第73話 ピンチなアナスタシア

 朝、リビングの食卓の上に、薄くスライスした熊肉のコンフィが大皿に盛られて置かれてある。


 コンフィとは豚肉や魚介などを低温のオリーブオイルで煮込んだもので、エスタがそれを例の熊肉で作ったのだ。


 その熊肉のコンフィをパンに挟んで食べるわけなのだが、誰もそれに手を出さないでいる。食卓を囲むみんなの表情もどこか暗い。


 というのも、今日で三日目になるからだ。それはこの熊肉料理ではなく、アナスタシアがいなくなってから。


 結局あの日、アナスタシアは家に帰ってこなかった。


 心配になってあちこち探し回ったものの、その姿はどこにも見当たらなかった。


 あいつのことだから、またよからぬ輩に襲われてやしないか心配だ。まぁ、俺と別れた時にはすでに純潔しょじょを喪失していたわけだが、何度だって襲われる可能性がある。


 そんなわけで今日もこれから、朝食後にみんなでアナスタシアを探しに行こういうわけなのだが……。


 エスタは食卓の重たい空気から逃れるためか、手つかずの自分の食器を片付けてキッチンへと行ってしまった。


 アルティナもソファーに寝転んで、手持ち無沙汰なのを紛らわすかのように毛先を指で弄んでいる。隠す気のない短いスカートからピンク色のパンツが覗いているが、今はそれどころではない。


 クリスティナに目をやると、いつものように新聞を読みながらコーヒーを啜っている。こいつはいつもこんな感じなのだが、いちおう空気を読んでかずっと無言のままだ。


 俺もアナスタシアのことを考えると食欲が湧いてこないので、朝食を切り上げて立ち上がろうとすると――。


 バン!


 勢いよくリビングのドアが開いた。


「ねぇねぇ、大変なの~!」


 そう言ってヴィニ姐さんが慌てた様子でやって来た。


 これからアナスタシアを探しに行こうって時に、また面倒な人が来たものだ。


「どうしたんですか、またこんな朝っぱらから。俺たちはこれから出かけなきゃなんです。だから今日のところは……」

「ねぇねぇすぐるん、大変なのよ~! さっきね~、ここへ来る途中に~、中央広場の前を通ったら~……あ、何これ~、美味しそ~! いっただっきま~す!」


 ヴィニ姐さんは俺のそばへ駆け寄り何かを話しかけたと思ったら、目の前の熊肉のコンフィをひょいとつまんで食べだした。


 ちょ、いきなり近い近い!


 相変わらず、くらくらしそうなほど石鹸のいい香りがしてくる。しかも、俺の腕にその破壊力抜群の神乳が当たっちゃってますから!


 朝起きてとっくに鎮まっていたはずの相棒が、またむくむくっと反応してきやがった。


「ちょっとヴィニ姐さん、くっつき過ぎですって! ちょっと離れてください! っていうか、いったい何しに来たんですか?」


 ヴィニ姐さんは俺の声などまるで耳に入っていない様子で、さらに密着しながら熊肉のコンフィを手づかみで頬張っていく。


 その度につまんだ指をしゃぶったり、口の周りについた肉汁を舌でねっとり舐めたりと、その動作の一つひとつがひどく艶めかしい。


「んん~、このお肉、と~っても美味し~い! すぐるんもはい、あ~ん!」

「ちょちょちょ、やめてくださいって! んああっ! もぐもぐ……」


 ヴィニ姐さんに熊肉のコンフィを無理やり口の中に押し込まれた。


「ね~、と~っても美味しいでしょ~! もっと食べる~?」

「うっわ、よくこんな時に食べられるよね。しかも、いちゃついてるなんて信じらんないんだけど」


 アルティナがゴミを見るような目つきで言い放った。


「いやいやいや、無理やり食べさせられたんだって。それにこれはいちゃついてるんじゃない!」

「スグル君、私も見損なったわ。またアワブロデイッテの誘惑に鼻の下を伸ばして」


 クリスティナも背筋が凍りつくような冷たい視線を俺に向けてきた。ヴィニ姐さん絡みでこの人の機嫌を損ねるのはガチで怖い。


「だから、そんなんじゃないんだって! 見ればわかるでしょうが!」


 また国家レベルの大惨事が起きるのをを回避するべく、俺は全力で否定した。


「にゃ! またバカ乳娘が来おったのか! しかも我のおらぬ間に旦那様にひっつきおってからに!」


 キッチンで洗い物を終えたエスタが、戻ってくるなりヴィニ姐さんに飛びかかる。そしていつものように、その肉付きのいい姐さんの尻に跳ね飛ばされた。


「――それで、いったい何があったんですか?」


 ようやくヴィニ姐さんを引き離すことができた俺は改めて尋ねた。


「それがね~、ここへ来る途中で~、あの~、なんて言ったっけ~、ア〇ルシア? ん? アナスカシタだっけ~?? とにかく~、そんな名前のあの子が~、中央広場にいたの~!」

「あぁ、アナスタシアのことね。……って、アナスタシアが中央広場にいただって!?」

「そうなの~。しかも~、何だかおっきい柱に縛りつけられて~、すっごく気持ちよさそうに喘いでいたの~」


 は? どういう状況だよそれ! 公開SMプレイでもやっているのか。でもあいつのことだから、本当にそうなのかもしれないと思わないでもない。


「でねでね~、広場にいるみんなが~、そのアナシタスカちゃんが処刑されちゃうとかなんとかって言ってたの~」


 だからアナスタシアだって。わざと言ってるだろこの人。


 ていうか、処刑されるだって!?


「ちょ、ヴィニ姐さん! それってどういうことですか? 何でアナスタシアが処刑されるんですか??」


 俺は思わずヴィニ姐さんの両腕にがしっと掴みかかってしまった。


 あぁ、何か二の腕もぷにっと柔らかくて絶妙な触り心地なんだが。


 いかんいかん、そんな感触に浸っている場合じゃない!


「ちょっとすぐるん、痛いってば~。もっと優しくして~♡」


 ヴィニ姐さんが身をよじりながら艶めかしい声を上げる。


「す、すすす、すみません!」


 俺は慌てて手を離した。


「とにかく、どうしてアナスタシアが中央広場で柱に縛りつけられていて、しかも処刑されようとしているんですか?」

「それは~あたしにもわかんないの~。ごめんね~、すぐるん……」

「いえ、知らせてくれてありがとうございます」


ヴィニ姐さんの説明だけだと事情はよく分からないが、アナスタシアが窮地に立たされているのは間違いないようだ。


 俺は急いで身支度を整えると中央広場へ向かった。


 出がけにエスタたちも一緒に行くと言い張ったのだが、こいつらがいると返ってトラブルになりそうだから自宅待機させることにした。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【あとがき】

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