期初予想、発表
篠塚がキーを叩くと、ホームページの内容が変わった。これで経常利益3億円の株が来期予想73億の株へと大きく化けた。
5時、仕事が終わる。しかしこれからが本番だ。市場の時間外取引が始まるのだ。
「篠塚さん、残業ですか?」
広瀬が聞いてくる。
「いやちょっと……気にかかっていることがあるもんで」
広瀬が笑いながら言う。
「じゃあ、お先に失礼しますよ」
「お疲れ様でした」
「お疲れ様」
再びパソコンに目をやる。すでにIRを読んだ人達により、ストップ高に張り付いていた。
(速いな……)
ここで画面を眺めていても、もう動きはしまい。篠塚はパソコンを切り、コートを羽織り家路についた。
「明日から大騒ぎになるぞ」
篠塚は、晩飯を食べながらのぶえにぼやいた。
のぶえはお茶をいれながら難しい顔をしている。
「やっぱり株価操縦になっちゃうの?」
「もしそれで捕まったら河原田部長のことは言わないつもりだ」
「えっ?」
「俺の一存でやったことにする」
「ちょっとあなた、何言ってんの。前科がつくわよ!」
「な~に、初犯だ。執行猶予がついてすぐ出てこれるよ。それで会社に恩を売るんだ。
「そんなに上手くいくかしら。不安だわ」
「心配するなよ。賭けに負けてもまた万年主任に戻るだけさ。お見舞いの100万くらい握らされてな」
篠塚は、好物の刺身を口に放り込んだ。
次の日からシステム・ギアの株は狂乱状態になり、連日のストップ高となった。総務部の電話はパンク状態になり、篠塚達も対応に追われた。
「抱えていた事案はこれですか」
課長の広瀬が篠塚に詰め寄る。
「なぜもっと早く相談してくれなかったんですか。経常利益ベースで73億円。どだい無理な数字です。誰のさしがねなんですか。長野総務部長ですか。それとも……もしかして広告宣伝部の河原田部長!」
篠塚は沈黙を貫いた。
広瀬は優しく説き伏せる。
「いいですか、篠塚さん。株価操縦にあたるかもしれないんですよ。東証がそう睨んだらもしかして告発されるかもしれない。非常に不利な立場にあなたは今置かれているんですよ。命令を下した張本人……」
「独断でしたことです」
篠塚はあくまでも河原田の名前を出さなかった。
そこへスマホが鳴った。
「失礼します」
篠塚は席を立った。
相手は河原田部長だった。部長室へ来いという命令だ。
部長室へ入ると、河原田が開口一番、篠塚を
「よくやってくれた。すでに時価総額は100億円を上まわり、快調に株価が上がっている。プライム市場上場もこれで間違いない」
「恐縮です」
「ついては会社としては、何かしらの恩賞を与えたいんだが何を希望するんだ」
篠塚は、ストレートに言った。
「娘の学費がまだ少ないんです。会社で肩代わりをしてくれると助かります」
「そんなことでいいのかね。お安いご用だ。会社としては、ポストを上げようかという案が浮上している。どこか勤めたい部署があるかね」
篠塚は出された茶を飲んだ。
「それなら経営企画室に配置転換を希望します。未知の仕事がしたくなりまして」
「経営企画室か……公認会計士、税理士、弁護士、スペシャリストの集まりだ。難しいぞ」
「覚悟の上です」
「まあ、考えておくよ。学費の件は承知した」
「ありがとうございます。ところで、来期の経常利益が73億円というのは、SaaSシステムサービスの会員数が、10万業者に届いた場合の利益ですよね」
「ほう、よく分かっているじゃないか」
「無理なんじゃないかと思われますが」
「これからオンラインセミナーを徹底的にやっていく。とにかくトライだ。挑戦だよ、挑戦。テレビCMは予算が取れないし、費用対効果も分からない。セミナーで乗り切るためにはどうするか、広告宣伝部も知恵をしぼってやっているんだよ」
「ではセミナーのほう頑張って下さい」
「ああ。広報の出番もあるかもしれない。その時は頼んだぞ」
「分かりました。では」
篠塚は、一礼をして、部長室をあとにした。
張り付きストップ高は5日経っても止まらない。実際の決算は下駄をはかせるわけにはいかない。その時はどうなるか。おそらく失望売りで株価は暴落し、最悪プライム市場の基準を満たさないほど下落するかもしれない。そうなると全てが水の泡だ。コツコツ入会企業数を募るしかないのではないか。
決算発表から8日目、やっと寄り付きストップ高は止まった。株価は1262円。約8倍に達した。
「やれやれだ」
課長の広瀬が、「う~ん」と伸びをする。
「これからが問題ですよ」
広瀬は、篠塚を横目に見ながら問いかける。
「実態のない利益予想を出して次の決算はスカだったら、株価暴落は必至です。安易にサプライズ決算を出して無理やり株価を上げるとどうなるか。社運がかかっています。篠塚さんはその責任は取れますか」
「その時は覚悟をしています」
篠塚は、こうべを垂れてそう答えるのが精一杯だった。
その覚悟を見定め、広瀬は前を向いた。
「こうなった以上、契約企業数をできるだけ上げることしか選択の余地は残っていません。広報として出来る限りのことをしていきましょう」
自動販売機の前でコーヒーを飲んでいると、また嵐山が表れ、コーヒーを買う。そしてすなおに驚いてみせた。
「見たぞIR。出した張本人はやはりおまえか?」
「そうだ。プライム基準を維持するためだ。仕方がない」
「まだ無料期間なんで1Q決算はあり得ないほど低い数値になるだろう。まあ、これも運命だ。指示したのは広告宣伝部長の河原田部長だろう。なぜか部長会議で一番焦っていたからな」
篠塚を哀れな目でみると、最後にこう言った。
「貧乏くじを引かされたな」
しかし篠塚は、頭を振った。
「千載一遇のチャンスだ。上手く乗りきれば昇進も夢じゃない」
「はは、やはり万年主任は嫌か」
「当たり前だ。俺にもプライドってもんがある。トントン拍子に出世した誰かさんと違ってな」
「視野がせまいねー。もっと全体を見なきゃ。ま、そんな説教はさておいて、クビにならないことを祈ってるよ」
飲み終えた缶を捨て、嵐山は去って行った。
部長職にしか見えない景色って一体どういうものだろう。篠塚には想像もつかない。考えても無駄か。思考停止をし、自分の席へ戻っていった。
雑務をこなしながら考える。今の自分の置かれている立場。それにまつわる様々な事案。課題は山積だ。
一つ一つ実直にこなしていこう。篠塚に出来ることはそれしかない。
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