第2話
街に戻ってきたのは、それから約30分後。
気味の悪い空が、黒に染まり上がる一歩手前だった。
「ただいま〜、お父さん」
人一人を担いでようやく家にたどり着いてきたリブ。
築60年は優に超えるその家は、ドアの取っ手も鍵もなく、防犯面が心細い押し扉式だった。
壁と屋根は崩れかけている箇所もある。
とてもじゃないが裕福な暮らしをしているようには見えなかった。
ギィっとドアを開けると、暖炉から温かみのある光が飛び込んでくる。
今日も無事、我が家に帰ってこれたと安心したリブのお腹はぐぅっと小さな鳴き声をあげた。
「おかえり。ん?その子はなんだ」
そんな彼女を暖かく出迎える彼女の父親・ユウゴ。
夕飯の支度が丁度終わった頃合いらしく、首からかかっていたエプロンを脱いでいる最中だった。
「落ちてた」
「落ちてたって…」
「分かんないの!勝手に倒れて、勝手に死にそうになってたの。ってか、自殺行為的な?恐らく死にたがり。でも、目の前で死なれちゃ目覚めが悪いから拾ってきた!」
「お前が良い子に育ってくれて良かったよ」
「…ちょっと預かってくれない?」
「構わないが…また出かけるか?夕飯はどうする?」
ユウゴはリブから汚れまみれの少年を受け取る。
服が汚れるのも嫌がらず、少年を抱きかかえる。
「こいつのせいでギルドにまだ報告行ってないの。今日の報酬も受け取れてないから、行きたいだけ。夕飯も家で食べる」
「そうか。じゃあ、待ってるよ」
「お腹空いてるなら先に食べてもいいからね」
「いや、待ってる。二人で食べた方が美味しいだろ」
「わかった!すぐ戻ってくるから!そいつのこと、よろしくね!」
リブは勢いよく家を飛び出て、ギルドに向かって行った。
ー…
何時間経っただろうか。
少年はゆっくり目を覚ました。
「…どこ?」
ぼんやりと今まで起きたことを思い出してみるが、この部屋に見覚えはなかった。
「なにこれ…」
布団と言うにはおこがましいほどの薄い布。
少年が動くと、地面からガサッと乾いた音がした。
藁。
自分はこんな枯れ草の上に寝ていたのか、と少し驚いた表情を見せる。
しかし、これのおかげで、背中は痛くなかった。
「………」
納屋に思える部屋の向こう側からは、一つの明かりが見えた。
誰かがいるらしい。
少年は千鳥足で、灯の麓を目指す。
「起きたか?」
「…っ…!!」
暖炉の前に座っていた男と視線があった。
見知らぬ男に恐怖を感じた少年は、一歩後ろに身を引こうとした。
が、体にうまく力が入らない。
少年は自らの足に身を取られ、背中を強く打ち付けてしまう。
「あ…」
少年が背中を打ちつけた衝撃で床に穴が開いてしまう。
劣化が激しいようだ。
「大丈夫か?驚かしてすまん。ああ、この家は壊れかけだ。いつ倒れてもおかしくない。だから、気にするな。……ん?立てるか?あまり力が入らないか?」
「………」
「どれ、手伝ってやろう」
転んだ少年の肩を支えながら、ユウゴは並行の取れていない食卓の椅子に座らせる。
少年が座ると椅子はぐらぐらと揺れた。
「とりあえずここに座るといい。…飯を食べれば多少動けるようになるだろう。スープくらいは飲めるか?どうだ?」
「………」
少年を座らせた後、ユウゴは暖炉で温めていたスープを少年の目の前に置いた。
肉はない。
ジャガイモだけが入っている底まで透明なスープだった。
「………」
「食べたくないか…。ははっ。こんなお粗末な物しかなくて悪い。貧乏な家でな、あまりうまそうな食い物は望めん。けれど、体に何か入れておくのは良いことだ。力も出る」
「………」
「………食べたくなったら食べるといい」
「お父さん、そんなやつ放っておきなって!」
風呂に入ってきたリブが、食卓に現れた。
髪が濡れている。
「でも、リブはわざわざ連れてきたじゃないか。お前は偉いよ」
「死にたがりでも、目の前でしなれちゃ夢見が悪いだけよ…」
濡れた髪をタオルで大雑把に拭きながら、リブは暖炉の前に座る。
風呂に入ったように見えるが、体に湯気は感じられなかった。
