5

 ――上原は七分遅れて地下へ現れた。

 モデレーターは、特にそれを咎めたりはしない。


(この少年は――)


 先に席についていたイツキを見て、


(何の為に眼帯をしている?)


 上原は、まずそれを警戒した。

 怪我に見せかけイカサマを仕込むのは、古典的な手法。カジノで働いていた頃、稀に見た。


 同志の情報は、リスト以上には知る事が出来ない。上原がイツキについて知っているのは、姓名、年齢、職業、同志ナンバー、それから“0勝1敗”の戦績。

 調べようとも思わなかった。上原はそれ程に気力のある男ではないし、


(いや、客の事情など知らないのが普通か……)


 まだ何処か、カジノディーラーとしての矜持が無意識下に残っていた。


 イツキは両手をブレザー学生服のズボンのポケットに入れ、気怠そうに座っている。

 ボンボンのお坊ちゃんには見えなかった。学生服からは生乾きの臭い。雨に濡れてそのままなのだろう。


 上原はワイシャツに黒ベスト、蝶ネクタイ。小さな縁起を担いで昔のディーラー服だが、髪はぱさついたまま。ドレスコードは彼の自己満足。

 持参したルーレット盤をテーブルに置き、レイアウトマット(チップを置く、数字の書かれたマット)をテーブルに広げた。


 回転盤は右側、その横には卓上ベルを置いている。それから一枚200万のチップを50枚用意して、


「先攻、後攻を選んでくれー」


 何処か緊張感無く、そう言った。

 “革命者”がそれを選べば、ゲームは始められる。


 とはいえイツキは悩んでいた。

 今回のゲームでは先攻・後攻の概念が変則的になっている。


 ・ベット時間は、プレイヤー先手の場合ディーラーがベット開始を宣言してから60秒以内

  プレイヤー後手の場合ディーラーがボールを投げ入れてから20秒以内


 ルール書面にはそう書いてあった。


 “ディーラーがボールを投げ入れる前に賭けるか、投げ入れてから賭けるか”だが、


(20秒……)


 時間が、イツキにとって何処か不自然に感じられた。


(ホイールに投げ入れられたボールは、20秒間も回り続けるものなのだろうか?)


 道具は全て上原が用意した。写真と相違は無いが、眼で見て分かるものばかりでもない。


(その“20秒”で、俺の眼が――)


 遠近感を失った隻眼が。


(精密に、全てを見定められるのなら)


「少年?」


「後攻」


「……だろうねー」


 ――臆病だな。


 上原はそう思った。

 このルーレットというゲームにおいて、先攻――即ち“ボールが投げ入れられる前にチップを置く”優位性はほぼない。

 それなのに決断が遅れるというのは、


(慎重ではなく、臆病なんだろうなー)


 そんな印象を受けた。


 それからイツキは取り敢えず、置かれたホイールやらマットやらを一通り検めて――とは言っても、見ただけで何も分からなかったが――200万のチップを25枚手元に置き、準備は整った。


「それでは、ゲームを開始します」


 モデレーターの宣言。

 観客席には、数人が退屈そうに座っているだけだった。


 場は弛緩している。


「ゲームだよ、ゲーム。楽しもうなー? さぁ、ベット開始」


 そう言ってすぐ上原はホイールを回した。何の緊張感も無く始まったゲーム。ホイールは実にスムーズに、よく回る。

 そして、ボールをルーレットの縁に置く。


「……」


 異変は、そこにあった。

 上原はボールをなかなか投げ入れない。ホイールを注視している。目線を固定し、緩かった言行が嘘のように真剣な目付き。

 そして。


「なぁ、少年」


「……?」


「“ノアールの35に入れる”。そう言ったら、君は信じるかい?」


 上原の言葉は、まだ何処か道化じみている。


「……信じない」


 ――敵を利する行為などするものか。


 狙った穴にボールを入れる。それが出来るのなら。


(“ランダム”の筈のルーレットの目が、作為的に選ばれるのなら。それはディーラーの心理を読むゲームになる……それは僅かにディーラー有利に作られているカジノゲームを、五分のゲームにしてしまう)


 しかし、だからこそそれが“双方に均等に勝利の可能性”だと言うのなら――


「私も、信じていなかったさ」


 上原が、ボールを投げ入れた。

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