第32話

少年は凍える寒さを耐え凌ぐ。

凍える風が首元を通り過ぎるたびに、歯がカタカタと揺れた。

湿っていた髪はガチガチに固まり、指の先の感覚も失いかけていた。

だが、そんな状態でも少年にはやらないといけないことがあった。


「君は絶対に出てきちゃダメだからね。食べちゃうでしょ。あの人の家に戻ってな。心配しなくても僕は平気。誰も僕に攻撃できないのは知ってるでしょ?」


少年は森に入る前、蛇に一個だけお願いをした。


「よし…良い子」


蛇はこくりと頷いて、闇の向こうに溶けて消えた。


「…あの子を救いに行かなきゃ…」


各地で異常発生しているマンドラゴラ…。

あの時、少年は彼女の無事な姿を確認したが、次の日にはなぜかいなくなっていて、少年が気づいた頃には各地で猛威を奮っていた。

少年は彼女のことを探し回った。

見つからないと諦め、ギルドに向かう途中、聞き捨てならない噂が耳に入った。

マンドラゴラが人を襲う。

マンドラゴラを退治しないと。

そんなはずはない、と少年は首を横に振るう。

しかし、人間の行動を止められる術を持たない少年は自分が救いにいかなければ、と決心したのだ。

あの子のために…


「もう増えなくていいから。君が強いのは十分わかった。だから、落ち着いて…。このままじゃ、きっと君も君の仲間も全員いなくなっちゃう…だから…だから…もう暴力を振るわないで…」


