2-HI-TONE

1

   ある日イエスは、弟子達の行う聖餐の祈りを見て笑った


   弟子達は言った


  “私達は正しい行いをしているのに、なぜ笑われるのか”


   イエスは答えた


  “貴方達は自らの意志で祈っていない。そうする事によって貴方達の神が賛美されるから、そうしているのだ”


   イエスと議論になった弟子達は、イエスに怒り、心の中でイエスを罵倒した


   イエスは言った


  “ならば、貴方達の中にいる、勇気ある『完全なる人』を私の眼前に立たせなさい”


   弟子達は口を揃え、


  “自分にはその勇気がある”


   そう言った 十二人の弟子誰もが言った

   

   しかし実際にイエスの前に立てたのは、イスカリオテのユダだけだった

   ユダだけが、イエスの前に立っていた


   顔を背けながら



   ――外典『ユダの福音書』より






 ―――――――






「残念だけど君の負けだ。唯花ちゃんは解体するよ」


 言いながら、ミハイルが立ち上がった。

 曖昧な目眩から我に返り、イツキも立ち上がった。


「ま……待ってくれ!」


「待たないよ」


 背を向けるミハイルをイツキは慌てて止めようとしたが、身体が震えて、上手く動けない。夢の中にいる様な感覚。脚が思うように前に出ない。

 それでも進もうとしてテーブルに足を引っ掛け、無様に転ぶ。

 テーブルは倒れその上のカードが床にばら撒かれたが、ミハイルのスーツの裾を掴む事は出来た。


「やり直しを……ミハイル、もう一度ゲームを……」


 イツキが必死にそう縋り付いた時、観客席からザワつく声が聞こえた。

 人の気配。それも多数。

 見ればそこには、着飾った観客達が入ってきていた。まるで社交場のように、歓楽の場のように弛緩しつつも僅かな緊張感のある空気。

 高度な安定が退屈と化し、退屈を病的に拗らせその治癒を狂気に求めた、資本世界の貴族達。

 イツキはすぐに察した。この“観客達”は、これから始まる凄惨なショーを見に来たのだと。


 と同時に、舞台奥側の巨大モニターに映像が映し出された。

 拷問室の、手術台の上に拘束された唯花の映像。貴族達はそれを見て色めきだった。

 まだ全てが予定されていた通りに進んでいるのなら、中止はされない。


「時間もちょうどいい。お客さんも集まった。だから、離し給え」


 ミハイルは裾を掴むイツキの手を、右手で掴んで振り解いた。

 強い力。だがそれ以上にイツキが感じたのは、


(冷たい……)


 感覚。

 だからイツキは離れようとするミハイルのその右手を掴み返し、そして気付いた。


「義手……」


 である事。

 生身の手ではない。硬く、冷たく、重い。


「気付いてしまったようだね。そう、私の右手は義手さ。“筋電義手”と言ってね。筋肉の微弱な電気信号で動作する。特別なものじゃない、海外製だが誰でも買える。最近のものは驚くほど精密に動作する……」


「違う、手の中に……」


 イツキが言うと、ミハイルはフッ、と、嘲笑するような息を吐いた。


「それも今頃、なんだね」


 ミハイルはイツキの手を振り払うと、左手で右手の平の皮膚をつまみ、手首付近からペリペリと剥がしていく。血は出ない。僅かにオイルが滴り落ちるだけ。

 やがてそのイミテーションの皮膚の下に見えたのは精巧な機械と、数枚のトランプカード。


「そうさイツキ君。もう察しただろう? 私はこの手の中からカードを一枚落とし、それを“引いた”」


「イ………イカサマ……」


 無駄な訴えとわかっていながら、その単語を口にした。

 それを聞いてミハイルは、諭すように呟く。


「……イカサマさ。君だって、ジョーカーを一番上にしただろう?」


 聞き分けのない我が子を、静かに叱る様に。


 憐れむ様に。


「そんな事……不合理に過ぎる……や、やり直しを」


 泣きそうに、消え入りそうなイツキの声。


「ミハイル、もう一度、やり直しを……」


 静かに叱られる、幼子の様な。


「私は“ジョーカーを引いたら負け”と言い、君はジョーカーを引いた。ただ、それだけの事が――」


 反抗を許さない様な静かな声に、少しだけ、残酷になれる気がした。

 虫ケラを踏み潰す、無邪気な幼子の様に――


「起きただけに過ぎない。私は負ければ潔く差し出すよ。金でも、物でも、命でも。それ以上に大切な何かであっても。それは約束しよう。でも、逆なら逆さ。取り決めた通り唯花ちゃんは」


