小学校の時の後輩だと明星に言われて俺は結構驚いた。地元を離れているからだ。それで偶々出会ってあんたを知ってるとか言われて小学校の、地元の話で、たとえば学校からちょっと歩いたところにあった駄菓子屋が今は潰れちゃってるけどジャンプが三日くらい早く買えたよなとか、他愛ない昔話がめちゃくちゃ楽しかったから、はじめはただの郷愁だったって一応言える。後輩に懐かれる経験をしたこともなかったから拍車をかけたし会う頻度が増えれば芋づる式に好感度は上がっていったし、でもぐだぐだ言い訳を脳内に並べ立てたって今現在転がっている事実は変わりようもなくそこにいる。

 なにかが違うと思いながら俺は明星に電話をかけた。まあ繋がらなかったし、送ってみたメッセージは未読スルーだった。原因と言えば恋愛遍歴について口を閉ざしたことだとは考えられたが明星陽平がそんなしょうもない抵抗でへそを曲げるはずはないとも思っている。信用してないんだかしてるんだか、俺は自分でも自分がよくわからない。とにかく明星と連絡がつかなくなり部屋にも来なくなり長い三日が過ぎて更に三日過ぎて一週間を突破して十日目になる頃、このままではまずいと焦った。休みである土曜に気を紛らわせようと部屋の掃除を行いベッド下に風か何かで飛んで入り込んでいたシュークリームの空き袋を見つけて胃と心臓の間辺りが絞られたように痛んだ瞬間俺はスマホを掴んで電話をかけた。頼むから出ろよと祈りながらスマホを握り締めていると電話は繋がり、俺はベッドに突っ伏しほとんど意識しないまま「助けてくれ」と要請した。向こう側からは二秒ほどの無言が返った。

「助けてくれ。頼む。この通りだ」

 再び要請した。あのなあ、と呆れたような声が聞こえた。

『大体予想はつくが、止めた方がいいって俺はとっくに言っただろ』

「うん、そうだよな、お前の言う通りだよ」

 ライターを擦る音が響いた。煙を吐く音も聞こえた。

『で、何から助けて欲しいんだ?』

 冷静そのものの返事に俺は心底友情に感謝した。大学時代からの友人である朝陽大輝あさひだいきは、今から行くと言って電話を切った。


 部屋の中で大人しくしていると呼び鈴が鳴り、一瞬明星かと思って身を硬くしたがあいつは訪問前に連絡をしてくるし呼び鈴を鳴らしたことはない。玄関の向こうには当然要請を受けた朝陽がいた。無地のシャツに無難なジャケットという出で立ちだったが相変わらずイケメンだった。明星といい朝陽といい名前が光ってるやつは顔がいいのか、と思ってからああ明星が苦手って言ってたのは朝陽かと今更やっと思い当たった。

「やつれてるな、海沼」

「やつれもするよ、まあ、入ってくれ」

 朝陽は無言で中に入り、いつも大体明星が座っていた辺りに腰を下ろした。とりあえずお茶を出す。煙草を吸うときは悪いがベランダに出てくれと言えばわかってると言いながらマルボロとけっこうしっかりしたジッポを机に置いた。銀色に鈍く光るジッポは贈り物という風情だった。冷静で面倒見も良い朝陽はたいがい女にモテていた。

「明星が帰って来なくなった」

 銀色の光を見つめながら、現在転がっている事実をやっと口に出して誰かに話せた。視界の端で朝陽がどんな表情をしているのか見る勇気はあまりなかったが、

「そういう雰囲気のやつだっただろ。ヒモ気質っつうか、野良猫みたいっつうか。どのくらい入り浸られてたんだ?」

 極めて冷静に聞いてくれたので、やっと顔を上げられた。

「春先くらいから」

 返答に対し、朝陽は非常にフラットな表情で更に質問を重ねる。

「急に来て急にいなくなる?」

「まあ、そうかな」

「セフレなのか?」

 直球のあまりたじろぐが質問を取り下げる気配はない。ので、観念しながらまず頷く。恋人と呼べるような代物ではないと俺は一応思っている。

「セフレだろうけど、出掛けたりもするにはするよ」

「帰って来なくなってどのくらいだ」

 黙殺された。やけになって日を数える。

「十二日」

「普段は?」

「週四くらい部屋にいた」

「部屋にいない間の行き先は」

「聞いても答えない」

「じゃあ明星の住所も?」

「聞いても答えないよそれも」

「今は連絡がつかないのか」

「未読スルーされてる」

 朝陽の手がジッポと煙草をさっと掴んだ。

「数分で戻る、待ってくれ」

 カラカラとベランダの窓を開ける後ろ姿を見送ってからスマホを覗く。未読スルーは継続で新着はなく時間は昼過ぎ、気温は高くも低くもなくて窓の向こうは立派な青空が広がっている。桟に寄りかかりながら煙草を吸う朝陽は背中を向けていた。イケメンで人当たりのようさそうなふりをしてるやつ。確か明星はそんな風に言ったが朝陽は実際友人間では好かれている。面倒見がいいからだ。じゃなきゃ今ぐずってる大学時代の友人の部屋までわざわざやってきて愚痴聞いてくれてるわけないだろといない明星をいないから詰る。

