぎない。
ドライブで県北を一周すると、観光地巡りだ。お土産をたくさん買った。
宿に帰り、7時に夕食を終え、紅白歌合戦を3人で見て、夜10時には、篠塚だけ布団でばたんきゅうだ。そして起きるのは、また朝の9時。今度は11時間睡眠である。疲労が相当溜まっているようだった。
そんなこんなで旅行も終わり、飛行機で自宅へ帰った。疲労は完全に抜けた。
案外忙しかったので初詣に行っていないことに気づいた。3人で明治神宮へ参拝する。篠塚は(今年は仕事が上手く行きますように)と、(家族が健康でありますように)と2つ願いごとをした。そして運命のおみくじ。無難に中吉であった。
それから2ヶ月が過ぎた。第1四半期決算が来週に控えている。上がってきた決算書をパソコンで見てみると、経常利益の欄には、7千万円の数字が。ため息が出た。もともとこれくらいの会社なのである。利益が一気に上がるのはSaaSシステムが有料化する4月に入ってからなのだ。
嫌な予感がする。投資家達はこの事実をしっかり認識しているのだろうか。
今現在の株価は、1145円。この1Qの決算書を発表すれば、どうなるだろう。篠塚は頭を振り余計なことは考えないようにした。
1Qの決算発表の日が来た。
後場が終わり、午後5時を待つ。長い時が流れた。広瀬も、そして佐藤も時間外取引の開始を待っている。
5時になった。株価はいきなり800円台に落ちた。そして見る間に500円を切ってきた。
450円で動かなくなった。「ふ~」と深呼吸をし、広瀬と佐藤と目をあわせ笑顔になった。プライム基準をぎりぎり満たしているラインだからだ。
「これ以上は、下げられないな。篠塚さん、何か広報課で出来ることはないかな」
「追加のIRを出しませんか」
と、佐藤が案を出す。
「それだな、それしかない」
広瀬が佐藤の言ったことを受け入れる。
「篠塚さん、いい文面はないですか」
「もう、内実を素直に出したらどうでしょう。今回は無料期間なのでこの決算でしたが、次の中間決算では必ず業績進捗率が50%を超えてくると。これをIRで出せば必ずこのラインで食い止められるはずです。落ちてからでは間に合わないかもしれません。前場の始まる前の午前8時半、異例となりますが、そのタイミングで追加のIRを出しましょう。私がこれから文章に起こしておきます」
「そうですか、分かりました。その線でいきましょう。頼みましたよ、篠塚さん」
「分かりました。徹夜してでも説得力のある追加IRを書いておきますよ」
広瀬と佐藤は帰って行った。
「あーもしもし、のぶえか。今日は緊急の仕事ができて残業になった。12時までかかるかもしれない。もう先に寝ててくれ。なに?残業の内容?それはだなー」
のぶえは12時までの残業など初めてなので心配しているのだ。
「……という訳で明日の8時半にIRを出すんでその文面を書かなきゃいけないのさ。そういう訳でもろもろよろしく」
電話を切った。まずは腹ごしらえだ。会社を出、近くのコンビニに行き弁当と、サンドイッチとスナック菓子を買い込み会社に帰り、自動販売機でコーヒーを買い弁当を食べた。
時間外取引を見てみると437円にじわりと下がっていた。あせる篠塚。テキストを立ち上げ、まずは骨子を書いていく。
「弊社の経常利益が上昇するのはいま現在無料で提供させていただいている新しいSaaSシステムが有料化する4月の頭からであり……」
(ちょっと違うかな)
書き直し、書き直し、書き直し。
時間は、午後10時をまわった。
「弊社の利益が本格的に上昇するのは、いま現在最も力を入れている、不動産分野に特化したSaaSシステムが有料化する4月の頭からであり…………株主様におかれましては、この決算はお
(こんなもんかな)
篠塚は、この骨子案に何度も筆を入れ直す。
(よし、こんなもんだろう)
時刻は10時40分。篠塚はコートを着て帰宅の途についた。
15分ほど電車に乗り、最寄り駅に到着した。
家に着くと、まだ電気はついていた。
「ただいまー」
のぶえが玄関まで迎えにきた。
「心配したわよ」
「悪い悪い、急遽残業が決まったんだ。飯はあるかな」
「今日は珍しくチャーハンと餃子よ。それと野菜の煮物」
「うまそうだな」
スーツを脱ぎ、風呂に入った。
朝の8時に出社する。まずは昨日の骨子案を広瀬と佐藤に見せる。OKが出た。コーヒーを飲みながら8時半を待つ。
朝の8時半、異例の早朝IRを発信する。
9時になりザラ場が始まった。株価は一気に600円台に回復。やれやれと広瀬と篠塚と佐藤。
「効きましたね」
「ほっとしましたよ」
「内容も真摯な感じが伝わってきましたし、篠塚さんらしい文章だったと思います」
と、佐藤。3人は笑いあう。
「さて問題は、あと遅々として進みにくい零細個人事業者にどうやってうちのシステムを導入させるかに絞られてきましたね」
「2万社か。でかいですもんね」
篠塚が佐藤に聞く。
「リストは出るのかい」
「出ますよ簡単に」
佐藤の手ほどきで、篠塚のパソコンには個人事業者のリストがズラリと並ぶ。
篠塚は、簡単な資料の説明文を書き、一斉にメールで発信した。
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