第2話「ライオン」

 「だからよぉ。お前はなんでも気にしすぎなんだよ。肝が小せぇっつうか。そんなもんどこの妹もそうだって、このシスコン兄貴」


 高校に通う電車の中で随分と汚い言葉を投げかけられた。友人の羽沢はざわ光大こうだいである。彼に今朝の話をすると、彼は落ち着いた低い声で、眼を伏せながらそんな風に俺に言った。なんだか割に合わないと思えるくらい、酷い言われようだった。


 今朝も千奈美は朝食を食べなかった。


 育ち盛りの小学三年生女子が朝食を抜くという事が、俺にはなんだか途轍もなく不健康で、今後の人生に多大な影響を及ぼすのではないかとまで思われるのだけれども、羽沢からすれば、ただの杞憂であるらしい。


 7月の自殺宣言以来、千奈美は露骨にじいちゃんを避ける。絶対に会おうとしない。何をそんなに怒っているのか、俺にはさっぱりわからなかった。優太とも何度か千奈美の事で話をしたが、あいつも何も聞いていないようだった。オヤジと真面目な話をするのはなんだか嫌だし、母さんに聞く事は、なんだろう、少し躊躇われた。そうする事で、あの二人の細く繋がりを保っている関係が、千切れてしまうような、そんな気がしていた。


 「朝飯食わねぇ女なんて山ほどいるだろ。お前のとこの妹もなんか、そういう、ダイエットとかじゃねぇの。少しマセ始めたんだろ。いいじゃねぇか、いい女になるかもよ。まあ、女のそういう感覚は俺にはクソもわかんねぇけどな」

 羽沢は基本的に口が悪い。いつも眼を伏せたまま、低いテンションで話す。ボサボサの長い髪にワックスをつけて更にボッサボサにしていて、なんだかやる気のない、まるで吠えずにため息ばかり吐いているライオンみたいな奴だ。

 「そうは言ってもまだ小学校三年生だぞ。流石に半年もすれば元通りになるかと思ったんだけどなぁ、なかなかそうはいかないみたいで。っていうか、元々はあんな風に露骨に態度に出すような奴じゃなかったんだ。本当になんでこんなに引きずるのか、わっかんねぇんだよな」


 俺の杞憂に、羽沢は「知らねぇよ」としか言わなかった。



 学校ではいつもどおりのカリキュラムが進行する。来週、古典の小テストがあるらしく、先生がやたらと漢文のプリントを持ってくる以外、午前の授業にはこれといって大きなハイライトはなかった。午前中の授業が終わり、俺は羽沢と一緒に第三講習室へと向かった。

 この教室は大抵俺たちの貸切で、昼飯はいつもここで食っている。


 二人揃って欠伸をしながら窓辺の椅子に腰掛けると、珍しく知った顔がドアを開けてこちらを覗いてきた。

 「希崎きざきくん、ちょっといいかな」

 短めの髪を更に二つに縛って小さなおさげにしている女の子。クラスの友人、堀宮晴だった。

 「ん、堀宮じゃん。なした」

 「なんだ、席外そうか」

 口は悪いが気の利く男、羽沢の言葉に、彼女は「う、ううん、大丈夫。ちょっとだけ希崎くん借りるね」と言って、俺に廊下に出るよう、そっと促した。


 「はいはい、なんでしょうか」

 俺が講義室のドアを後ろ手に閉めて彼女に声をかけると、彼女はなんだか少しおろおろしながら俺を見ていた。

 「どうした」

 「あ、いや、ごめん。羽沢くん、怒ってないかなって…」

 「ああ、あいつはいつもああだから大丈夫。なんというか、ライオンさんだから。うん。大丈夫」

 「ライオンさん…なんの話、かな」

 「いや、何でもないわ…」

 急にライオンさんなんて言われてもわかるわけがない。模範的な戸惑いの返事を貰ってしまった。


 「あの、それならいいんだけど。希崎くん、お昼ご飯食べ終わった後って、時間あるかな。私、次の授業生物で、解剖するからその準備手伝ってって先生に言われてるんだけどね…」

 「なんだそれ。女子にカエルとか触らせる気なんだ、あの先生。それで、変わってくれって話か。いいよ」

 俺が話を先読みして彼女に提案すると、彼女は、「いや、そうじゃ、なくて」と続けた。

 「そうじゃ、なくて。カエルとか触るのは別に大丈夫なんだけど、私ちょっと星野ほしの先生苦手で。もしよかったら、一緒に、いてくれないかな、って」

 「ああ、そんなもんか。いいよ」

 特に羽沢と何かする予定が有るわけでもないので、あいつに確認することでもない。俺は二つ返事で請け負った。


 「あ、ありがとう!そしたら、一時くらいに科学実験室で、待ってるから」

 「ん、了解」

 「あ、あと、希崎くんってさ…。今度一緒にお昼ご飯食べよう、って言ったら、困るかな」

 「え、なんで。困りはしないし、いいよ。ただ、もれなく羽沢も一緒だけど、それは平気か」

 「いやぁ…それ…は…。んん!頑張るよ!」

 妙に意気込んだ彼女に、俺は少し吹き出してしまった。


 彼女は相当腹が立ったのか、少し頬が赤くなっていた。

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