喫茶・死想

ユーレカ書房

生きるため、死を想う。

 どうも、いらっしゃいませ。


 喫茶〈死想〉へようこそ。お好きな席へどうぞ。


 うちの店にいらっしゃるのは初めてですか? そうですか、それはありがとうございます。〈死想〉には、ご来店のお客さまに守っていただきたいルールがいくつかございます。ご注文の前に確認させていただきます。


 ひとつ、他のお客さまの事情を、ご本人が語る以上に詮索しない。


 ひとつ、他のお客さまの事情をお聞きになったうえで「不謹慎だ」などとブラックコーヒーのような言葉をかけない。


 ひとつ、ご本人が承諾しない限り、他のお客さまの個人情報を聞き出さない。また、不用意に明かさないこと。


 ひとつ、実際に死に臨むような計画は、店外でお願いいたします。


 おおまかには、こんな感じです。よろしいでしょうか? ……ありがとうございます。メニュー表はこちらになります。それでは、ごゆっくりとお過ごしくださいませ。



 喫茶〈死想〉。なんともふざけた名前だと、みなさんおっしゃいます。店内のしつらえは、いかにもな純喫茶。これは店主であるわたしのこだわりです。木のテーブルに、木の椅子。明度の低いランプが、昼でも夜でも店内をぼんやりとほの暗く演出します。


 自慢は、真っ白なカップに入った真っ黒なコーヒー。お好みでお砂糖やミルクを入れていただいても結構ですが、特に初めての方にはぜひそのまま味わっていただきたいところです。わたしみずから厳選した上質な豆を挽いて、一杯いっぱい丁寧に淹れています。苦みの中にもわずかな甘みとフルーティーな後味があり、すっきりとした飲み口が特徴です。


 この店の顔となる商品ですから、こだわって選びました。この〈すっきり感〉こそ、わたしがこの店に来てくださった方に得てほしいものだからです。



 突然ですが、〈死んでしまいたい〉と思ったことはありませんか? あるいは、〈消えてしまいたい〉。または、〈最初からなかったことになりたい〉。おっと、「不謹慎」はここでは禁句です。この店では、いかなる希死観念をお持ちであろうと、いかなる絶望感を抱えていようと、すべて肯定されます。人生に望んではならないことなどない、というのが〈死想〉の根本理念です。たとえ、生物にとって不自然な欲求であったとしても。


 きっかけはさまざまあるでしょう。失業、破産、失恋、大病、大怪我、喪失、失望。人生に挫折や艱難辛苦はつきもので、多くの場合はなんとかかんとか乗り越えられるものです。しかし、あるときある拍子に――ふいに、心に忍び寄ってくる想いがあるのです。耳に囁きかけてくる声があるのです。


 「もう死んでしまいたい」


 これは、決して特殊な心理状態ではないとわたしは思います。なぜなら、わたし自身の青年期は、常にこの感情と隣り合わせであったからです。


 今でこそこうして本業と呼べる職業を持っていますが、かつてのわたしは仕事のために各地を転々としているようなありさまでした。雇われては退職。雇われては業績悪化。雇われては倒産。そんなことの繰り返しでした。まともな役職には就いたこともなく職歴ばかりが増え、それでも生きてゆくために何か仕事をしなくてはならない。社会人になってからというもの、そんなふうに肩肘張って数年が経過しました。わたしは納得はしていませんでしたが、他に仕事の仕方を知りませんでしたし、何とか食いつなぐだけで精一杯でした。


 ところが。あるときを境に、その〈食いつなぐための仕事〉にさえありつくのが難しくなってしまったのです。これはわたしのせいというより、国内の不景気が原因であったとは思うのですが――とにかく、それまで得られていた収入分さえ確保できなくなってしまいました。仕事ならなんでもいいというわけではないということは、分かっていただけるかと思います。いかに時間を費やそうとも十分な収入を得られなかったり、給与に見合わない業務内容であったりすることは、いまや珍しいことではありませんから。


 なんとか、生きてゆかねばならない。わたしは日々新しい求人を見つけては応募し続けましたが、結果はふるいませんでした。不況ですから、わたしと同じことで悩んでいる方が大勢いたのでしょう。しかし、当時のわたしは世界で一番不幸な境遇に陥ったような、先の見えない人生に失望しきったような感覚を日々抱えていました。


 「もう死んでしまいたい」


 食費や電気代を切り詰めながら、わたしはいつしかこう考えるようになっていました。生きていくために仕事を探していたのに、です。生きていくことを望んでいながら、その努力がまったく実を結ぶ気配がないために、わたしは腕に抱えているすべてを手放してしまいたいと思うようになりました。自分の状態が不健康であることは重々承知でした。


 しかし、です。そんなふうにしてみずからの最期を希求しているうちに、わたしは自分の内心がなんとなく救われているような感覚を味わいました。いかに悩もうと、いかに惨めな人生を歩もうと、人は最後には必ず死にます。仕事が必要なのは、生きている間だけのこと。あと四、五十年もすれば、自然とこの悩みは絶たれるのだと……。おかしなことに、〈生きよう〉と必死になっているときよりも力が抜けて、かえって生に対して前向きになることができたのです。生きようとして死にたくなったのとは逆で、死を想うことで生を慈しむことができるのではないか。わたしは目が覚めたような心地でした。


 このときの経験こそ、〈死想〉の原点です。生きることに行き詰まり、終わりのないように見える苦しみの渦中にある方に〈終点〉を提示する。いつか必ず死ぬ、いつか必ず終わる。誰もが知っているこの事実を改めて確認していただき、目下の苦しみを少しでも楽に乗り切っていただく。


 これはいわば、一種の処世術なのです。自分だけが永遠に同じ苦しみの中にいるなどということはありません。仕事がなかろうが、貧乏だろうが、結婚できなかろうが、何かが手に入らなかろうが、死んでしまえば関係ありません。死後携えていけるのは魂だけです。


 とはいえ、これは誤解されやすい処世術であることは言うまでもありません。わたしは決して、


 「苦しいんだったら、もう死んでしまいましょう」


 などと、みなさまの希死観念を煽りたいわけではありません。むしろ、辛いながらもなんとか生きていくために積極的に終わりを見つめるという、前提に〈生〉を内蔵したコンセプトなのです。



 わたしはこの〈死想〉を思いついてから間もなく今のような喫茶店をやろうと思い立ち、チェーン店のアルバイトになんとか採用され、開店資金を貯めました。今思うと、なぜあんなことができたのかよく分かりません。しかし、現に〈死想〉はオープンし、現在に至るまでほの暗く、そして前向きに生きたいと願っていらっしゃるみなさまをお迎えできていることはありがたいと思っています。


 努力は報われる。それは分かりません。夢は必ず叶う。それも分かりません。しかし、死だけは誰の人生においても平等な結末です(終わり方にはいろいろありますが)。耳に心地のよい励ましを信じられなくなったとき、〈いつか必ず終わる〉という真実だけは不変です。


 〈死〉は大抵忌み嫌われますが、わたしはこれほど優しい真理はないと今でも思います。頭を抱えて泣きたくなったとき、不安と混乱に苛まれて切羽詰まったとき、この店のコーヒーを思い出してください。香ばしい苦みとわずかな甘み、そしてすっきりとした飲み口。飲みにくいと思うのは最初だけです。よく味わってみると、とても滋味深い味なのですから、ね。


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