第6話「縊邪禊」

 「さて、春よ。神社祭りまであと8日じゃ。早速じゃが其方にはワシの手となり足となり動いてもらうぞ」

 せり姫様は「気を取り直して」とでも言いたげな口調で、溌剌とそう切り出したが、当の俺には正直、何の事かさっぱり分からなかった。

 「えっとあの、決戦がどうとか言っていましたけど、妖怪大戦争でも起こるんですか?」

 間抜けにも俺がそう聞くと、せり姫様は「はぁ?」と言いながら、こめかみを掻いて呆れた顔をした。

 「ワシが鎮守している土地で妖怪大戦争なんぞ起こる訳が無かろう。なんと、何も知らなんだか。まあ良い、知らぬと知っておるとでは物の見え方も変わろうて。よし、春よ、そこに直れ」

 せり姫様はそう言って拝殿の前の砂利を指し示した。正座は流石に辛いので胡坐で失礼したが、制服のスラックス越しに冷たい砂利の温度を感じる。まだ秋という程に涼しくは無いが、長時間このままだと風邪を引きそうだ。

 せり姫様は俺の不敬に対して気分を害した様子も無く、御賽銭箱に両手を突いて、さながら教壇に立つ教師の様な体勢を取った。


 「まず、この辺りの氏神はワシじゃが、氏子らが皆ワシを信仰しておる訳では無い。今は宗教も様々じゃし、移民も増えたのでな。その中でも港の地区に住んでおる漁業者達は金毘羅こんぴら権現ごんげん…、あー、今は大物主神おおものぬしのかみじゃったか。在奴を信仰しておる者が殆どじゃ。まあ、この辺では〝コンピラ様〟と言った方が分かり易いかの。総本宮は讃岐国の金刀比羅ことひらぐうじゃが、ここいらを仕切っておるコンピラは漁港の正面の丘に鎮座しておる穂里金刀比羅ことひら神社じんじゃが社殿じゃ。此奴が今回の大勝負の相手という訳じゃな」

 「そんな神社あるんだ…」

 俺が間抜けな感想を漏らすと、せり姫様は「知らんのか」と、またこめかみを掻いて呆れた顔をした。

 「この町に神社は全部で6社ある。総鎮守としてワシが町の中心に座しており、金刀比羅、蛭子えびす稲荷いなり八幡やはたの4柱が、それぞれ東西南北に鎮座しておる。ま、この配置は人間の都合じゃがの。南西の海岸沿いに金刀比羅と蛭子、北東の内陸側に稲荷と八幡が座しており、それとはまた別に、穂里山の中腹に土着信仰の神木の社が1社建てられておる」

 「えっと、でも今回はその内の、金刀比羅神社の神様と戦うんですよね?せり姫様は、その神様達のボスみたいなものなんじゃないんですか?」

 「そうなら困りはせんのじゃが、皆、自分勝手での…」

 そう言ってせり姫様ははぁー…と長い溜息を吐く。天真爛漫な神様だと思っていたけれども、意外と苦労人なのかもしれない。

 苦労人ならぬ苦労神である。


 「実際のところは、それぞれが総本宮の御心のままに行動しておる。特に金刀比羅宮は分社が多い上に、信仰者の多くは古くから海の荒くれ者ばかりじゃから、何時からか総本宮の組長を中心に全国の海にナワバリを敷くヤクザもんの様な組織になっておるのじゃ。特に穂里のコンピラは生意気な神での。まったく、不遜な神よ。在奴なんぞコンピラならぬチンピラじゃ!」

 せり姫様はそう言って御賽銭箱をバンバンと叩いている。しょうもないギャグに突っ込もうか迷ったが、先程の滝の様な雨を思い返すと、これ以上刺激するのは躊躇われた。大丈夫か?地震とか起きないだろうな?

 「そのコンピラが今回、〝縊邪禊くびらやみそぎ〟をやると言い出したので、それを阻止するのが、今回の戦いの目的という訳じゃ」


 くびらや?


 「〝縊邪禊〟とは、金刀比羅宮やその分社の神が行う、津波による地上の大禊じゃ。本来であれば邪気の溜った土地や戦で焼けた地なんかを清める為の儀式じゃが、今回は何故か、この町を丸ごと飲み込んで清めると言い出したのじゃ」

 「え、つ、津波……!!?それ、いくら神様だからって、は、話し合いとかで、何とかならないんですか!?」

 俺が慌ててそう聞くと、せり姫様はまた長い溜息を吐いて、首を横に振った。せり姫様が溜息を吐くだけで、境内の気温が下がるような、嫌な気配を感じた。

 「在奴とは既に協議済みじゃ。最初は総本宮の決定じゃと言って全く聞く耳を持たんかったが、向こうも今回の禊については思う所が有るらしく、紆余曲折の末に、穂里神社祭りの日に、サシの勝負で実施の有無を決める事になったのじゃ」


 あまりのスケールのデカさに、俺は言っている言葉の意味を理解するだけで精一杯だった。


 「勝負の種目は、国津神くにつかみの儀式〝大津那おおつなき〟。氏子の命と町の存亡を掛けた一本勝負じゃ!しかし惜しくも今のワシ1柱では、多くの信仰者を持つ在奴に勝つ程の神力は無い。春よ、力を貸してくれ」


 せり姫様はそう言って、俺に右手を差し出した。


 「あ、えっと………………」


 俺は。


 この手を握れるのか?


 正直、こんなに大それた話だとは思ってもみなかった。町の存亡に関わる?そんな重大な事に、俺なんかが関わって何ができる?だいたい俺はたまたま御参りに来ただけで、こんな事になるなんて知りもしなかった。そうだよ、御参りに来た理由だって、受験勉強の為じゃないか。そんな大切な時期に、神様のお手伝いをする余裕なんて有るわけが無い。そもそも、この人が言っている事も、神様だって事も、確証は無いだろうに。

 俺は一人でそう自問自答して、手を差し出したままのせり姫様の顔を見上げた。


 そして、絶句した。


 知っている。


 この神様のこの表情を、俺は知っている。

 そんな顔は見たくないと、強く思ったばかりだった。


 とても優しくて、だけどとても悲しそうな表情。


 この神様はきっと、誰にも信仰してもらえなくても、独りで戦いに挑むのだろう。


 誰の為に?


 そりゃ、俺達の為にだ。


 「……はい」


 言葉にしなくても伝わるように。


 ありったけの優しさを両手に込めて、俺は、せり姫様の右手を握った。

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