第10話 美少女な涙に凍りつく

 「18歳になるまでの記憶があるんだったら、去年の入試も楽勝だったわけね」

 「はい。実は前世では中学入試は受けていなかったのですが、半月くらいの準備期間でなんとかなりました」

 私は、OBとして

(御三家なめんなや、私なんか受かっとるかほんまに自信なかったんやからな。)

 と心の中では腐立医大時代のエセ関西弁となりつつも、専門医としての口調で問いを続ける。


 「なるほど、すごいわね。もしかすると、今の高校の範囲のことも覚えているのね?」

 「はい、ある程度は」


 「得意教科は何だったの?」

 「化学ばけがくです」


 「そう、例えば、酢酸とエタノールからエステルができる時の反応式は今でも書けるの?」


 《ばけがく》と聞いて、私は化物ばけものの学の方を少し思いおこしつつ、コウに聞いた。


 コウは机の上のメモ帳を開くと、酢酸とエタノールが脱水縮合して酢酸エチルになる時の反応式をさらさらと書いた。


 「これで良かったですよね?」


 (やばい。中1じゃ絶対にやってない反応式やつを知っている。)

  少しゾクリとする。


 「さすがね。本当に記憶が残っているように先生も思うわ。18歳、高校3年生だったということは、前世では大学への進学が決まっていたのかな?」


 「はい、推薦でポン女の数学科に行く予定でした」

 「数学科?」

 「はい。ポン女の近くで、おしたいしていた先輩がゲーム会社のグラフィック描画のインターンをしていましたので、少しお手伝いができればな、と」

 といいコウは顔を伏せた。(《おしたいしていた》なんて、おませなお嬢様言葉を口にしてポッと顔を赤らめてうつむく、なんてきょうび美少女ゲームくらいしかねぇよ。)、と心の中で、私は下卑げびたエロゲーオタクのような口調でつぶやきつつも、次の質問を出そうとした。


 その刹那、顔を上げたコウの表情に、私は凍りついた。

 美少女100%の表情のまま、コウは無言で涙を流していた。

 

(やべー、やべーよ。これ、乙女ゲームだったら、

 私、絶対、萌えちゃうよ、これ。)

 一瞬で、今日のコウに萌えてしまった私は、逆転移を戒める精神科の専門医失格ものである。

 

 コウは涙を流しながら、

「私は、このことを思い出す時は、涙が止まらなくなるのです」

 と、言った。


 入院初日に、精神科医が患者から強い感情を導いてしまうのは禁忌事項きんきじこうにあたる。


 ハッと、我に返った私は、そこからは、コウの涙が止まるのを待ち、朕についての記憶を差し支えのない範囲で聞くと、今日は夕方に臨床心理士の先生からの面談もあるからよろしくねと伝え、面談を終えた。


 チームには、特殊な症例と考えられることと、コウが持つという前世の記憶に踏み込む質問は避けるように、と伝達しておこう。

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