4
孤児院のロビーのソファーに座り、イツキは本を読んでいた。
「右眼、傷まない?」
声をかけられた。
聞き慣れた声。琴乃の声だとすぐにわかるから、イツキは顔を上げようとしない。
「あんまり……痛みはないよ」
「嘘」
言われて、イツキはようやく琴乃を見上げた。
「眼帯、血が滲んでる」
イツキは右眼に、医療用の簡易な眼帯をしている。闇医者が言うにはこれ以上の処置は不要で、そして不可能だという。失われた眼球はどうやっても戻らない。
しかし。
「……気付かなかった。取り替える」
傷口は塞いである、筈。眼窩から出血は起こり得ない。
「傷まないの、って訊いてるんだけど」
言いながら琴乃は、持っていた救急箱をソファーに置き、新しい眼帯を取り出している。取り替えてくれるのだろう。
しかしそれは、イツキにとって少し煩わしい。断る理由を探さなければならない。
なぜなら相手は同年代の少女で、それも琴乃で、処置してもらうのはなにか“子供的”で、弱いところを見せるような気分になる。
特に琴乃相手には強がっていたい精神がイツキにはあり、頼られたいが頼りたくない。つまり意味もなく気恥ずかしい。
だから、
「痛くない」
と、拒むように答えた。
イツキは救急箱から自分で眼帯をとって、琴乃に右眼を見せないよう背を向けて急いで取り替えた。
「よし」、と小声で呟き安堵してまた見上げると、琴乃はイツキの本を読んでいた。
「イツキ、あんたカジノでも行くの?」
本の表紙には“ルーレット入門”、とある。古びた薄い本だった。
琴乃はパラパラと中身を見てみるが、興味はないのか熱心に読み込もうとはしない。
「いや……そういうわけじゃない、けど……」
ルーレットのルールくらい、イツキは知っている。図書館からこの本を借りてきたのは、一応の確認くらいのつもりだった。
「こういうのに興味あるんだ」
「……少しだけ」
「わざわざ図書館まで行って。学校は休んでるのに」
「……」
「借金、さ……」
琴乃の声が、少し弱くなった。
「ギャンブルで少し当てたくらいで返せる額じゃないって、私だって知ってるよ」
「……違、そういうつもりじゃ……」
イツキは言い繕おうとしたが、そうすると琴乃の顔がうまく見られない。彼女に対して、嘘を吐くのが好きではない。
琴乃は本をイツキに返し、ソファーに座った。
「責任感じてるんなら、そんな必要はないと思う」
「……責任じゃない、ただ、一応俺は今この施設の運営者だから……」
「あんたが全部一人で背負わなくてもさ。私だって、あと一年もすれば18歳になるんだから、そしたら、体でも使ってさ……」
「いや……!」
強く否定したイツキに、琴乃は言葉を止めた。
「大丈夫。お金の事なら、なんとかなるから」
その言葉は、真っ直ぐ琴乃を見据えて言えた。
二日後、五月二十三日。
午後九時半。
イツキは、ペレストロイカ入り口のバーへ行った。
前のゲームが長引いているという。
バーの隅の席に座った。一応、バーの体裁の為かメニューもあったが何も頼まずに待った。
上原は当初、午後二時を希望していたらしいが、珍しく予定が他のゲームと被ったという。よってゲーム開始は午後十時になった。バーのマスターはそう言っていた。
少し、眠かった。
アンティーク調の振り子時計の、内部の歯車の擦れ合う音を聞きながら、イツキは古い思い出に浸っていた。五月の連休に、施設の孤児達を連れてピクニックなどした記憶。あの頃は施設に、まだ何人かの職員もいた。
はしゃいで転んで怪我した子供がいれば、職員達よりも率先して琴乃が治療した。
その時の彼女の指先の形まで、今でも鮮明に思い出せていた。
やがて地下から、ゲームを終えた男が一人上がってきて、イツキに気付かずバーを出ていった。
入れ替わりにイツキは地下に降りた。
拷問室に入ると、手術台の上に人間の残骸が一つ乗っていた。
胴体から四肢は分かたれ、開かれた胸部と腹部から内臓器官は取り外されていた。
数人のモデレーター達が、事務的にそれを片付けている。
(痛かったのだろうか……)
イツキは思った。
右眼の奥に続く鋭い脈動が、「痛み」という感覚である事を今ようやく思い出していた。
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