第4話「やめとけやめとけ」
学校が終わり、一人で今朝羽沢に言われたことや、昼の堀宮との会話を思い返しながら電車に揺られていると、あっという間に家に着いた。
まだ親父もオカンも仕事中で、この時間は大抵家にいない。
優太は小学校のサッカークラブの練習があるし、千奈美はきっと、また部屋に篭っている。
玄関を通り抜けて、リビングのドアを開く。
「おお、良一。煎餅食うか?」
だからこの時間に俺を出迎えるのは、じいちゃんだけだった。
毎日見るじいちゃんの飄々とした顔。
その顔を見ていると、俺はじいちゃんがあと半年近くで死ぬことをよく忘れる。
いや、忘れるわけじゃない、単純に、実感が沸かないだけだった。というか、そもそもあの7月の自殺宣言についてあれ以来誰も話題に出さないから、もしかしたらじいちゃん本人も忘れているかもしれないし、覚えていたとしても、気が変わってやめたとか、やっぱり延長するとか、そんなオチになるんじゃないかという、楽観的な考えがどうしても頭を過ぎる。
「どうした?煎餅って知らんか?あのな、煎餅っちゅうのは古代エジプトの王センベティガネフが遠征で捉えた虎の胆嚢を干した薬が起源と言われる歴史の深い伝統料理で、現代ではカジカの白子を原材料として…」
「待て待て待て、煎餅にそんな歴史があってたまるか。誰だよセンベティガネフって。煎餅はいらないけれども、…あれ、俺のポテトチップスどこいった?」
俺はじいちゃんのいつもの冗談を軽く流して、棚の上に置いておいたハズのお菓子を探した。
「ああ、多分、千奈美じゃねーか。さっき帰ってきて、ごっそり食料抱えてすぐ部屋に入っていったぞ。はっはっは、また逃げられちまったわ」
「………じいちゃんさ」
俺はポテチを探す手を止め、振り返ってじいちゃんを見る。
「ちなに何かしたの?わかってるんだろ、避けられてること。なんで?」
飄々とした態度に少し呆れて、俺はそう聞いた。
「んぁ?ああ…。さあなぁ、ジジイになっても女心は分かんねぇよな」
じいちゃんは少しキョトンとした顔をして、しかしすぐにいつもの飄々とした笑顔に戻った。
「…アレなんじゃないの」
今朝羽沢に言われた罵詈雑言への不満も重なって、家族の誰もがここ数ヶ月踏み込まなかった話題に、俺は今日、踏み込むことにした。
「アレなんじゃないの。7月の、死ぬとか死なないとか」
「はっはっは、だとしたらむしろ限られた時間、もっと仲良くしたいもんだけどなぁ」
じいちゃんは、俺の小さな決意も他所に、あっけらかんとそう言った。
自殺宣言を忘れていたわけでも、やめることにしたわけでもないようだった。
「そうみんな真面目に捉えんでも、ただジジイが終活を始めたってだけよ。特に良一、お前は人の気持ちに鈍いクセに一丁前に気を遣うな。そう深刻に考えんでもいいって」
「いや、俺は別になんも考えては…」
「バレバレだっちゅうの。このあとポテチの奪還を口実に千奈美と話をしたところで、どうせ怒らせて終わりだから。やめとけやめとけ」
じいちゃんは何もかも見透かしたような言い方で、また笑った。
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