第1話「空席」
我が家の朝食はいつも騒がしい。
オカンがひとりで用意する家族全員の食事は全部で六人分。大きな食卓テーブルには各々定位置があり、一番入口近くが親父、その隣が妹の
「
その食卓テーブルの親父の隣、千奈美の席が未だ空席なことを見かねた親父から俺に指示が出る。
「嫌だよ、また俺が怒られるだろ、親父が行ってくれよ」
「バカ言え、朝一で娘からブーイングをくらったら父さんの仕事のモチベーションが下がる。父さんの仕事のモチベーションが下がると即ち、お前らはどうなると思う」
「…親父の収入が減るだけだろ」
「はは、惜しいな。正解は〝父さんの収入が減ってお前らの小遣いが減る〟だ」
「〝お父さんの収入が減ってお父さんのお小遣いが減る〟じゃないのかしら」
「ちょ、ちょっと待てそれは話が違う」
「兄ちゃん早くちな起こしに行けよ」
「あぁー…なあ、優太行ってくれよ。どうせ一緒に登校するんだし」
「嫌だよ、俺も最近ちなに嫌がられ始めてるんだ。学校一緒に行くのもそろそろ卒業じゃないかな」
「おい、家族仲良くせぇ。良一、ほれ、お前行ってこい」
ニヤケ顔のじいちゃんのその鶴の一声で、朝から死地へ赴く羽目になった。
「最悪だ…」
思わず声が出た。
妹の千奈美は9歳の小学三年生。弟の優太は11歳の小学五年生。俺は優太の5つ上、16歳の高校一年生。
最近、千奈美は反抗的な態度が目立つ。俺も優太も反抗期みたいなものは無かったし、きっとこれからもないだろうから、正直対応に困る。そのくせオカンには偶に心を開いてかなんなのか、一緒にどこかに出かけることもある。俺や優太は男だという建前もあり、母親と一緒に出かけるのは少し気恥ずかしい。そういうことを気にしなくなることが“大人になる”ということなのだろうか。“大人っぽいね”とは、クラスメイトの
大人の定義なんぞよくわからない。
千奈美の部屋をノックする。すると中から「うぅ~ん…」という呻き声のような、寝ぼけ声のような物が聞こえた。どうやら直談判しなければならないらしい。ドアを開けてベッドに向かう。全体的にピンクの多い千奈美の部屋はカーテンが閉まっており、その薄暗さの中に沈むピンクの色合いが、朝の陰鬱さを余計に演出しているようにも見えた。
「おい、ちな。起きろ。みんな飯食ってるぞ」
「ん~なに。みんなと一緒に食べなきゃダメ?」
「ああ、そうだ。朝飯はみんなで食うもんだ」
「…じじもいる?」
「…………」
…あーぁ、やっぱりこれか。
あれもこれも全部、じいちゃんのせいだ。
去年の3月にばあちゃんが死んだ。
享年66歳。今の時代の平均寿命を鑑みると随分短い生涯だったと思う。
ばあちゃんとの死別は兆候や前触れもなく、突然にやってきた。
よくわからないけれど、脳の病気が原因だったらしい。
穏やかで優しいばあちゃんで、それまで俺たちのご飯もオカンとばあちゃんが二人で作っていたし、飄々としたじいちゃんとは本当に仲良しで、夜遅くまで喋って二人で笑っている姿も、よく見ていた。
千奈美はとても悲しんでいた。優太も泣いていたし、俺も少し泣いた。親父もオカンも。親戚の
ただ、じいちゃんだけは、いつもどおり飄々としていた。
一部の遠戚から「奥さんを愛していたのか」「強がっているつもりか」などと好き勝手言われていた。しかし、ばあちゃんの葬式が終わってみんなが帰ったあと、動かなくなったばあちゃんの身体に、じいちゃんが静かに声をかけていたのを、俺は隅でひっそりと聞いていた。
「
その言葉は、まだ俺達には伝えられていないけれど、きっとそれはあのじいちゃんのことだから、照れくさいとかそんな理由だろう。
そして今年の7月に、じいちゃんの肝臓にガンが見つかった。
小まめな検診のおかけで早期の発見に間に合い、手術でガン細胞は完全に摘出されたものの、72歳のじいちゃんもじいちゃんなりに、自分がいつか死ぬことを自覚したのか、とんでもないことを言い出した。
「じいちゃんな、あと一年で死ぬことにした。きっかし一年だ。来年の7月27日。みんな、準備頼むで」
家族全員で激怒して問いただしたけれど、結局じいちゃんは飄々とするばかりで真意を語らず、はぐらかされてしまった。
俺が聞いたばあちゃんへの餞の言葉と何か関係があるのか、その辺は本人に聞かなければわからないし、どうせ聞いたところでとぼけられて終わりだろう。
じいちゃんの自殺宣言からもう半年近く経って今の季節は冬。
家族全員、頭の隅にそのことを押し込んで考えないようにしている。
まだ、じいちゃんは死なない。今はただ、日常を過ごすだけ。
しかし、千奈美の機嫌は、ずっと悪いままだった。
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