6-ECSTACY
1
だけど結局朝は来るから、覚えていない夢はきっと悪夢で答えを齎してなどくれていない。
そんな朝を三度繰り返し五月三十一日。
若葉の運転する黒のクラウンの後部座席で少し――少しだけ、荒い運転に酔いを堪えつつペレストロイカまで向かった。
「イツキ様。あの琴乃という女性とはどういったご関係で?」
車内で、若葉に訊かれた。
しかし上手く関係性を説明できずにイツキは、
「……なんでもない」
そんな風に言って、自分の不合理を内心自嘲していた。
ペレストロイカに到着し、地上バーで少し時間を潰し。
イツキはゲームが始まる15分前に地下への階段を降りた。
午後三時四十五分。
掛け金は一億だが、イツキは金を持ってこなかった。あれは琴乃に渡したつもりのお金で、もう自分のものじゃない。
もし賭け金が足りないことを指摘されれば「臓器を賭ける」とでも言うつもりでいる。
眼球一つ5000万円なら、肝臓でも最低数十万円にはなるだろうとイツキは思っていたし、ペレストロイカ側だって“そういう取り立て”くらい想定しているだろう。
この身体を麻酔なしで切り刻んで、苦しむ姿を動画に撮って顧客に売ってくれればそれでいい。
四時五十分を少し過ぎた時刻になって、三菅がペレストロイカ内に入室した。
観客席にいる十数名のバタフライマスクを見て少し驚いたようだが、すぐにそういうものだと割り切った様子だった。
その後すぐにモデレーターも入室し、勝手が分かっていない三菅に一言二言説明を与えた。
「よーし、お前、先攻・後攻を選べ」
三菅はすぐにその気になって、上機嫌で仕切り屋を気取った。
今に至っても三菅には緊張感が見られない。
(……本当に気付いていないのだろうか)
イツキは思う。
運営部は気付いている。
観客達も、きっと気付いているから来ている。
だからそれが意味するのは、つまり――の、先まではイツキは考えないでいた。心にそこまでの余裕がない、気がした。
若葉も、きっと気付いている。
「ルールだと、先攻・後攻はなかった筈だが」
「は! そういやそうだったな。だったら」
三菅がコインを取り出した。親指に乗せて、いつでも弾けるようにしている。
「とっとと表か裏か決めな!」
コインは悪魔の絵柄、つまり“裏”が見えていた。だから、
「裏」
イツキは迷わずそう言った。
「くく、裏か……裏か! 馬鹿め!」
突然、三菅は嬉しそうに笑い出した。
「はははははははは! てめぇもう死んだぜ! くははははははは!」
妙にテンションを上げ、楽しそうに、まるで勝利を確信したかのように笑っていた。
「……楽しそうだな」
「楽しいさ! てめぇの負けが確定したからな!」
そう言って三菅は、ポケットからコインをもう一枚取り出した。
両手に一枚ずつ持って腕を広げた。新しく取り出したコインは天使の絵柄、つまり“表”が見えていた。
右手には悪魔のコイン、左手には天使のコイン。
全能の神にでもなったかのように。
「使うコインが一枚とは書いてなかっただろう!? 二枚用意したって問題はねぇ! そういうルールだ! 運営部も気付かなかったみたいだな! ……くく、悔しいか!? 今謝りゃー許してやるぜ?」
イツキは、軽く息を吐いた。
運営部は気付いている。気付いていて、敢えて何も言わずにいる。
ペレストロイカ同志規約2-③
・ゲーム内容は、双方に均等に勝利の可能性があると運営部が判断するものでなければならない。
この規約に、抵触していないと運営は判断している。
「……許すって、何を?」
「てめぇだけは生かしてやるって事だよ! ガキどもを差し出して! 負け金も払えばな!」
「いや、いいよ」
「そうかぁ? なら始めるぜ、ナマスに刻まれちまいなッ!」
「その前に」
「あ?」
イツキは三菅の動きを手で制し、
「まだゲームは始まっていない」
モデレーターに視線を遣った。
モデレーターはそれに気付いて、思い出したかのように
「それでは、ゲームを開始します」
開始宣言を上げた。
事務的な流れ。誰と何をしても、この地下ではこれがルーチンになる。これをしなければ“ゲームは開始しない”。
