第36話

夕食後も部屋にこもって何やら真剣に考え込む父が気になった。

リブは父・ユウゴの部屋をノックしてから「入るよ」とドアを開ける。

すると、ユウゴの部屋からバサバサっと書類が落ちる音が聞こえてきた。


「お父さん、最近、その本ばっか読んでるよね。楽しいの?」


「え…?あ、ああ。バレてたか」


「そりゃあね。同じ家に住んでるんだもん。わざわざ書類で隠すほど大事なんだなって感心してた」


「………娘の成長は凄まじく早いな…」


動体視力の高いリブの前で物を隠すなんて出来っこなかった。

しかも、随分と前から気づいていたらしい。

ユウゴは頬をぽりぽりとかいた。


「…ね、ねえ。それには何が書いてあるの?」


「う…む。まあ、バレてしまってはしょうがない…」


ユウゴは諦めて、ヴルから頂戴した本を膝の上に広げる。


「あすとらい…なに?」


「アストライヤの天秤…それが本の題名だ」


「ふぅん………」


聞き慣れない単語にリブは顔をしかめている。

この本が何の意図があって出版されたかは謎だ。

子供に読み聞かせる絵本ではないし、詩人が書いた唄でもない。


アストライヤの天秤


宵や明けや明星や

光をもたらせ


天秤は基準

世界は天秤に身を委ねる


高慢には軽蔑を

謙遜には知恵を


無垢に正義を

裏切りは身を滅ぼす


悪は偽物の重石を持って、世界を偽った

正は十全な重石を持って、世界を導いた


「…とまあ、そんなことが永遠につらつらと書かれている」


「なんだか難しいんだけど…」


「そうだな。リブには少し早すぎたかもしれん」


「子供あつかいすんな!」


「元気があって何より」


ユウゴは膝の上に乗せた本をパタリと閉じた。


「もー…そうやって茶化すんだから…。でも、なんでこんな意味不明な本を調べてるの?」


「う…ん。そうだな…」


「隠し事はなしだかんね」


「む………」


実の所、リブを巻き込みたくはなかった。

恐らく例の少年が絡んでくる。

彼に関わると話したところで、リブが冷静に判断できるかも危うかった。

それに、これはユウゴが個人的に気になって調べ始めたことだ。

結論が出てから伝える伝えないは決めたかったところである。

ユウゴはうーん、と頭を悩ませなる。


「なんで言いたくないの?」


「その…うーむ…」


「いいじゃん。別に。世間話と一緒で、私が興味なかったら聞き流すだけだし。ためる意味なくない?」


好奇心旺盛な我が娘をひらりとかわすことはできないようだ。

ユウゴは観念して、長たらしい前置きをつける。


「先に言っておくが…これは俺の勘だ。憶測だ。これから何かが起きそうで、もしかしたら何も起きないかもしれん。何を根拠に話をしているのか分からないだろうが、俺はなんとなく関係がありそうだと言われているこの古い書物を調べている。昨今の異常な魔物の出現率とレベルの変化。空の淀み。人の流れ。不自然な世界の動きを感じた。それらは全て何かに関係しているんじゃないか…そんな気はしている。だが、これらはただの妄想かもしれない…あまり自信たっぷりに言えることではないんだ」


「随分と予防線を張るじゃん。そんなにその天秤が気になるの?」


「そう…天秤が、だ。俺は生きている中でたくさんの書物を読み漁った。そして、全ての本に意味はあったし、理屈も根拠も理解ができた。だが、この書物だけは、何を言っているのか、何を指しているのか、何を教示しているのか、全く分からなかった。なぜこの書物は出版されたのか。なぜ大事に今も保管されているのか、同意しかねる内容だ。謎の塊…だな」


ユウゴはこの本の内容を調べようと様々な考察を繰り広げている。

その考えの全ては紙に書き出し、根拠のない考えはぐしゃぐしゃに丸めて地面に投げ捨てた。


「それで、調べてみて何か分かったの?」


リブは地面に捨てられている紙をほぐしながら、父の汚い手書きの文字を読み取ろうとする。


「正直に言うと、何も分からんかった。俺の過保護な思い過ごしかもしれん。忘れてくれ」


「えー!そこまで言って忘れてくれはひどくない?お父さんがそこまで言うなら、きっと何かあるよ。調べてみようよー!」


「そうだな…。今日はもう遅い。そろそろ寝ないとな」


「………はーい……」


ユウゴはリブを急かしながら、まずは風呂に入ることを勧めた。

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