「それでも俺は……」


 イツキは。

 右手に、拳銃を握っていた。それを見てミハイルは自分の腰元を探るが、そこにあった筈のリボルバー拳銃がなくなっている。


「俺は差し出さない……」


「……盗んだのか。手癖が悪い」


 だがそれでもミハイルは、まだ何処か危機感薄く、余裕があった。

 向けられた銃口を見て逃げようともせず、焦りもしない。


「唯花ちゃんを解放しろ。じゃないと……」


「撃てばいい」


「……何?」


「私を殺し、モデレーター達を殺し、彼女を連れて逃げればいい。君に……」


 ミハイルは、両手を広げた。


「出来るのなら……」


 挑発するように、嘲笑するように。

 戯れのように。

 その銃口を、檻の中の猛獣を見るように。


 だからイツキは、


 ――殺そう。


 黒葉潤を思い出し、目の前の男に対する殺意を確定させた。

 生きながら解体される少年を思えば、銃弾一つで殺すという行為が、酷く人道的に錯覚出来た。


 躊躇いもなく、引き金を引いた。


「……!」


 だが、乾いた軽い音だけを響かせ、弾丸は発射されない。

 イツキは二度三度引き金を引いてから、ようやく銃のシリンダーを見て弾が入っていないと気付いた。


「……君は何を見ていた? ここに来るまでの車内で」


 言いながらミハイルは布袋を取り出した。

 それは車内でも見せられたもので、中に入っていたのはトランプ、とイツキは記憶している。だがミハイルがそれを逆さにすると、数発の弾丸が床に落ちた。


「イツキ君。車内には君と私だけだったよね。君に銃を奪われたら……と考えて弾丸は抜いて別にしておいた。“フェア”だろう? 私はあの車内で一つの嘘もついていない」


 ミハイルは背を向け、拷問室へと向かう。

 追いかけようとしたイツキをモデレーターが押さえつけた。床に倒されるが、それでも必死に這い進んだ。


「ミハイル……待てッ……!」


 イツキは押さえつけられながらも落ちている弾丸を拾い、手間取りながらも銃に込めた。

 その間にミハイルは薄暗い拷問室へと入っていき、 床に転がる電動チェーンソーを拾い上げていた。

 もうイツキに興味をなくしたように、手術台に拘束された唯花と向き合っている。


「好みが分かれるところなんだが……ねえ唯花ちゃん、君は切断と剥離、どっちがいいと思う?」


 唯花は、泣いている。


「やだ……やだ、お兄ちゃん…………助けて……」


 恐怖で蒼白になっていた。

 震えて、必死で体を動かしても、拘束は緩まない。

 チェーンソーの刃を見て、ガチガチと歯を鳴らしていた。


「ミハイルッ!!」


 イツキはもう一度ミハイルに銃を向けて、引き金を引いた。

 響いたのは銃声――というよりそれは、爆発音に近かった。ミハイルは振り返りもしていない。


「――ぁぁあああッ!」


 イツキは苦痛に顔を歪めていた。右手が、制服の袖ごと肘下まで焼け爛れている。

 銃はシリンダーとフレームの隙間から火を吹き、床に転がっていた。それは落ちているトランプを燃やす程に強い火だった。


「ミハ…………!」


「ねぇ、イツキ君。拳銃を持っている君に、みすみす弾丸を渡すと思うかい? ……そこにあるのはダミーカートリッジだよ。弾は発射されず、代わりに強力なバックファイアが生じる」


 観客達はそんなイツキを見て、クスクスと笑っていた。嘲るように。

 見下すように。


 ミハイルはチェーンソーのスイッチを入れた。金切り音が響く。

 イツキの頭蓋の中に、反響する。


「待ってくれミハイル!! 金なら払う!! 一生かけてでも……」


 叫んだ声は、金切り音に掻き消されている。

 イツキの声も届かない。

 唯花も叫び声をあげているが、それは絶望的な程か細い。


「それが駄目なら俺が代わりになる!! 俺を解体してくれ!! ミハイル!! だからやめろ!!」


 トランプに燃え移った火がイツキの背後で強くなり、それを消す為にモデレーターがイツキを押さえる手を緩めた。


「やめろミハイル!!」


 唯花の胸部に、チェーンソーの刃が触れた。白い肌に、赤い血の線が浮かんだ。

 イツキは膝をついて上半身を起こし、左手でまだ熱を持つ拳銃を掴んでいた。

 殺人の為の力は何一つ持っていない。それでも。


「殺すぞ!!」


 叫んだ。

 その短いセンテンスに一つの偽りもなく、今、心にある全てを込めて。

 喉を潰す程に振り絞った声で――何よりも汚く響いたその言葉で、ようやくミハイルは手を止めた。

 金切り音が消えた。

 ミハイルはモニターの中で俯いたまま、リアルではイツキに背を向けたまま。


「……どうやって?」


 ――やめるさ。これは映像じゃない。


 嘘は一つもなかった。だけど――――

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