3-ONE O ONE

1

 酷い頭痛だった。

 頭蓋の内側に、ヒビが入るような感覚だった。


 苦痛の代償に殺意を得た。

 殺しても消えない痛みは死ぬまで続くのかもしれない。

 苦痛は暗喩として、不可逆の事象を取り戻す術を妄執とした。

 殺しても生き返らないが、魂が救われると信じていた。


 少年は、信じていた。






 イツキは何一つ解決出来なかった。

 五億円の借金は残り、来月また利子の支払いが来る。ミハイルも殺せていない。

 生活費もなく、備蓄も僅か。しかし子供達は金で守るしかない。


 金があればいい。金があれば全て解決する。


 誰かを生かす事も、誰かを殺す事も、金があれば成せると思った。

 綺麗ごとを吐く知識人も文化人も政治家も宗教家も市民団体もそれ以外の普通の人間も、十七歳の男子高校生に五億円を差し出してくれたりなどしない。絶対に、しない。

 今までだってそうだったのだからこれからもそうだと考えるのが論理的に正しく、その前提で能動的に方法を探る必要に駆られる。


 稼ぐ手段はなんでもよかった。

 殺人でもよかった。


 自殺でもよかった。






 一夜明け、何も思いつかない。

 ミハイルの拳銃を何とかして持ってくるべきだったと、イツキは今更ながら思った。強盗に使える。

 街をあてなく歩くイツキの足は、いつしかペレストロイカへと向かっていた。そこにはきっと金がある。


 繁華街の路地裏、ビルの隙間。場末のバー。

 少し、カビ臭い。

 入ると、カウンターにマスターが立っていた。

 他に客はいない。

 それは今が平日の真昼間だからではなく、天気が愚図ついているからでもなく、イツキが思うにここは本当に“ペレストロイカ入り口”としての機能しか期待されていないからなのだろう。実際外見は、ただの廃墟ビルにしか見えない。


「ペレストロイカで、博打がしたい。どうすればいい?」


 イツキがそう言うと、壮年のマスターは三枚の書類を取り出しカウンターテーブルに置いた。


「杉野イツキ。君は一度ゲームを行ったが、それは代役としてだ。地下でゲームをしたいのなら、また新規に登録しなければならない」


 イツキは書類の一枚目、“同意書”にサインをした。登録の意志を確認するだけの簡易な書類だった。

 二枚目は、“同志規約”。イツキが思うにそれが最も重要な書類。


 ペレストロイカでは登録した人間を“同志”と呼称する。その同志に対する絶対の規約が存在する。


(規約を破れば、何がどうなるのか……)


 などは、知らない。

 ただ、利用はすれど守る気も無かった。


 それから三枚目、“同志リスト”。

 そこには、ペレストロイカに同志登録した人間の姓名、年齢、職業、そして同志ナンバーと勝敗数が100件以上記されていた。


「登録は終了した」


 同意書を回収しながら、マスターが言った。


「君はそのリスト上の、誰にでもギャンブルを挑む事が出来る」


「……今からでも?」


「もちろん。君はいつでも誰にでも挑める。逆に、君自身もいつ誰かから挑まれるか分からない。ただし一度に一ゲームしか受け付けられないよ。事務処理の関係でね」


 イツキは今すぐにでも金が欲しい。

 だが、規約によれば勝負の日時を決めるのは“権力者”、即ちゲームを申し込まれた側である。申し込まれてから72時間以上後・240時間以内の日時と定められている。

 最大10日待たされるが、孤児院の維持のためには出来る限り早く勝負をしたい。リストの中から、すぐにゲームを始めそうな人間をイツキは選びたかった。


「……この人で、お願いしたい」


 イツキが選んだのは同志ナンバー22。三十九歳・無職・上原竜矢。

 無職でありながらギャンブルルームに登録、故に“借金を持っていそう”だとイツキは推測したが、冷静に考えれば職業など正直に書いていないのかもしれない。

 イツキ自身、身分証の一つも提示を要求されていない。ただ縋るべき情報が他に無い。


「いいのかい? 君からの申請で」


「ああ」


「ゲームの内容は権力者が決める。つまり、ゲームを“申請された側”が決めるんだ……それがこのギャンブルルームがなかなか使われない理由でもあるが……」


「わかっている」


 規約上は権力者側が絶対的に有利。“自分が絶対に負けないゲーム”で勝負すればいい。

 規約には“双方に均等に勝利の可能性があると運営部が判断するものでなければならない”とあるが、きっとその判断はミハイルの為の物で、意義の薄い一文だと思った。

 例えばダーツのプロがダーツでの勝負を指定して、革命者がダーツの素人だったとしても。それは公平な勝負と見做すのだろう。中性欧州の決闘がそうであったように。


(サイコロを転がすゲームを確率的に“均等”と判断したって、そのサイコロ自体にイカサマを施してしまえば運営部の判断の外になる……)


 細工された道具がこの規約に抵触しない事は、先のミハイルとのゲームで学んだ。

 あの地下室でサイコロを振るのは、神じゃない。


(一度に一ゲームしか受け付けないのも、革命者が負ける事が多いからなのだろう……。金を失った後に連戦では、支払い能力がない。だが……)


 全財産を二度賭けたとして。一度目のゲームで敗北すれば、全財産を失う。二度目のゲームでも敗北したら、きっと命が取られる。


(それを、“権力者”側に強いる事が出来るなら……)


「そうか。杉野イツキ同志、君の申請を受諾した。同志ナンバーは169。ゲームには、いつでも応じられるように」


 有利・不利とは言っていられない。すぐにでも金が欲しい。


 今すぐにでも。

 どれだけ汚れた金でもいい。




 帰り道。

 泥水の流れる側溝の上を歩いた。

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