4-LUCKY STRIKE

1

 上原は知っている。

 大金の為なら、人はあらゆる努力を惜しまない。

 上原自身もそうだった。

 簡単な事だった。


 “同一条件下で”

 “同一の動きをすれば”

 “同一の結果が得られる”


 この“地下”は最適だった。環境の一定が徹底されている。

 音頭も、湿度も、気圧も空気の流れも、一年中24時間徹底して同じに保たれている。

 スプリンクラーすらない。


 その上で、血の滲むような反復練習を繰り返した。

 結果上原が辿り着いた答えは――


(不可能さ。人間には。君は正しいよ)


 人間に絶対はなく、生物である限り“100%”の精度を保てない。


(たとえ……そうたとえ、指を切り落として機械の“義指”にしたとしても。人間であるなら、どこかで狂うだろうねー……そこまでする人間がいるのなら、だけど……)






 投げ入れられたボールは、イツキが思っていたより速かった。

 イツキは200万のチップ5枚を“ルージュ”に置いた。配当は二倍。

 レイアウト上、それはイツキの体から最も近いベット位置でもある。


「普通だね―。ルーレットが初めての客は、みんなそこに賭けるよ」


 上原が言う。挑発ではなく本心だろう。イツキは受け流したが、上原の視線に気付き睨むように視線を返した。

 頭では、秒数を数えている。


(16、17、18……)


 18秒でイツキは視線をホイールに戻した。と同時に、上原はベルに触れた。


「ノー、モア、ベッツ……」


 言いながら、ベルを鳴らした。

 ルーレットの縁を回るボールが、落下を始める直前だった。


(“ノアールの35”には、落ちない……)


 イツキは思った。ボールが落下を始めた位置は、確かに“ノアールの35”の真上。だがボールもホイールもまだ慣性が乗っている。真下には落ちない。


(例えばもし、狙った穴にボールを投げ入れられるディーラーがいるとしたら……客と結託して、カジノを潰せさえもする)


 カジノ側がそれを許す筈もない。だから上原の言葉はハッタリだとイツキは考える。

 しかし、ボールとホイールの慣性は、思ったよりも強い。

 ボールは落ちたあとニ度、三度跳ね、結局は更に一周近く回っている。少しずつまた、“ノアールの35”が近づいていた。


(落ちる……“ルージュの18”……)


 それは、“ノアールの35”の5つ手前の数字。ボールとホイールの慣性の終点がそこで一致する――少なくとも、イツキにはそう見えた。


「見ての通りだよ、少年」


 不意に上原が口を開いた。ルーレットから、目を逸らさないまま。


「人間に――いや生物に。100%の精度は、有り得ない」


 イツキの“予測”通りボールは“ルージュの18”に落ち――しかしまだ僅か残る慣性は、数字の仕切板とボールを接触させまた一度跳ねさせ、そして――


「“ノアールの”――」


 35――を、更に超え、その2つ先。


「“26”。外れだねー、少年」


 上原はもう一度ベルを鳴らし、出目は確定した。


(さて……)


 イツキは考える。


(……どう、評価する? 今のゲームを……上原はどうして)


 “35”と“26”は、二つ隣。確かに近いが、しかし結局上原の宣言通りの場所ではない。

 上原がチップを回収していく。それは儀式的な行為でこの手を止めたとしても、イツキが1000万失った事に変わりはない。

 それよりも。


(どうして、ベルを“二度”鳴らした?)


 20秒のベット時間と、ベット終了からの二度のベル。イツキの記憶に、無意味かもしれないそのファクターは刻まれた。


 思考を続ける間もなく第二戦が始まる。上原は既に準備を終えていた。

 ホイールを回し、また同じように回転を注視し、


「……“ルージュの3”」


 呟いて、ボールを投げ入れた。


 投げ入れて直後、上原は肩の力を抜き軽く息を吐いた。緊張感から解放されたかのように。

 まるで野生の肉食獣が獲物を捕らえた後のように。

 狙撃手がターゲットを撃ち抜いた、その直後のように。


「さー少年。賭けるといい。見学は許してないよ」


「……場代はなし、とルールには書いてあった」


「ミニマムベットは200万。賭けないなら席を外さないとねー。ランドカジノは空回し(席につきながらベットしない事)は通常許されないよ。この地下もそうだね」


「……」


 ミニマムベットはそういう意味だったのか、とイツキは思った。借りて読んだルーレットの本にはその辺りは書いていなかった。


「試してみるかい? モデレーターが……」


 上原が、ベルに手を置いた。


「どう判断するか……」

 

 試すというのなら、イツキは別の“ルール”を試したかった。




 同志規約2-⑤

・ゲームは24時間以内に終了し、ペレストロイカ内での実施が可能なものでなければならない。




 賭けずに空回しを続けて24時間経過すれば、上原のルールは規約違反となるのではないか。

 なれば“革命者”側は、ゲームを引き伸ばすだけで勝利出来る。

 それから、




 同志規約7-①

・規約違反が発覚した場合、違反者はその場で速やかに粛清される。




 “粛清”、それが何を意味するのか。

 同志からの追放とでもいうのであれば、いつかこの“ペレストロイカ”から抜け出す時に利用しようかと考えていた。




 今はこのゲームに真正面から向かわなければならない。

 イツキは結局、“ノアール”に賭けた。同じように1000万。


(16……)


 16秒までイツキは頭で数えて、ボールの位置を見た。概ね“ルージュの3”に近づこうかという位置。

 だからイツキは200万のチップを一枚ずつ、“ルージュの3”から先の五箇所に置いた。


 “ノアールの26”、“0”、“ルージュの32”、“ノアールの15”、“ルージュの19”


(18秒……)


「ノー・モア・ベッツ」


 上原が、ベルを鳴らした。

 それからボールが落下を始めたが、それは“ルージュの3”の真上だった。


 ボールはニ度、三度ホイールで跳ねた。上原はいつでもベルを鳴らせるように手を置いている。


(上原は、もう一度ベルを……)


 鳴らす瞬間がある。それは出目の確定の瞬間でもある。但しルール上意味は持たない。


(いつ――)


 “眼”で見える物は記憶している。十分な程に。

 だからイツキは今、耳に意識を集中させていた。


 ボールはやはり“ルージュの3”を超え、しかしイツキの賭けた“ルージュの19”も超え更にその二つ先、“ルージュの21”に収まった。

 上原はベルを鳴らし、

 

「君の負けだねー」


 チップを回収した。2000万円分。

 5000万円の勝負で、イツキは既に3000万円を失った。


――しかし、不自然なのは。


「さて、次はー」


「“ノアールの13”」


 上原の言葉を遮って、不意にイツキが言った。


「……なんだって?」


「“ノアールの13”に、次は入れてくれないか」


 唐突な注文。

 上原は、イツキの意図を測りかねた。


「狙えるなんて、信じてないんじゃなかったかな?」


「……あぁ。あんたは“次も外す”」


 イツキに残る違和感は、音。

 雑音。


(微かな、雑音……それと)




“ルーレット盤の回転に影響を与える行為の一切を禁止する”




 ルールにある、この一文。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る