第70話 アナスタシアが不機嫌な理由

「ぶつかってきて謝りもしない礼儀知らずの女は体でわからせてやらねぇとなぁ!」

「ぐへへ、アニキが終わるまで待ちきれないから、俺はこっちの方で!」


 急いで声のする路地裏へ駆けつけてみると、ここらでは見かけない柄の悪そうな男二人にアナスタシアが絡まれていた。いやもう、すでに男らはアナスタシアの前後から好き勝手に動いている。


 あぁ、何かデジャブだなこれ……。


 どう見てもすでに手遅れなのだが、このままにしておくわけにもいかない。


 そこで周囲を見回してみると、これまたいつものようにおあつらえ向きな程よい長さの木の棒が落ちているじゃない。


 こういうところはほんと無駄に用意がいいんだよな、この世界って。


 俺はその木の棒を拾い上げ、何度か素振りをしてみて手に馴染むのを確認する。


 よし、これならいけそうだ。


 俺はその剣に《伝説の剣・ファイナル》と名付けた。


 さすがにもう名前のネタが尽きたからな。それに、そろろそ木の棒なんかじゃなくて、自分専用の武器っていうのが欲しくもある。なので、伝説の剣はこれで最後という意味を込めてみた。


 おっと、そんなことよりもアナスタシアだ。


 まぁ今から助けに入っても、どうせ手遅れなのだから慌ててもしょうがない。


 それによく見ると、アナスタシアの反応もまんざらではなさそうになってきているしな。


 俺は手足を伸ばしたり、軽くストレッチをしながら助けに入るタイミングを窺う。そうこうしているうちに、男らもひとしきり動いて落ち着いてきた。


 さて、そろそろか――。


 伝説の剣・ファイナルを握り直していざ飛び出そうとしたのだが、俺はふと思い直した。


 このまま出て行って奴らを叩きのめすのは、今の俺には造作もないことではある。

 だが奴らは丸腰で武具なども身に着けておらず、兵士や冒険者といった風でもない。


 もしかしたら、最近やたら街で見かけるようになったインバウンドの連中だろうか。だとすると、下手にぶちのめしたりしたら国際問題になったりしないか?