同時に場内の電気が消え、テーブルの上のスポットライトだけが明かりとなった。
イツキがバーのマエストロとやらに聞いた話によると、このスポットライトは主電源の他に予備バッテリーにも繋がっているらしく、つまりこのペレストロイカ施設や、あるいはこの地域一帯を停電に陥れたところで明かりはすぐには消えない。
(あのマエストロはこちらが訊けば、質問に答えてはくれる……訊かない方が損なのかもしれない)
リッターやマエストロは、同志をサポートするよう設定されているのだろう。その方が円滑に運営出来る。
マエストロは、
「予備バッテリーは、まぁ二十四時間は持つ。ゲーム中は安泰だ」
そうも言っていた。
明かりを消すにはその予備バッテリーも尽きさせるか、あるいは物理的に破壊するしかない。
予備バッテリーの位置や形状は不明であるし、スポットライト自体天井の高い位置にあり、さらにガラス(おそらくは強化ガラス)に覆われている。
(停電は実質的に不可能――と、誰もが思うからこそ効果的……まだ方法は思いつかないが、いつかは実現したい…………が、今日はその時じゃない)
そんな事を思案していた。
それくらい、この三菅とのゲームが退屈だった。
「は! 下らねぇムード作りが必要だったってか。まぁいい、それじゃやるぜ!」
三菅は左手のコインを弾いた。
コインは回転しながら充分な高さにまで上がり、重力に従い落下した。
三菅もイツキも触れる事のなかったコインはやがてそのままテーブルに落ち、軽い音とともに何度か跳ねて、止まった。
天使の絵柄。“表”が出ている。
「くはははははは表だな! お前の負けだガキ! 俺の策にまんまと嵌りやがったな、見ろッ!」
三菅は勝ち誇った顔で落ちたコインを拾い、イツキに見せた。
そのコインは、両面とも天使の絵柄になっていた。
「“両表”のコインだ! くく、気付かなかったよなぁ!? お前は始まる前から負けてたってこった! 悪いが金はもらっていくぜ、なぁモデレーター!!」
「いや……」
イツキは再びモデレーターを見た。
動きはない。勝ち名乗りを上げようとしない。つまりゲームは終わっていない。
「俺はまだ、表も裏も選んでいない……」
ゲームの開始は“四時”であり、モデレーターの開始宣言後である。
「あぁ!?」
「俺が“裏”を宣言したのは、ゲームの開始前……だからそれは無効で、今はまだゲーム中だ。本当なら……」
イツキが、コインを持つ三菅の手を指した。
「あんたはゲーム終了前に“トス後”のコインに触れている。それは少し危険な行為だ……だけど俺はそれを指摘しない。“勝利”してしまう」
かつて蓮谷に、わざと負けるようにイツキは言われた。
そんな約束はどうでもいいが、今、勝利するわけにはいかない。
「……何言ってやがる?」
「今現在この瞬間は、“トス後”であり“トス前”でもある。いや、ただそれだけだ……俺が“表裏の宣言”をして、あんたがコインをトスすればそれでいいだけだ」
「だから何だってんだよ……! 小煩ぇ事をネチネチとよぉッ!」
三菅は苛立ちを隠さないまま、もう一度両手にコインを持った。
「それで何か変わるってのかよ! だったらもう一度! とっとと表裏を選びやがれ!」
「……」
「は! もうわかってるみてーだしバラすけどな! コインはどっちも“イカサマコイン”だよ! 両表のコインと! 両裏のコイン! お前に勝ち目はねぇんだ!!」
「……そうか。もう、説明するのも疲れた」
「あぁ!?」
イツキは、それから長い沈黙に入った。
いまだ三菅は勝利を確信している。一億を得て、地下から出られると思っている。
イツキは既に勘付いていた。あの時、、
――よろしいのですか? もしこのゲームにイツキ様が“勝利”するとして……
若葉が、何を言おうとしていたのか。
長い沈黙が続き。
三菅が状況の異常さに気付いたのは、それから六時間後の事だった。
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