目標突破!
最寄り駅に歩いて向かうといつも決まって同じ家の庭から犬が大声で吠えてくる。
(うるさいなー。いつもいつも)
篠塚は、苛立っていた。仕事が快調に進んでないためだ。まあそういう時期もあるさと自らなぐさめる。
現在の利用会員数は、6万3千社と、一頃の爆発的な伸びはないものの、堅実に上げてはいる。目標まで、あと3万7千社。本当に10月までに10万業者も集まるのか。
しかもBCテクノロジーズが4万囲い込みをして、気を吐いて猛追している。すでに飽和状態ではないのか……。篠塚は、不安にかられる。
4月までに8万社を超えておきたい。
しかし明らかに停滞している。このあたりが現実的な線か。
「あの経常利益73億円ていう数字、あれは10万社囲い込んだらっていう前提で出た数値だったんです。しかしここにきて停滞してしまいましたね」
篠塚は、広瀬と飲みながら、ことのいきさつを説明している。
「でも、だんだん洒落にならないほどの業者が入会してきていますし。ひょっとして10万社の囲い込みに成功するんじゃないかと思っていたんですけど……現実はやはり厳しいですね」
「そうですね。10万か……不動産業者の八割を囲い込まなくちゃならない。あと3万5千。きびしい数字ですね」
あと少し、あともう一歩なのだ。
「今年の正月はどこかへいかれましたか?、あ、そうだ沖縄でしたね、おみやげもらいましたもんね」
「しっかり骨休みしてきましたよ」
「あまり無理はしないでくださいよ」
「大丈夫ですよ。それよりそろそろ無料期間が終わり、システム使用料が有料となります。顧客が離れなければいいんですけど」
広瀬に少し愚痴る。
広瀬が太鼓判を押す。
「大丈夫ですよ。うちのSaaSシステムには、
「だといいんですが……」
ついに4月がやってきた。有料期間のスタートである。幸いなことにキャンセルはほとんど出なかった。契約業者数は7万3千社を上回った。あと2万7千社。
ここにきてまたにわかに契約社数が伸びはじめる。そう、BCテクノロジーズの会員だった業者が、システム・ギアに鞍替えを始めたのだ。それはオセロゲームのように黒い陣地に白い玉を刺すと一気にリバースするかのように、ドミノ倒しのごとく契約数が上がり始めた。業界全体がシステム・ギアを覇者と見定めた
「よーし、よしよし。あと一歩だ!」
篠塚も広瀬も、毎日契約企業数を確認している。朝の出勤時のルーティーンになった。
そして9月、ついに契約社数が10万社を突破した!
「よっしゃー今日は飲みに出るぞ!」
長野部長が幹事になり料亭の宴会場を貸しきりにし、総務部の有志らと祝勝会を
広報課はもちろん、全員が参加した。
「それでは始める。まずは今回一番頑張った、広報課の面々に拍手だ」
盛大な拍手が沸き起こる。
「その中でも、最も大きな働きをした佐藤君、前へ」
佐藤は物怖じせず、長野部長の隣りに立った。
「今回10万社を突破したのも皆様のお力添えがあったからこそです。初の、しかもあのWESの取材にあたり、わたくしを指導してくれた篠塚さんこそ今回の栄誉をうけるにふさわしいと思います」
「佐藤君らしい謙虚な言葉だ。今回のMVPは佐藤君だ。皆、もう一度大きな拍手を!」
またもや拍手が鳴り響く。佐藤は何度も頭を下げている。
「堅苦しいことはこれくらいにして飲むぞ!今日は無礼講だ無礼講」
そこからはランチキ騒ぎが始まった。
広瀬と篠塚は、同じ電車に乗り込んだ。
「んん?」
広瀬が眉をしかめる。
「どうしたんですか」
「いえね……」
篠塚は大事なことに気づいていなかった。たとえ10月までに10万社までに到達しても、経常利益が73億にまで届かないことを。73億という数字はあくまで有料期間の始まりから10万社であるのが大前提であり、4月に入ってから入会してきた業者の利益は、最初から契約していた業者と比べると大分薄くなるのだ。
篠塚がうなる。
「ああ、そうかー。考えが及ばなかった」
広瀬が相づちを打つ。
「全くですね、誤算でした。こうなれば12万社を目指すしかなさそうです」
「それは……さすがに無理でしょ」
「じゃあどうすればいいのか……」
広瀬が頭を抱える。
「課長、これはもともとプライム市場の基準を満たすために始まったことですから、株価が暴落しない限りそう深く悩まなくてもいいと思いますよ。さいわいうちの株価はいま現在1300円もあり、もうここから下がってもたかが知れているでしよう。IRで10万社を突破したことをアピールすれば、株価もまた上がりますよ。期待先行の上げってやつです。どんと構えておけばいいんじゃないでしょうか」
「それはそうだが。今期は下方修正を出さなきゃならなくなる」
「そこに至った経緯も誠実にIRで発表すればいいと思いますよ。株主さん達も誠意を尽くせば納得してくれますよ」
「そうか。そうですよね。人間、最後は誠意で信頼をよせていい人物かどうか判断しますからね。その文面、私も書きますから、篠塚さんも書いてもらえますか。で、ふたりの文面を擦り合わせましょう」
「了解しました」
電車は、ビル街を抜けていった。
「今回の決算はあくまで無料期間の結果であり、つぎの決算発表から、無料期間が終わり有料となります。莫大な利益を生み出すのはそれからであり、4月から皆さまの期待に答える利益を……」
会社にいき、取り敢えずの骨子を広瀬に見せた。
「昨日は酔ってましたからね。大した文が書けませんでした。今日1日かけてもっと説得力のある文章を書き上げます」
「僕が書いた文面です」
広瀬がスマホのテキスト画面を見せてきた。
「4月からDXを使った新しい巨大プロジェクトが有料化になり始動いたします。……利益は莫大なものになり、特に来期は利益ベースで73億円を突破する見通しです。次の四半期決算から利益が決算に上がってきますので、期待をし待っていて下さい」
「いい文面ですね。これでいいんじゃないでしょうか」
篠塚は、部下の藤沢に見せる。
「さすが課長。株主に期待を持たせるインパクトのある文ですよ」
広瀬が苦笑しながら同意する。
「そうか? じゃあこの文をIRに挟みこみますね」
広瀬は自ら補足資料に、自分の文を書き加えた。
「吉と出ればいいのですが」
「大丈夫。問題ありませんよ。これで少なくともいまの株価水準は維持できると思います」
篠塚が答える。
次の決算まで一週間を切っている。
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