ぼこぼこと湧き出るヘドロの前で、少年は触手を伸ばすマンドラゴラに語りかける。

凶暴化したマンドラゴラに以前のような愛らしさはなかった。

花弁は真紫に怪しげな黒い斑点をまとい、身長は少年の2倍はあった。

あんなに小さかった口は大きく裂けて、ギラリと光る鋭い歯が露わになる。


「落ち着いて。誰も君のことを傷つけたり、襲ったりしないから。言うことを聞いてよ。お願い…だから…」


森中に蔓延る根っこ、茎、蔦は全てこのマンドラゴラたちに通じていた。

動くものを対象に無作為に攻撃しようとする。

蔦を何重にも巻いてドリルを生成し、たくさんの人や魔物を襲った。

それでも治らない殺意。

マンドラゴラは全てを壊す勢いで勢力を拡大している。


「前みたいに鳴いてよ…」


少年がいくら説得しようとも、その声はマンドラゴラに届かない。

マンドラゴラは別々の角度から、少年を貫こうとドリルで攻撃をする。

しかし、守られている少年にはその攻撃は届かず、見えないバリアに守られているようにバチバチと攻撃を跳ね返していた。


「あんたここで何やってんのよ?」


そんな時…タイミング悪くやってきたのは柄の悪い女冒険者3人組。

剣士・槍使い・魔術師。

リーチの長い武器で挑みにきているらしい。


「ここが誰の場所か分かってん?」


「………」


「ここ、私たちの狩場。わかる?うろうろされちゃ困るんだよ」


「………」


「黙ってないでなんか言ったらどう!?」


「…荒らされたくないなら、名前でも書いとけば?」


「はあ?」


「調子に乗ってんじゃねーよ!!」


炎の魔力を宿した杖で辺りを一層する魔術師。


「あ…!!や、やめろよ!!」


苦しむマンドラゴラの悲鳴を止めようと、少年は魔術師の前に立ち塞がる。


「どけ!こいつらの討伐がうちらの仕事なんだから邪魔すんじゃねー!!」


さらに剣士が蔦を切り払い、槍はマンドラゴラもそれに加勢し薙ぎ払う。

マンドラゴラは必死に蔦を伸ばし、炎魔術師を狙おうと試みる。

しかし、伸びる蔦それぞれに火種が飛び、先からどんどん燃やされていく。


「やめろ、やめろってば!!こいつはそんなんじゃないんだ…信じてよ!!」


マンドラゴラが攻撃できない隙に、槍使いが地面から伸びる茎を切り裂いた。

同時に、ズドンという大きな音がする。

地面からの栄養の供給がなくなったマンドラゴラは無力化し、花弁がハラハラと舞い落ちる。


「あ…ああ…」


灰色に染まっていくマンドラゴラを目の前に少年は言葉を失う。


「頭がおかしくなっちまったの?こいつに食われた仲間は何人もいんだよ。魔物を守ろうとするとか…マジで人間?」


「違う…この子は…この子は誰も傷つけてなんか…」


「あ、こいつ。よく見たら最近話題の少年じゃん。例の蛇使い」


「はっ!マジかよ。一人二人殺すのは平気なくせに魔物は守るとか。ウケるんだけど」


「ちがっ…僕は…」


「お前の戯言とか知らねーし」


「うっ…!!」


魔術師の杖が少年の鳩尾に入る。


「ついでにギルドにこいつのこと提出しちゃおっか。魔物擁護犯とかでしょっぴいてくれるっしょ。お礼としてうちらにもいくらか入るかもー」


「良いじゃん。骨の一本折っておきゃいい?」


「動けなくなればそれでいいよ。死なない程度にね」


「オッケー」


「あ…」


女性騎士は魔術師の前で膝を崩す少年の髪を強く握る。

そのまま少年を後ろに投げつけて、馬乗りになる。


「やめ…っ…」


一瞬のブラックアウト。

目の前がちかちかする。ぐわんぐわんと揺れる脳。

休む暇もなく逆側からもう一発。


「あぐっ…!」


「お得意の蛇ちゃんはどうしたんだよ?使えねーの?」


「ウケるー」


「っ…!!」


蛇は少年の約束を従順に守っている。

自分が言ったことだ。きっとあれは助けにこない。

敵は魔物だけではなかったことを、少年は再認識した。

人間もまた少年に危害を及ぼす敵…


『ーーーーっ!!』


その時、視界にノイズが走る。


映像が白黒に変わる。

見知らぬ男が何か大声で叫んでいる。

男は酔っているようだった。

酒瓶が片手に見える。

瞬間、視界が左右に動く。

映像の主がなにかを否定をしているのだろう。

すると、男は逆上したようで、男の拳が視界を塞いだ。


「最後に何か言うことある?」


ぼーっとした瞳の中に見覚えのある女性が映り込む。

戻ってきたのだ。

白黒の景色はいつも通りの気味の悪い赤と紫の空へ。

しかし、少年の口の中が鉄の味でいっぱいだった。


「…やめ………て……」


その瞳からは一筋の涙が流れる。


「ぶふっ…!最後の最後がそれかよ!!」


弱々しい少年の命乞いを笑う3人。

彼女たちの下品な笑い声は森中に響き渡る。


「ギャハハハハ!!ハッ…!!」


一人の笑い声が消えた。


「「!!」」


魔術師の女が消えたのだ。

取り残された二人の冒険者は異変に気づき、キョロキョロと見回す。

すると…彼女たちの頭上からぼとり…と音を立てて、魔術師の女の生首が落ちてくる。


「きゃあああ!!」


同時に、槍使いの女の足が蔦に絡め取られ、空高く投げ飛ばされようとしていた。


「何が起きてんだよ!!!」


少年の上にまたがっていた女剣士は、他の木々を利用して高く飛び跳ね、槍使いを連れて行こうとする蔦をズバッと両断した。


ざわざわざわ…


森が騒ぎ始める。


「な、ンなんだよ…一体」


「そっか…。そうだったんだ。最初からこうすれば良かったんだ。言うことを聞かないなら、力でねじ伏せる。やっぱりそれが…正しかったんだ…」


「お、お前…なにぶつぶつ言ってんだよ!!」


少年はふらふらと立ち上がりがら、小さな声で呟く。


「最初から…正しいのはいつだって…」


少年の後ろから大きな影が伸びる。

それは空を覆うほどの大きさで、二人はその巨大な物体に後退りをする。


「や…やば…」


「やばいよ。これ…」


女冒険者二人はお互いの手を握りながら、ジリジリと迫ってくる影に怯える。

見たこともないくらい巨大なマンドラゴラ。

おそらく生態系のトップに君臨する女王。


「クイーン…ありゃ絶対マンドラゴラの親玉だぜ」


「嘘だろ。絵本の話だけじゃじゃねーのかよ!!」

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