 窓を開けた。朝陽は煙草を吸い終わっていたが、スマホを覗き込んでいた。隣に立ち、二階からの景色を見慣れてはいるが臨む。道路を挟んだ向かいには小さな公園があって母親と子供の姿がちらほら見える、紅葉した桜の木に囲まれながら秋晴れを存分に楽しんでいる。

「今土屋に確認した」

 急に朝陽が別の友人の名前を出した。土屋も大学時代によく遊んでいた一人に入る。明星のいる合コンに俺を呼んだのも、

「あ」

 盲点だった。そうか土屋、土屋涼香つちやすずか。あいつ明星を呼び出せる立場の人間なのか。朝陽は煙草をもうひとつ咥えて慣れた動きで着火する。

「最近はほとんど会ってないらしい。でも会える場所ならわかる、って返事が来た」

「どこそこ」

 ふう、と吐かれた煙は高い天に向かって千切れながら立ち昇る。

「一応もう一回言っておくんだが、止めた方がいい。人の交友関係に口出しなんて本当は本気でしたくないんだ俺だって。厄介ごとになってもそう何回も責任取れるわけでもねえし」

「厄介ごと」

 俺の鸚鵡返しに朝陽は横目を寄越した。びっくりするほど冷めた光に射抜かれて文字通りびっくりするが朝陽はふっと息をついて笑い、スマホを待機に戻しながら煙草をまた一口吸った。

「……大体予想つくだろ、海沼。明星がどのくらいの範囲で人のベッドを渡り歩いてるかは知らねえが、土屋曰く最近会ってないのは明星が新しい女のところに出入りし始めたからだと。それは多分、お前のことだろ。んで、出て行って帰って来ないっていうなら、また渡り歩いた可能性が高い。土屋の前はともかく海沼の前は確実に土屋が、あの野良猫の巣だったんじゃないのか」

 土屋の顔を思い出す。土屋涼香。まさかあいつ、明星を誰かに押し付けるために合コンに、とは、今更考えても仕方がないから一旦おさめて静観していた朝陽大輝の顔を見る。煙草は短くなっている。灰がぱらぱらと雪のように空を飛ぶ。

「朝陽」

「なんだ」

「一晩考える」

 朝陽は二回瞬きを落とした。最後の一口を吸ってから煙草を携帯灰皿に放り込み、明日は日中空けておくと未来が見える素振りで告げた。俺もどうせ教えてくれって朝陽に連絡するだろうなとは思っているけどそれでも一晩考えてもし万が一、明星の名残というか痕跡というか気配というか広く見えてしまっている部屋の中に残った明星陽平の欠片を少しでも忘れていたのなら、止めようと思った。止められると思った。朝陽は俺を置いて部屋に入り立ったまま出した茶を飲み干して、昼飯でも行くかと大学の頃のような気さくさで聞いて来た。了承してから部屋に入った。朝陽の手にある光るジッポの送り主を尋ねかけて止めた。二年ほど前こいつの彼女が自殺したという話を不意に強く思い出したからだった。厄介ごと。厄介ごとか。俺は部屋を出て近場のラーメン屋に向かいながら隣を歩く朝陽に謝ったけど何の話だと言わんばかりに見下ろされて、ああだからこいつってイケメンなんだろうなって素直に友人を褒めちぎる。


 夜が来る。朝陽とラーメン屋前で別れてから真っ直ぐ部屋に戻ってきて夕飯はろくに食べずにベッドに転がり夜更けを待つ。明星を記憶の中に呼び出す。妙にきらきらして見えた俺の後輩。セックスに持ち込むまでの流れが完璧に構築されていた場数がよっぽど多いと思われる男。俺は全然あいつのことを知らなかった。はぐらかされ続けるせいでもあったがはぐらかされない問い掛けに辿り着く前に自ら引いてしまっていた。その上明星の問いをほぼ黙殺した。拗ねるなよ大河さん。この台詞を明星に返してもいい気がした。いや返してやろうと決意した。どうせ駄目になるんならほんの一瞬でも海か沼か大河かなにか、俺に溺れてからにしろよと奮い立った。

 明星が絡み付いてこないから広いベッドの上で跳ね起きた。スマホを覗く。午前三時前。夜明けまではまだある。這い出してベランダに続く窓をがらりと開ける。薄灰色の雲が濃紺の夜空にところどころ浮いている。それは夜空を引き剥がして破り損なった顛末のように見える。街の灯はかなり少ないがそれでも星明りのほうが暗い。数分、数十分、俺は星を見つめていた。眠気はなく、朝日と共に朝陽に連絡しようと、そのままじっと星のたよりない瞬きを見つめていた。

 そして否応にも十三日目の朝が来る。

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