それにまつわるナナシの話

こいち

第1話

「……なんだっけ…?」


覚えているようでなにも覚えていない。

掴もうと手を伸ばした何かは、目の前で突然ぼやける。

果てしない宇宙の中を彷徨っていたような

逆さの大地を走っていたような

底のない海底に落ちていたような


「…ここ…どこよ…」


辺りはとてつもなく気味が悪かった。

黒い木々に囲まれ、見上げれば赤と紫が混じった空が一面に広がる。

雲はねっとりと、まとわりつくように空を流れる。

何かに見られているような感覚。

何かが近づいてくる鼓動。

不気味な鳴き声も、静まらない木々の葉音も、全てが耳障りだった。


「趣味、悪すぎ…」


今は昼なのか、夜なのか。

それすらも分からない。

いや、分かったところで、なんだというのか。


「…!」


後ろの木々からガサっと大きな音が聞こえてきた気がした。

気のせいではないようだ。

それは大きな音を立てて、確実に近づいてくる。


「っ…」


少年は身構える。

手に持っていた武器を片手に。


「?」


いつからこれを持っていたかは思い出せなかった。

一体これはなんだと言うのか。

まあ、いい。

ないに越したことはない。


「ぷっはー!抜けた抜けたー!」


木々の隙間から大きく跳ね飛んできたのは、褐色の良い少女だった。

人か。

拍子抜けた少年は身構えていた武器…少年の瞳と同じ黄色の宝玉が先端にあしらわれた…杖を下ろす。


「ん?あんたこんなところでなにしてんの?魔物とか出てきて危ないっしょ〜」


その少女は腰には剣を携え、身軽だが頑丈そうな装備に身を包んでいた。

初対面の相手に怖気づくことのないタイプと見た。


「………」


「私、剣士のリブ!冒険者で、ランクはD。よろしくね!」


「………」


ランク?冒険者…?