リブは手を暖炉に当てながら、はぁーと小さく息を吐いた。
体全体がカタカタと震えているようにも見えた。
「良い娘に育ってなによりだ」
「どこがよ。それよりお風呂場の温度調整っていつ直るの…?すっごい寒いんだけど」
「う…ん…。確かにそろそろ水風呂は無理な季節だな…けど、魔石がまだ調達できなくてな。もう少ししたら、安いのを手に入れることができる。そしたら、電気もお湯もなんとかなるはずだ」
「安いやつはダメだよ。今回みたいにすぐ壊れるじゃん…。私、もう少し仕事増やすから、少しだけ、ほんのちょびっとだけ、良いやつ買おうよ」
「そうだな…。俺も市場で探してみるよ…。……おっと。放置して悪かった。いや、恥ずかしい話を聞かれたな!」
はっはっとユウゴは高らかに笑った。
笑う要素はないと言うのに。
「俺はユウゴ。君を助けたリブの父親にあたる。君の名前はなんだ?」
「………」
「どこから来たか言えるか?」
「………」
ユウゴの質問に対し、視線を逸らし何も回答しない少年。
「名前も出身地も分かんないの?記憶喪失とか言うやつ?それとも答えられない事情があるの?」
「リブ。少し黙ってろ」
「…はぁーい」
「答えられないならしょうがない…じゃあ、質問を変えよう。…そうだな。君は、なぜ一人で森の中にいたんだ?」
少年は大きな間を開けた後、ボソボソと小さな声で話し始める。
「…知らない………なぜ、は嫌だ。僕も分からないから…」
「そうか…。ここが、どこだか分かるかい?」
「………」
「うん、知らないのか…ここは、セントロワと言う名の街だ。聞き覚えはあるか?」
「……知らない。初めて聞いた…」
「えー!この街のこと知らないの!?」
「リブ…」
「ごめんなさーい」
「…セントロワは魔物の攻撃にも耐えうる魔力のこもった壁に囲まれた…安全な街だ。だが、街の外に出れば凶暴な魔物がうじゃうじゃいる。いつ、どこで、誰が死んだっておかしくない。だから、君は娘に出会えて幸運だったな。じゃなきゃ、今頃、君は魔物の胃の中にいただろう…」
「………」
「そうだ。これは、君のものであってるか?」
ユウゴは暖炉の横に立てかけた置いた少年の杖を渡す。
軽いが頑丈にできた長い杖。
杖の先端の窪みには少年の瞳と同じ黄色の魔石が組み込まれていた。
「………」
「奪って売ろうなんてことはしないから、安心しろ。返すよ。大事なものなんだろう?」
「めっずらしい色の魔石。初めて見た…。あんたってもしかして強かったりする?」
「………」
「んなわけないよね。だってあんたオークを倒した時、吐いてたし。どこかの街から来たひよっこ冒険者ってところ?…でも、ひよっこの…しかも魔術師が一人でここまで来れるわけないよねー…」
「この子にそんな難しい話をしてもしょうがないだろう。ギルドに聞けば何か分かるかもしれない。体力が戻ったら連れ行ってあげればいい」
「はーい」
少年は飛び交う言葉に耳をすませながら、視線を右へ左へ忙しそうに動かした。
「自分について、何か知っていることはあるか?」
「………知ってたら、ここにはいない…」
「うん、そうか…。そりゃそうだな」
「え?本当に記憶喪失ってやつ?」
「………」
「名前も?出身地も?友達も?家族も?なにも知らないの?本当に?」
「………覚えて…ない…」
「うっそ!?」
「う、む…そうか…。きっと大変な思いをしたんだろう。何か話したくなったら、言うといい。助けになろう。それまでの間は、こんな我が家で申し訳ないが…まあ、ゆっくり休むと良い」
「えー!こんな素性も分からない根暗なやつと住むの!私、嫌なんだけど!!」
「………」
「気を悪くしないでくれ。根はいい子なんだ。ちょっと思春期で多感になっているだけだから…すぐに心を開いてくれる」
「はぁー!?お父さん、なに言ってんの?閉じてるやつに開くはずないじゃん」
荒れるリブを諭しながら、ユウゴは「風呂に入ってくる」と腰をあげた。
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