 面倒なことは避けたいし、できれば無駄に争いたくもない。どうにかここは穏便に……。


 そうこうしているうちに、男らが二回戦目を始めようと動きだした。


 さすがにこれ以上はマズい。しょうがない、やっぱり助けに行くしかないか……。


「うおおおおおおお!」


 俺は勢いよく飛び出すと男らの元へ素早く駆け寄り、それぞれ一撃のもとに叩きのめした。怪我がない程度に。


「だ、誰だテメェ!? 俺たちはインヴィランドから来た観光客だぞ!」

「そうだそうだ! 俺たちに手を出すとどうなるか分かってんのか、コラァ!」


 やっぱりこいつらはインバウンドの連中だったのか。しかもインヴィランド人とは。


「インヴィランド人だからどうしたっていうんだ? それに、観光客だからって何をしてもいいわけじゃない!」


 俺は男らの言動に怒りが込み上げてきて鋭くに睨みつけた。


「あぁん、何だその目は? 外国人の俺たちをそんな目で見るとは差別だそ差別!」

「そうだそうだ! 出るとこ出て訴えてやんぞ! 差別されて暴力も受けましたってなぁ!」

「ぐぬぬ……」


 こいつら、自分らのしたことは棚に上げておいて、その言い分はあまりに無茶苦茶だ。だが差別だ暴力だと言われると、こちらとしてもひるんでしまう。


「おいおい、どう落とし前つけてくれんの、これ」

「土下座したって許さねーぞ、コラァ!」


 男らが酒臭い息を吐きながら目の前まで詰め寄ってきた。


 どうする……。もう面倒臭いからいっそのこと処すか? うん、そうだな、国際問題だとか知ったことか。こういう連中は問答無用で処すに限る。


 そう思って、伝説の剣・ファイナルを握る手に力を込めたところ――。


「ああっ! アニキ、こ、こいつ、この前のあのガキじゃね!?」

「んあぁ? この前のガキだぁ?? あっ! 確かにこいつはこの前、俺たちインヴィランド軍のみんなを童貞にしちまった、あの『童貞の悪魔』だ!」

 男らの顔が見る見る青ざめガタガタと震えだした。


 おい、誰が童貞の悪魔だ! ていうか、こいつらはこの前侵攻してきたインヴィランド軍の兵士だったのか。


 後で知ったことなのだが、俺はインヴィランド軍の間で、数万の兵士を童貞にして恐怖のどん底に叩き落とした『童貞の悪魔』と恐れられているという。


 職業である救国の童貞もうそうだけど、これまた何とも不名誉な称号だな……。


「ひいいっ! 俺たちまた童貞にされられちまう!」

「うわああ! 童貞なんて嫌だあああああ!」


 恐怖に慄いた男らは一目散に逃げ出した。


 …………。


 そんなに童貞になるのが嫌なの? うんまぁ、そりゃ嫌だよなやっぱり……


 何だろう、男らを叩きのめそうと思ったら、逆に俺の方が精神的に叩きのめされた気分なのだが。


 それはそうと、アナスタシアだ。


 男たちによって散々弄ばれた彼女は力なく地面に横たわっていた。


 下半身の辺りに目をやると、着衣が乱れて白くて艶めかしい太ももが覗いている。


 おっと。俺は前のめりになりそうなのを誤魔化すように、アナスタシアに手を差し伸べた。


「アナスタシア、大丈夫か?」

「…………」


 アナスタシアは問いかけには答えずよろよろと身体を起こす。


 俺は再び手を差し伸べると、アナスタシアがパシッとそれを払いのけた。


「触るな! 救国の英雄である貴様の手は借りぬ!」

「は? 救国の英雄? 俺が??」


 何言ってんだ、こいつ? 俺が救国の英雄って訳が分からん。今の俺は救国の童貞という不名誉な職業ジョブであって、救国の英雄などではない。


「お前、何か勘違いしてるようだが、俺は救国の英雄じゃなくて、救国の童貞なんだが」

「そんなことは分かっている! この童貞が!」

「ちょ、おい! そこを強調するな! なら、どうしてそんなに怒って……」

「うるさいうるさい! 救国と名乗れるのは貴様のような童貞ではなく、絶対崇高な神にこの身を捧げ、祖国フリンスに忠誠を誓う私だけなのだ!」


 あ、そうか。こいつ、俺の職業に救国とあるのが気に入らないというわけか。


 ここ最近、なぜアナスタシアの機嫌が悪かったのか、その謎がやっと解けた気がした。


「俺だって、何も好きでこんな職業になったわけじゃないんだぞ」

「ふん、それはどうだか。貴様は街のみんなからチヤホヤされて嬉しそうだったではないか!」


 まぁ確かに、チヤホヤされていい気分だったのは間違いないけど。こいつ、そんなことまで根に持ってやがるのか。


「なぁ、アナスタシア。いい加減に機嫌を直してくれよ。とりあえず魔法をかけてやるから、な?」

「いらん! 童貞の貴様のせいで、私はもう救国の英雄にはなれんのだから!」

「おい、童貞は余計だっての! それに、救国の英雄になれないのは別に俺のせいじゃなくて、今のお前が純潔しょじょじゃないからだろうが!」


 あ、やべ。これはちょっと言い過ぎたか。


「くっ……」


 アナスタシアは俺のことをきっと睨みつけた。その碧い眼にはうっすらと涙が滲んでいる。こんなアナスタシアを見るのは初めてだ。


「ご、ごめん、アナスタシア」

「……もういい!」


 アナスタシアは辺りに散らかった武具や荷物を急いで拾い上げると、俺が止めるのも聞かず足早に立ち去ってしまった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【あとがき】

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