聞き覚えのない言葉に、なんと答えればいいのか分からなかった。


「あんたは?あんたも冒険者っぽいよね。杖持ってるし…でも、初めて見る顔だね。どっか別の街から来たの?見たところ魔術師ってやつ?一人?仲間は?」


「………」


「あ、もしかして…お仲間さん皆やられちゃった系…?タイミング悪かった?」


「………」


「…もー!ちょっとー、少しは喋りなさいよ!分かんないじゃない」


「………」


「だんまり?感じわるっ」


「………」


「まあ、良いや。もう夜になりそうだし。ここにいるのは危険だよ。ほら、街に帰ろ?」


「………」


つらつらと並べられるリブの言葉が耳に入ってこない。

それよりも、これが夕方なのか、と少年はチラッと空を見上げる。


「行くよ」


いきなり現れた少女・リブは、弱々しく立つ少年の腕を掴む。

急になにをするのか、少年はリブの腕を払い除けた。


「な、なにすんのさ!」


と、彼女が大きな声を上げると…


『ぐぎゃおおおおおお!!』


けたたましい雄声が辺りに響き渡り、木々に共鳴する。

不気味な黒い木々は、強く揺れ、より一層不吉さを際立てた。


「!!…やっば、もう起きる時間だった?」


地面に鳴り響く振動に足が取られそうになる。


「オークだ。面倒くさいわね!さぼり魔だから昼はぐーすか寝てるだけで脅威でも何でもないけど、夜になると起き始める…めちゃくちゃ凶暴な魔物の出来上がり、よ!」


「……!」


「ぐおおおおおおおお!!」


リブの言葉が終わると同時に、オークは障害物を物ともせず突進してくる。

石も、木も、全てなぎ倒して、だ。


オークの背丈は人間の倍ある。

豚のような見た目をした二足歩行の魔物で、筋肉質のがっしりした二の腕を持っていることが特徴だ。

朝昼と寝るに寝たことでついた有り余る体力を夜に発散する。


「けど、私の敵じゃ、ないけどね!!」


知識がないことは恥だ。

それを補う知恵がないのも致命的だ。

オークは無駄にある体力も、筋力も、知識と知恵で工夫ができない。

故に、どちらも備わっている人間に勝つことは不可能。

テンプレートの言葉に勝る示威も見せられなかった。


「そりゃああ!!」


彼女の腕より何十倍も太いオークの腕はいとも容易く切り落とされる。

ぼとりと落ちた腕は、宿る命もないはずだが、しばらくの間ジタバタと動いていた。


「…っ…」


気持ちが悪かった。

普通の生き物とかけ離れた存在。

魔物。

認知することの出来ない異形に、少年の歩みは後ろへと赴く。


「ちょっと!ぼけっとしないで、魔術師ならなんかサポートしてよ!」


「………」


「もー!!じゃあ、いい!全部自分で倒すから。その代わり、報酬は全部私のだかんね!」


リブはぴょんと高く飛び上がり、オークの額目掛けて剣を真っ直ぐ下ろす。

オークは、こめかみにずぶりと入った剣を振り払おうと、手を上げようとする。

しかし、知力の低いオークは自らの腕が先ほどリブによって切り落とされたことすら忘れていたようだった。

なにもない腕を必死に動かす。

そんな攻防をしている間に、リブはさっとこめかみから剣を抜き取り、オークから身軽に降り立った。


「おお、おおぉ……」


低い唸り声を上げながら、オークの額から血飛沫が上がる。

そして、数秒後、大きな巨体はぐらりと横に傾き、どしんと地響きが起こる。


「へっへーん。どんなもんじゃい」


倒れたオークを背後にリブは少年に対してウィンクを送る。


「じゃあ、さっきも言った通り、お宝は全部私ね。オークの耳と尻尾はお金になるのよね。さすがに一人じゃこの巨体は持っていけないから、諦めてーっと…あ、でもあんたがある程度切ってくれれば助かるかも」


オークが完全に沈黙したのを確認した後、リブは慣れた手つきでオークの体を小刀で解体していく。

解体した耳や尻尾はリブが後ろに担ぐ横掛けバッグに収納されていった。

赤い染みは、今まで戦った猛者の数を物語っていた。

ぶちっ

ざくざく

軽快なリズムと共に生々しい水音が耳に残る。


「うっ…おぇ…」


初めて見るグロテスクな光景に少年は我慢できずその場で胃液を吐き出した。


「えー!なに、しんどいの?え、嘘。もしかしてこう言うの見るの初めて?初心者?!先に言ってよー!」


リブは驚きの声を上げる。


「ちょっと待って。すぐ終わるから!」


少年が地面に顔を伏せる姿を確認したリブはすぐに小刀を納め、切り離したオークの耳と尻尾、ついでに腕をバッグに入れた。


「あんた、大丈夫?」

「………っ…」


少年の顔を覗き見ようとした瞬間、少年はすっくと立ち上がり平然を装った。


「大丈夫ならいいけど…」


「………」


「じゃあ、気を取り直して…帰ろっか」


リブは少年に手を差し伸ばすが、少年はそこを一向に動く気配がない。


「どうすんの?来るの?来ないの?」


「………」


「じゃあ、置いてくね」


動かない少年を置いていこうとリブは背中を向ける。


「来るんかい」


後ろに視線を向けると、雛鳥のようにリブの後ろをついてきているようだった。


「………」


「もう少し早く歩ける?日が暮れちゃうんだけど」


「………」


「返事くらいしてよ」


随分と足取りの遅い少年にイライラしたリブは、少しは反応するのかと試しに罵声を浴びせてみる。


「…グズ!のろま!」


「………」


「根暗!」


すると、少年の足がピタリと止まる。


「お、なによ?なんか言いたいことある?」


その様子にリブは少し驚き、臨戦態勢に入る。

数秒後、全く動くことのなかった少年の口は、ゆっくりと開き


「………放っておいて」


と一言、彼女に言い放った。


「開口一番がそれかよ!助けてもらっておいて、いい度胸じゃない。じゃあ、放っておくからね!知らないからね!」


「…うん…僕もそれが良い」


喋ったと思ったらリブを逆撫でてきた少年に苛立ちの声をあげる。

が、少年は悪びれる様子もなく、視線を明後日の方向に向ける。

向こうがそう言う態度なら、とリブは足に力を込めて、どすどすと大股で歩き始める。


…どさり…


リブの背後で何かが倒れた音がした。

嫌な予感がする。

恐らくリブの予感は的中しているはずだ。

助けたくはない。助けたくはない…が。

しかし、目の前で起きてしまったことを見過ごすわけにはいかない。


「も〜!!」


振り返ると、やはり…そこには先ほどまで強がっていた少年が森のど真ん中で倒れていた。

彼の言う通り放っておくこともできる。

が、明日には彼は屍と化していることだろう。


「しょうがないわね!!」


魔物の多いこの森に、置いて行くことは出来ない、とリブは少年を肩に担ぎ上げた。

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