第35話

入店を知らせるベルは、この男と似て軽々しく鳴る。


「いらっしゃーい」


店に入れば奥の方に店主・ヴルがハタキを持って歓迎の合図を送る。


「面白い本が手に入ったんだって?」


「せや。あんたが興味出そうな本や。例のことを調べてる途中でな、ふと浮上してきたんや」


「へぇ…」


ユウゴは「これやで」と言われ、差し出された古めかしい本を受け取る。


「内容は?」


「子供が寝る前に読み聞かせるような子守本や。この街にはな、ふるーくから言い伝えっちゅーもんが、絵本として残ってることが多いねん。マンドラゴラ…花の女王が良い例やな」


「この前の話を聞いたか…」


「調べなんくっても勝手に耳に入ってきたわ。そんで、個人的に気になって調べてみたんやけどな…あ!言うとっけど、偶然か知らへんで!わいの個人的感想やからな!!け、けど、あの絵本に出てくる少年の絵がなぁ…どうもナナシに似とるんや…あんたの話は信用ならんかったが、なんちゅーか…背筋がゾクッとしたわ」


「灰色の髪に金色の瞳…か」


「まあ、そんなもんや。まるで誰かさんが見て描いたみたいな…もしくは、そうなるように何年も前から仕組んどったとか…」


「確かに身震いするような話だな。で、この本も少年に関係ある…と?」


「おそらくやけどな。あんたなら読めばなんとなく分かるやろ。どれが何を指してることか…」


「ふぅん………」


ユウゴが薄っぺらい古本をペラペラとめくっていると、「こんにちはー、ヴルさん!」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「え?お父さん!!」


「あ、ああ…リブも用事があったのか」


「うん…。近場でいいから街の外の様子を記録してこいっていう依頼があって…念の為、何か安い防具がないか探しにきたんだけど…」


なんでも揃っているヴルの店では、冒険者御用達の道具も多々売っているそうだ。

しかも、顔見知りにはある程度安くしてくれるので、リブたちのような貧乏人の財布には非常に優しい。


「けど…薬の納品以外でここにくるなんて…お父さんとヴルさんっていつの間に仲良くなったの?」


「仲良くなんてなってへんよ」


「そこそこ、な」


「せ、せや…そこそこ」


「ふーん…」


ユウゴは背中の後ろにサッと例の本を隠した。

店の中をぐるりと見回すリブの横をカニ歩きでそぉっと通り、うまく店の外まで出ることができた。


「それじゃあ。俺は先に失礼する」


「あ、はーい…」


「毎度あり〜」


隠す必要もないが、後ろめたいことがある以上、娘の前ではヒヤヒヤする。

あの男のことだ。

あれから自分のことを根掘り葉掘り調べ上げたことだろう。そして、それでも尚、逃げずにいると言うことは、ある程度の覚悟をしたことに違いない。

ユウゴは人を避けるように裏路地から帰路についた。


ー…


「待て待てー!」


「こっちこっちー!」「スピカ、こっちだってー!」


どこかのお嬢様は今日も元気に下民たちと戯れていた。

よくこんな寒い冬空の下、走り回れる体力があったものだ、と少年は蔑みの眼差しを送る。

見つかっては面倒だ。

少年はフードを深く被り、いつもの広場を通り過ぎようとする。

が…


「あ…!待って…」


すぐに見つかってしまう。

スピカは少年の元に駆け寄り、優しく微笑んだ。


「会えて良かった…。あれから体調は…どう…ですか?」


「………」


少年は諦めてフードを外す。


「元気」


「よかっ…」


「って言えば、あんたは満足する?」


「………」


「別に僕はあんたの悲壮な顔を見たいわけじゃない…から」


「ずっと心配していたんです。あまり良くない噂を聞いたので」


「そう…。じゃあ、放っておけばいいと思う。良くない噂の『源』と関わると、あんたの立場が悪くなるよ」


「ご心配いただきありがとうございます」


「は?!ど、どこをどう解釈したら、そうなるわけ?い、意味わかんない…」


「ふふ…私はあなたがどういう人であれ、あなたと関わって行きたいと思っています。だって、あなたを守りたいから…」


「また…それ………?」


少年の言葉にスピカは少し困った表情を浮かべる。


「ね、ねえ、あんた…えっと…」


「ああ…自己紹介がまだでしたね。私はスピカ、です」


「………す……スピカはさ…なにがしたいの?」


「自分の見える範囲の人を助けたい。それだけです…ダメ、ですか?」


「………いいと思う」


珍しくスピカの意見を否定しなかった。


「良かった」


少年の回答を聞いて、スピカは嬉しそうに微笑する。

そして、少年は身のうちに溜まった不満と不安をぽつりぽつりとスピカに話した。


「僕は多分…辛い、と思う。弱いからなにも出来ないし。世の中、痛いことばかりだ。不平等で不安定で…変えようと思っても、力がないから変えられない。僕はこのままじゃ…ずっと死んでるみたいに生きなきゃいけない…でも、でも…本当はそんなの嫌で…」


少年は自分の不甲斐なさに耐えきれず、拳をぎゅっと握る。


「…っ…。…その、全部を肯定することはできませんし、否定することもできません…」


「………」


「ただ…私から言えることは、声を上げてくれて、ありがとう」


「え…?」


「あなたが声を上げてくれるなら、私はいくらでも手を貸します。私はあなたを守りたい…です。だから、あなたが辛いと言うのならば、私はあなたに辛くない場所を作ります」


スピカは少年の手に触れる。

一瞬、少年はびくりと体を硬直させるが、悪意のない行為だと分かると、すぐに緊張を解いた。

スピカは両手で少年の固く閉じられた手を包む。


「あ…」


スピカの暖かい体温がじんわりと伝わってくる。

初めてかもしれない。

彼女の陽だまりのような瞳と視線が重なったのは…。


「……ま…また…話しに来てもいい?」


「ええ、待ってますね」


「うん………」


心が軽くなった気がした。

誰かが…自分の味方が一人でもいることが嬉しく思ったのは初めてだった。

少年はゆっくりと閉じられた拳をほどき、スピカの両手と手のひらを重ねた。


ー…


真っ暗の夜空。

星々がピカピカと光る。

少年はそこに寝転びながら、天井に片手を伸ばす。


「ねえ、僕は…なにをしたらいいと思う?」


ー………


一番星は相変わらず眩しくてすぐに見つかる。

少年は片手を下ろし、瞳を手のひらで覆った。


「答えてくれない…か。なんかね、大事なことを忘れてる気がするんだ。別に…思い出したいわけじゃないんだけど…どうでもいいし…。ただ、なんだか…気持ちが悪いんだ」


記憶なんてどうでもいいと思っていた…が、最近、妙な胸騒ぎを感じる。

その異変が少年にとって居心地が悪かった。


ー…私があなたを正しい道へ導きます。


今日は返事がないのか、と諦めていたが、突然、空の中から割れるような声が聞こえてきた。

怒っているのだろうか。

少年はその声色にごくりと唾を飲み込んだ。


「正しい、道?それって…なに?」


ー…あなたはなにも考えなくていいのです。恐れる必要もありません。私を信じてもらえるなら、私はあなたに道をお見せしましょう。


「それって、楽しい…?」


ー…はい、あなたの望む世界に向かうことができます。


「そう…。なら、いい。…なんだか、どうでもよくなってきちゃった。うん、いいや。そうしよう…そうしたい」


突如、少年に眠気が訪れる。

瞼が重たい。

少年はこっくりこっくりと瞳を何度も閉じかけながら、寝言のようにつぶやいた。

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